感想・レビュー
『君のクイズ』 小川 哲 著 柳りえ様
現実世界で、私たちに出題されている無数のクイズがある。
それに正解があることは稀で、多くの場合は「正解はもちろん、問題すらあやふやなもの」。そんなことに気づかせてくれたのが、『君のクイズ』だったように思います。
『君のクイズ』の舞台は、賞金1000万円のクイズ大会。
主人公が優勝を逃した最終問題、相手は問題を1秒も聞かずに正答します。
「ヤラセか、ロジックか」
それは主人公に出題された、現実世界の「クイズ」でした。
他人と良好な交友関係を築くことができ、一般常識も備えている主人公。
しかし、クイズに強くなるために「恥ずかしさを捨て」、恋人が離れた真相に深入りもせず、「何かが欠けていること」が付着したまま物語は進みます。
謎は解けたものの、その答えに強い拒否感を覚える主人公は、最後の五行で独りよがりな答えを述べ、正解かどうかもあやふやなまま、物語は幕を閉じます。
エンターテインメントとして読める小説でありながら、最後の五行で浮き彫りになった主人公の愚直な哀しさに気づいたとき、問題の捉え直し(作品の読み直し)がスタートする。
何について書かれていたのか、私たち読者に対する「クイズ」でもあったのだなと、表題をあらためて確認しハッとさせられた作品でした。
『しあわせの書―迷探偵ユギガンジーの心霊術』 泡坂妻夫 作 林 正剛様
最後まで読んでアッと驚くような話が好きで、そういったものを最近は探して読んでいる。『イニシエーションラブ』『十角館の殺人』など。
その中で今回紹介したいのはミステリー小説である、『しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術』。巨大な宗教団体の二代目教祖の継承問題を巡る物語。主人公のヨギガンジーは超能力を見込まれて信者の失踪事件を追うことになるが、布教のための小冊子「しあわせの書」に、隠された驚くべき企みに気づく。という話。
作者の泡坂妻夫は、作家の他にマジシャンという経歴も持っており、この本の中にも作者が仕掛けたあるトリックが入っている。本の最初のページにも「未読の人にはこの本の秘密を話さないで」と書かれており、ネタバレはできないが、よくもまぁこんな仕掛けをしながらお話を作れるな、さすがマジシャンだと感心。
35年以上前の話だが古臭さは感じず、最近作られたお話に感じた。サクッと読めるので、是非読んでいただきたい。
『女の子たち 風船爆弾をつくる』 小林エリカ 作 林田利枝様
この小説は、関東大震災から12年目の年を迎え、春が来て、「わたしは、小学校1年生になる。」から始まります。そして、春が何回もやって来て、大震災から100年目の春が来るまでのおよそ1世紀にわたる歴史小説です。
歴史教科書の中に名もなき少女や女性をすべり込ませて、「わたし」や「わたしたち」の日常生活を細やかに描き、見たこと、考えたこと、したこと、させられたことなどがつづられています。
読み始めた時は、「わたしは」「わたしたちは」の繰り返しが単調にも思えたのですが、次第に慣れて、作者の術中にはまりこんでいきました。震災の2年後に生まれ、今も元気にしている私自身の母の人生は、この小説にすっぽりはまります。母が時折語ってくれた戦争中の話が記憶の底からよみがえります。「わたし」に母を重ねたり、時には自分を重ね、時には朗読しながら読み進めると、より身近に歴史を感じる事ができたように思います。
細やかな描写は、作者が目に見えないもの、時間や歴史、家族や記憶、場所の痕跡から着想を得た作品を手がける作家と知って納得です。巻末には8ページもの参考文献があがっています。埋もれていたもの、消されてはいけないものを丹念に拾われていて、頭の下がる思いがします。
関東大震災の頃、日本はすでに台湾や朝鮮を植民地にしていました。「わたしたちの台湾」、「わたしたちの朝鮮」にしていたのです。そして、何回か「春が来て」、「桜の花が散って」…「わたしたちの満洲国」になり、さらに「わたしたちのアジア」「わたしたちの大東亜共栄圏をめざして、「わたしたちの戦争」に突入していきます。戦況は次第に悪化、長期化して総力戦となり、日常は戦争と無縁なものではなくなります。
「わたしたち」は風船爆弾の製造に否応なく加担させられていきます。女学校の教室には、「身は戦場にあり」というはり紙があり、天皇陛下のもの、国のものと教えこまされていた時代です。抵抗することはとてもできなかったでしょう。動員された女学生たちは、食糧も十分ではない状況の下、毎日長時間労働を強いられ、眠気ざましの錠剤(おそらくヒロポン)を飲まされながらくみ立て作業を強いられます。爆弾はアメリカに向けて約9300発が放球され、約1割が届き、犠牲者も出ています。
「わたしたち」が真実を知るのは、戦争が終わって40年たった頃、
「わたしたち」が56歳、あるいは57歳になってから。
「わたしたち」の台湾も〇も〇も…みんな「わたしたち」のものではなくなってから。
「わたしたち」が作った風船は殺人兵器だったのだ。
「わたしはまぎれもなく加害者だった」と気づかされ、
「わたしは、わたしの記憶とわたしたちの記録を繋ぎあわせてゆく。」
「わたしは、それを小さな小冊子にまとめて本にした。」
戦後80年近くたった今、“戦争する国づくり”が静かにすすめられているように感じます。戦争は入念に準備されて行われます。軍事面は勿論ですが、経済も教育も。侵略を美化する教科書が採択されたりしています。今こそ“記憶”と“記録”をしっかりと受けついでいく事が求められています。
小説の最後の行は、「わたしはこの地面の上を歩く。」です。かつてはがれきや死体が積み重ね上げられていた地面のことを忘れず、二度とあんな地面にはしたくない。戦争は始めたら終わらない。ウクライナしかり、ガザしかり…。さまざまな思いがこみ上げてきました。
作者の小林エリカさんは、こう呼びかけています。
「一人一人の声で動かすことができる。それは信じられる希望だと思います。これから歴史をいっしょにつくりましょう。」
『女の国会』 新川帆立 著 清水英子様
とても面白く読みました。議会というところが、女性にとってこんなに過酷な所なら、女性議員を増やそうなんて軽々しく言っていいのかと悩みます。でも、半数が女性になれば、女性も活動しやすくなるのかも。悩ましいですね。
ミステリーとして読んだとき、早くにネタバレしてしまったと言われていましたが、カンの悪い私は、最終章まで分からず楽しめました。
『コロナ危機と未来の選択』 アジア太平洋資料センター編 伊藤大典様
この著作は、アジア太平洋資料センター(PARC)という、南と北の人々が対等・平等に暮らせる世界をつくるための調査研究・政策提言、市民教育を展開するNGOが編集しています。
PARCが対面で実施していた「PARC自由学校」が新型コロナの影響を受けオンラインでの講座の講義録を基に「提言」として纏められています。
第1章は、新型コロナウィルスを歴史的な視野から位置づけ、スペイン風邪からの教訓をもとに我々はいまどういう地点に立ちコロナ禍に直面しているのかを考える。
第2章は、日本以外の国の感染状況と政府・自治体の対応を通して、日本のコロナ対策の問題点を考える。
第3章は、山積する課題を前に、私たちは何を糸口にどのような未来を描いていけるのか、5人からの提言を受ける。
という構成になっています。
最後の提言がこの本の核になりますが、政治・経済問題、環境問題、市民社会の在り方など、これは理想論ではなくそれを実現できないと、人類に未来は描けないとも思いました。
まずはご一読いただくことをお勧めしますが、その中で印象に残ったことを少しピックアップします。
適切な感染症対策や医療体制が必須であるコロナ禍において、きっちりした対応が出来なかったのは、それまでに展開された公的領域の縮小やセーフティネットの崩壊であったことや「病気になるのはその人のせい」「健康でいなければならない」という考え方が正義となり、自らの正義を他者に押し付けたり、病人を非難したりするような動きがあること。
自助のすすめでなく「人間としての尊厳の保持」が今必要であること。
国家が踏み込んで良い領域を慎重に見定め、私的で大切な領域への過剰な介入を注意深く防がなければならない。
といった辺りは、現代人が再認識すべき非常に重要な視点だと思います。
最後の提言の部分からはキーワードとして
・グリーン・リカバリー(緑の復興)➡集中から分散へ、効率からレジデンス(強靭さ)
・地域自治主義(ミュニシパリズム)、参加型民主主義➡<バルセルナ・コモンズ(市民による参加型選挙)>
・都市農村共生社会➡学校給食の有機化 等
があげられますが、基本的な政治・経済体制がこれまでの資本主義、新自由主義のもとで進められた市場原理とは真っ向から対立するフェーズに入っていること。
公益や公共財を価値の中心におく新しい社会像の構築には、利潤と市場の法則より市民の生活を優先し、人権や社会正義を実現する政治が欠かせないと指摘しています。
今の政府は、やたら人口減少を嘆きますが、その答もここにはあると思います。東京一極集中をやめる地域主権・分権を真剣に展開し、過疎化するばかりの国土をもっと活性化する方策を考えるべき時期でしょう。田園回帰が近未来への明確な提言だと思いますが、日本の政治にどれだけ期待ができるのでしょうか。
『文系の壁』 養老孟司 著 伊藤大典様
この本は、解剖学者の養老孟司氏が若い世代の四人の学者、ジャーナリストと対談したものを編集したものです。
タイトルの副題には「理系の対話で人間社会をとらえ直す」とあり、文系的発想と理系的発想との違いをはじめ非常に多角的に議論されています。
その中身は、社会科学の問題を細胞論から見つめ、国家の概念まで昇華させ電子顕微鏡の世界から宗教という世界まで際限なく展開されます。
目の前に新たな世界が現出したような思いで読んでいました。
文系と理系という区分について、元名古屋大学助教授で小説家の森博嗣との対談の中では本当の理系は理学部であり工学部・医学部は文系的であるとしている。その違いは理学部の人はまず「どうしてか」と原因を追究するが工学部・医学部の人はとりあえず「どうしようか」と対処法を考えるので文系的。
数学が出来るかどうかは「理系」の判断の要素とはならない。自然科学の学者でマイケル・ファラデーは数学を全く勉強しなかったとか、医学部も数学は全く不要だなど、数学がその分水嶺にはならないと議論されています。
私自身、高校時代は文系のクラスにいたものの、物理や化学・数学が好きで、大学入試では化学を選択し数Ⅲも一生懸命勉強していたので文系・理系という区分をあまり認識はしませんでしたが、この著作を読みながら社会経験などを通して徐々にこの本で言われる文系的な発想に寄っていったようです。
第二章の理科学研究所チームリーダーの藤井直敬氏の対談では、人類社会は交換から始まっており、動物と人間社会との違いは「交換」があるかないかだとか。
第三章のスマートニュース㈱会長で東大特任研究員の鈴木健氏との対談に最も興味を持って読みました。
人間社会は二十世紀の国家の時代から都市の時代に変わっていくことが議論されています。
国境という膜で区切られた国家という政治的な囲い込みの原理で成立しており、無理矢理作られた国民という概念に1900年代後半からは少しずつ違和感が持たれその違和感がどうしようもないほど高まっていること、資本主義による資源の集中と国家による資源の囲い込みの二つが現代における最大の問題だと指摘されています。
そういった時代にあちこちで国家間の戦争という行為を続ける人間の愚かさに人類に未来があるのか疑問に思ってしまいます。
目次をめくっただけでも興味を持たれる項目が多いと思います。ちょっと異なった観点から幅広い分野の議論が展開される面白い著作です。是非一度は手に取って見られることをお勧めします。
『学問の自由が危ない ― 日本学術会議問題の深層』 佐藤学・上野千鶴子・内田樹 編 伊藤大典様
現在の地球規模での環境問題、混迷する国際政治、格差の広がる経済状況をみると、この地球の未来に生きとし生けるものが明るい希望をもつことは非常に難しい状況にあると思います。
この地球の破滅的危機を打開するカギを握る要素の一つは政治の力でしょうが、日本を含め世界の政治状況はどんどん悪化しており、そういう希望を託すには程遠いと言わざるを得ません。
破滅まで限られた時間しか残されていない現在、日本の政治状況を打破し、この困難な時代に立ち向かう政府となるには国民の意識が劇的に変化することが必要ではないでしょうか。私の尊敬する政治家は石橋湛山元首相ですが、彼のようなゆるぎない信念を持つ気骨のある政治家の登場も必須です。
日本人の政治に対する意識はどの国よりも淡泊、とりわけ若い層の関心が薄くなっている感じがします。それは自分や近い関係以外にまで意識をめぐらすだけの余裕が無いからなのでしょうか。
日本学術会議の任命問題が出てきた際には、安倍政治から続く露骨で異常な政治状況の中で、政府が学問の自由に対し変な政治介入をしてきたことを憤慨していました。しかし、その底辺を流れる民主主義の破壊につながるこの暴挙の深刻さまでには考えが至りませんでしたが、この『学問の自由が危ない』を読み、その深刻さについて新たな認識に至りました。
この書物は、この問題に世論が冷淡であることに危機感を抱いた、佐藤学氏、上野千鶴子氏、内田樹氏の3氏が中心となり編集され、この問題の背景に何があるのか、学術会議はなぜ必要なのか、さらに学問の自由とはなにか、それがなぜ必要なのかということを13人の方々の意見をまとめ緊急出版されている。
上野氏の『学者は権力にではなく、真理にのみ仕える。』、佐藤氏の『学問の自由は……その本質は政治権力からの学問の自由と独立性にあり、……真理を探究する学問共同体の自立性を意味している。』、という政治と学問の関係の在り方について論考しながら、内田氏の『官邸はただイエスマンで埋め尽くされた社会を作り出したいということしか考えていない』というように第2次安倍政権以降の政治の軽薄で内容のない政治を痛烈に批判している。
いずれにしても、ご一読をお勧めしたい一冊です。この日本が「民主主義体制を殺しはしない。骨抜きにするだけ」という「新しいファシズム」と言われる政治に向かうことを何としても避けるためには、多くの人々にこの危機的状況を認識してもらうことが緊急的課題ではないでしょうか。
『民主主義』 文部省・著 中西 美砂子様
1948年に出た「民主主義」の教科書。中高生向きに書かれたものだけれど、内容は教養書。ソクラテスからケインズ、マルクス・エンゲルス。リンカーンの奴隷解放令、フランス革命、イギリスの人民憲章…、民主主義の歴史をわかりやすく書いてある。
民主主義の理想が格調高く書かれている。まだ、その理想は実現されていない。75年前の熱量!理想の民主主義を実現していくための道筋と、独裁への道へ向かわぬためにどうすればよいかを書いている。しかし今、金権政治であったり、一部の者の政治になったりしているようで、国民のための政治になっていないという思いがある。「国民一人一人の努力がいる。他人まかせではだめになっていく」という言葉が耳に痛い。
さらに、ジェンダーの視点、「女性が政治参加していくことが重要だ」と書いてある。これもまだ実現していない。
今読んでも充分読みごたえがある。
『銀河鉄道の父』 門井慶喜 著 玉谷恵美子様
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの作品は、彼の弟テオがいなかったら私たちは今それらを目にすることはできなかっただろう。パリで一流の画商として働いていたテオが兄の才能を信じ、兄の生活、絵画を支えたからこその賜物だ。
では、「銀河鉄道の父」=宮沢賢治の父政次郎は息子の才能を信じたから、農学校の教員として自立するまで彼の生活を支えたのだろうか。そうではない。父親としての責務からだろうか。いや、政次郎は惣領息子・賢治がただただ可愛かったのだ。彼は父親喜助に「お前は父でありすぎる」と苦言を呈されるほどの愛情を示す。それが如実にあらわれているのは、賢治が赤痢やチフスに感染した時、医者がしなくていいというのに、ふりきって自ら賢治の看病をするところだ。明治の家父長制度の価値観の中で育った男性にしては本当に珍しい。賢治の看病のため自分も腸を悪くし、夏には粥しか食べられぬようになっても二度目の看病をしている。こんな父親は他にいるだろうか。
賢治の才能を信じ彼の行くべき道を示したのは、すぐ下の妹トシだ。トシは賢治の詩『永訣の朝』でよく知られている。詩の中の「あめゆじゅとてちてけんじゃ」=雨雪、みぞれを取って来てちょうだい、という言葉は結核に伏すトシの言葉として耳を離れない。24歳で亡くなるかわいそうな妹という印象をトシに持っていたが、実際は違う。利発で賢治のよき理解者であり、同志であり、日本女子大学校を卒業後、花巻高等女学校の教員をつとめていた。父政次郎も手紙の文面を比較して、賢治よりトシの方が文才があると認めるほどだ。トシの祖父喜助が年老いて暴言が多くなり家族が困っていると、祖父をいさめる手紙を送った。その手紙から、トシは芯のしっかりした進歩的な考え方の女性で、賢治も彼女を心の支えとしていたろうと思ってしまう。
『永訣の朝』の詩のトシの遺言ともとれる二行をめぐる父政次郎と賢治の対決がこの小説の中に書かれているが、この正面対決は私にはよくわからなかった。しかし、この二行にはトシの、そして賢治の悲痛な願いがこめられていると思った。
賢治は花巻農学校の教員になり、亡くなるまで親のすねかじりだった。政次郎は賢治にとって大きな壁だったろう。死ぬかもしれない病気を看病し命を救ってくれた父親、度々のお金の督促にも送金してくれる父親に、賢治は深く感謝しつつも大きな負い目を感じていたのではなかろうか。
何歳の時には、父親には何人子どもがいて彼らを養い質屋兼古着屋として順調に商売をし、一家の柱としてゆるぎない存在だった。何歳の時には…、と賢治は何度も父親と自分を比較し、その心の中は葛藤で渦巻いていたのではなかろうか。何者かにならんとし、父を超えようと突飛な事業を思いついたりしたのだろう。また、父への反発として、父親は浄土真宗の活動家でもあったのに対し、賢治は法華経に帰依し、それは終生変わることはなかった。私には賢治の父親への抵抗と思えてきた。
有名な『雨ニモ負ケズ』の詩の中に「ホメラレモセズ クニモサレズ」の二行がある。この小説を読んで、父親にほめられたいと頑張った賢治、長男として不甲斐ない自分を父親が苦にしているのではないかと思い巡らせている賢治が、その二行から浮かびあがってくる。『雨ニモ負ケズ』の詩の最後の行に「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」の二行があるが、この小説で賢治が心底なりたいと思ったものは何であるかが腑に落ちた。著者 門井慶喜さんははっきりと描いている。その個所を読んだ時、そうだ、その通りだ、私もそう思うと強く感じ胸がつまった。
宮沢賢治は37歳で父親や家族に看取られて亡くなった。賢治は、彼の詩や童話で父親 政次郎の壁を越えた。政次郎は、長男長女の早逝という逆縁の不幸に見舞われながらも84歳の天命を全うした。
今頃は賢治も政次郎も銀河鉄道に乗って、「……ンだな、お父さん」「ンだな、賢治」と花巻の言葉で談笑しているに違いない。
『絵本探検隊』 椎名誠 著 栗山京子様
世界のどこまでも探検に行く椎名誠。絵本についてこんなに豊かで、宇宙のように広く、海のように深い世界を持っていたなんて知りませんでした。
絵本には人生の原点が詰まっていると言い切ることができるのは、少年の心を大人になっても待ち続けているからだと思います。
こわいもの、すみか、おしっこやうんち、食べるもの、友だち、生きること、死ぬこと、乗り物、水の中、冒険など様々な絵本が表紙の写真入りで200冊近く紹介されています。
これを読むと絵本を読みたくなること間違いなし!
『白鶴亮翅』 多和田葉子 著 玉谷惠美子様
「白鶴亮翅」(はっかくりょうし)とは「白い鶴が翼をぱっと広げる」という意味で、太極拳の構えのひとつとか。
主人公は美沙。夫とともにドイツに来たが、帰国する夫と別れ、ベルリンでひとり暮らし。翻訳家として生計を立てている。出版するあてはないが、クライストという作家の短編を訳している。ドイツ語を日本語の文章にどう直していくのかも興味深い。
さて美沙は引っ越した先の隣人に誘われ太極拳の教室に通うことになる。そこでロシア人富豪のアリョーナ、グリムの森通りのお菓子作りのベッカー、フィリピン人で英語教師のロザリンデなどと知りあう。彼らや友人との交流で大きな事件は起こらず、たんたんと流れていく。
ドイツでは引っ越し祝いには塩とパンとか、ぎっくり腰にはじゃがいも2キロを皮ごとゆがいて古い枕カバーに入れて寝ると治るとか、所変われば…ということがけっこう面白い。
それでも、蚊取線香の匂いはドイツでは危険や犯罪を連想させることがあるとか、「わたしはちょっと散歩に出る時でも必ずパスポートを鞄の中に持っていた。うっかり国境を越えてしまって身元を証明できずに帰れなくなる…」かも知れない、という不安にはドキリとさせられる。
彼らの話からは、どうしてもそれぞれの国の歴史が背景として浮かびあがってくる。ドイツの中でも、ドイツ人に同化して消えてしまったプルーセン人・プルーセン語があることや、ポーランドから戦後西ドイツに越してきたドイツ人は、ポーランドではドイツ人と差別され、ドイツではポーランド人として差別されたことが語られている。
美沙は第二次大戦で死者数が一番多かったのは広島・長崎に原爆を落とされた日本だと思っていたが、そうではないことを知る。「あなたの国は…隣の国を権力下におこうとして国際社会から孤立してしまったんですよね。」と言われたりもする。そう、さら~と言われるのだ。
「自分の民族だけひいきしないで、あらゆる民族を平等に見て歴史的な証言をすることができるか」
「鶴になればできるかもしれない。」
この会話を読了してから考えている。
『くもをさがす』 西加奈子 著 栗山京子様
題名の「くも」は雲かなと思ったら蜘蛛だった。それは家族の幸福を願う今は亡き祖母の生まれ変わり。
カナダでトリプルネガティブガンになり、抗がん剤、手術、放射線治療を受け、友人たちのミールトレインや送迎、援助、励ましで日常を取り戻していく。「私は日常を完全に取り戻したのだ…素晴らしい日常を。そして、その日常は以前と同じではありえない。私は未知の恐怖を孕んだ、新しい日常を送ることになるのだ。」
日本とカナダの国民性の違いは考えさせられる。あなたに向けた本は、世界中の全ての人々に送られる。
『思いがけず利他』 中島岳志 著 山崎智恵美様
おもしろい題名と、作者が中島岳志さんなので興味があり、読もうと思いました。
「利己」という言葉は聞き慣れていますが、「利他」は聞き慣れない言葉でした(私にとって)。
利他について、落語「文七元結」や親鸞の考えやヒンディー語などから考えをまとめられています。利他についてあまり考えたことはないけれど、「自分のために行っていたことが自然と相手をケアすることにつながっていれば利他的とみなされる」と書かれてあり、なるほどと思いました。
題名の「思いがけず」とは、とっさに、ふいに、つい、思いがけず行ったことが、相手に受け取られることになる。私もそういう利他を自然にできたら…と思いました。
『民主主義の死に方-二極化する政治が招く独裁への道』 レビツキー・スティーブン/ジブラット・ダニエル 著 濱野大道 訳/池上彰 解説 西田浩様
この本はドナルド・トランプをテーマに過去のアメリカの政治の過程を記した本であるが、興味深く読むことが出来た。
このアメリカの過程を見ていると、まさに日本が同じような道筋をたどっているのがよく分かる。
特に印象に残ったことは「憲法があるから民主主義が守られていたわけではない。競い合う政党同士が『相互間用』と『自制心』を持っていたからだ」、「寛容と自制の規範はアメリカの民主主義の“柔らかいガードレール”として機能している」という言葉である。
また逆に独裁的な行動を示すポイントも重要なポイントであると感じた。
① ゲームの民主主義的ルールを拒否(あるいは軽視)する
② 政治的な対立相手の正当性を否定する
③ 暴力を許容・促進する
④ 対立相手(メディアを含む)の市民的自由を率先して奪おうとする
日本においても
① 密室で行われる政策
② 大企業・富裕層を守る為の政策
③ 議論無くして自民党の数で圧倒する政治
④ メディアを圧力で規制しようとする政治
⑤ 司法、官僚を支配する政権
などなど
最近では森・加計問題、税制、黒川検察官、高市捏造問題、原発問題、貧富の二極化、統一教会問題、消費税増税、雇用制度などを見ると日本も民主主義が壊れ、アメリカと同じ道をたどっているように思われてくる。
フランスでは年金先送りだけでもデモ、抗議が行われるのに対し、日本では村社会が根強く残っているのか誰もメディアも政府を批判することなく受け入れてしまっている。
民主主義とは何かをもう一度考え、政治、政党、政治家を注視していこうと思う。
『利休の黒 美の思想史』 尼ヶ崎彬 著 山崎智恵美様
「利休の黒」という題名に興味があり、読もうと思いました。
黒の楽茶碗を利休が好んで使っていたことは知っていました。そのため、派手好みの秀吉とは合わなかったことも。もっと秀吉との関係とかが書かれているのではと思いましたが、思想史なので、そこのところはあまり書かれてなく、期待?はずれでした。
利休が登場するまでの戦国時代からの茶の湯に関わる思想家、僧侶たちの茶の湯に対する思いをいろいろな文献から掘り下げられていて勉強になりました。知らなかったことがたくさんありすぎて、なるほど…と思うことばかりでした。
意外だったのは、利休に関しての文献が少なかったことです。でも、茶の湯(茶道)は今に続いているので、受け継がれていることの素晴らしさを感じました。
『バカの壁』 養老孟志 著 西田浩様
この本は対談や講演に基づき編集者が文章化したと前書きにあったが、話が多岐にわたり、今後考えるテーマとしてはおもしろかった。脳科学者からの発想だからかも知れないが、内容が表面的すぎ、深堀されていないのであまり興味を持って読むことができなかった。また、バカが国民我々に向けられ、強い権力に向いていないこと、この著書に興味を持てなかった理由の一つである。
なので“超バカの壁”も目を通しただけで感想はおなじである。
『アベノミクス批判』 伊東光晴 著 西田浩様
安部首相の言動から我々国民が豊かになる政策ではないことは薄々思っていたが、国民の生活を豊かにするものではなかったことがより明確になったことは、今後、政治をしっかりと考え、情報を得ることが必要であることを痛感した。
この本を読むことでアベノミクスのからくりを知り、安倍政権は国民を豊かにすることを目的にすることではなく、自身の戦前の日本を取り戻すものであったことは非常に残念なことである。
アベノミクスの矢は羽根がないか内向きの矢だったことがおぼろげながら知ることが出来た。
アベノミクスの3本の矢は
① 大胆な金融政策→金融緩和によるデフレマインドの払拭
② 機動的財政政策→経済対策予算による需要創出
③ 民間投資を喚起する成長戦略→規制緩和
であったが、羽根の無い矢、もしくは国民に向けた矢であったことがよく分かる。
私は経済の知識に乏しいので著者の指摘する問題点は明確には理解できないが、アベノミクスはこれら政策によって経済が上向き、国民の生活が豊かになるものではなかったことが分かった。また、政府の財源の確保、自身の懐古主義にもとづくものでしかなかったことが理解できた。
金融緩和は日銀の当座預金が増えるだけであって、一般企業の設備投資には結びついておらず、景気の回復には何の寄与もしていなかったとは残念なことである。結局、企業による投資は行われず、それにまつわる中小企業も苦しめられるだけに終わり、金利も下がることにより個人資産の金利も下がり所費を促すことができないばかりか、資産の目減りを招き、貧困化が進んだだけに終わったようである。
株価の変動は海外の投資家によるものだとは聞いていたが、何故、海外の投資家が日本株に注目した理由を知ることもできたが、海外の投資家が日本の株式市場から手を引けば、たちまち日本の貧困化、経済の停滞を招くことが非常に恐ろしい。
MMT理論もあり国債を発行して財政投資をすべきという考え方もあるが、本当にそうであるのか不安になる。MMT理論をもっと深く勉強したいとも思った。
財政支出も殆ど出来ていないことも知ることができた。財政支出の少なさにも驚いたが、少子化による財源の減少、支出の減少は目に見えている。これを補うための財政支出が必要であること、また何に財政支出をしなければならないかを考え、早急に考えなければならないとも感じた。(私ではなく政府です)
消費税のあり方、雇用制度の在り方、原発を含めたエネルギー対策、食料自給など今後どうあるべきかを考える、考えなければならないことをこの本を読んで改めて実感した。
もう一度、この本を読みなおし政治経済の仕組みを理解したい。
『『面白南極料理人』 西村淳 著 栗山京子様
南極ドーム基地での生活。そこは昭和基地から1000kmかなた、標高3800m、平均気温-57℃、酸素も少なく太陽も珍しい世界で、世界一過酷な場所である。精神的にも肉体的にもタフでなければ生活できない。そこで過ごした仲間8人との泣き笑いの日々。
食事担当の著者が仲間の絆を深めるために工夫を凝らした料理を作る。中華三昧メニュー、蟹づくしパーティーなど、メニューと写真を見ているだけでも楽しい。
そのうえ、過酷な環境にも負けず、試練を乗り越えるエネルギー。ユーモアたっぷりにトラブルをクリアする様子に読者もハラハラ、ドキドキ、クスリとさせられる。読んだ後さわやかになれる本。
『月金帳』 牧野伊三夫・石田千 著 小林 順子様
『月金帳』、月曜日と金曜日に「港の人」という鎌倉の出版社のWEBでの往復書簡をまとめた本です。
コロナ感染で社会が不安だった2020年。そんな中、牧野さん(画家)と石田さん(作家)の手紙のやりとり。季節のことから始まって、散歩にでた近所の話、そして何より食べ物のお話。素敵な言葉で綴られています。私はお二人の日々の暮らしを優しさの溢れる文章で読み、すっかりファンになりました。
まずは牧野さんの著書を『かぼちゃを塩で煮る』『画家のむだ歩き』を追っかけ読みました。我が家の食事の話題は「この料理ね、牧野さんに教えてもろた」「牧野さんのお家は七輪があるねん」。夫は「牧野さん?」・・・
牧野伊三夫さん石田千さんの話が当分つきないのです。
『鎌倉河岸捕り物控え』シリーズ 佐伯泰英著 G様
古代ギリシャ史が専門の恩師が入院中に一日一冊読んでいらっしゃったと聞いたこともあって、不思議に思って読み始めたら、これがハマってしまった。シリーズの各冊に序章があり、その後に短編が5,6編続く。序章に書かれた事件が後のそれぞれの事件に関連し、最後に序章の事件が解決するという構成。
時代小説をほとんど読んだことがなかったうえに、小説の舞台が江戸なので、地名にも役職名にも疎い私がハマった理由は、登場人物が魅力的に描かれているからだろう。そして毎回主人公たちが日本酒とともに口にする豊島屋の「田楽」。食べたい!
『地球にちりばめられて』 多和田葉子 著 玉谷 惠美子様
多和田葉子はドイツ在住の作家で、独語と日本語で作品を発表し、日本より海外で有名、と友人から聞いて『献灯使』を借りた。ふしぎな多和田わーるどに惑わされ、読了後、頭の中にクエスチョン・マークが渦巻いていた。
『地球にちりばめられて』は免疫ができたせいか、すぐに作品世界に入れた。主人公はHiruko。ヨーロッパ在学中に母国が消滅し、その理由もわからないらしい。「そんな馬鹿な…スマホで調べればすぐわかるのに…」という疑問は脇に置いて読み進める。
Hirukoは移民となってしまったので、移民がひとつの国に定住するのは難しいと考え、スカンジナビア諸国で通じる「汎スカンジナビア語」=パンスカ語を創り出す。
Hirukoは自分と同じ母語を話す人を探しに旅をする。その彼女にひょんなことから同行する若者たちは、デンマーク語、ドイツ語、英語を自由に駆使する。彼らはスマホのメールやテレビ電話(?古いかな)ではなく、とにかく直接会って話をする。会うことが大切なのだ。
旅もオーデンセ(デンマーク)、トリア(ドイツ)、アルル(フランス)と、国境のない世界を行くかのようだ。
そして、「〇〇の国の人」という属性が消え、それぞれの個人が浮かびあがる。だからか、登場人物の名はHiruko、クヌート、アカッシュ、ノラ、ナヌークと名前だけ。名字は示されていない。
最後にSusanooが登場する。ここまできてHirukoという主人公の名前がイザナギ、イザナミの『古事記』に由来するとはたと気づいた。
これは三部作のうちの第一作らしい。全部読み終えると、なぜHiruko、Susanooという名前がついたのか、母国(日本)消滅の理由もわかるかもしれない。Susanooの子ども時代の回想の中にそのヒントがあるとは感じるが…。
「読み終わって面白かった」という本でなく、「Hirukoの旅はどう続くのか」と次への期待をふくらませる本だった。
『小説 火の鳥 大地編』(上・下) 桜庭一樹 著 手塚治虫 原案 吉村 洋子様
手塚治虫が大好きだった私は壮大なファンジー漫画『火の鳥』をはるか昔に読破していた。そして、遅ればせながら昨日やっと桜庭一樹の『小説 火の鳥 大地編』に出会った。
手塚治虫の大地編の構想原案なるものがあるが、果たしてこれが漫画として完成していたらどのような展開になっていたのか読んでみたい。しかし小説としてのこの本は実にいろんな仕掛けがあって面白くできている。手塚治虫の漫画のキャラクターは、小説の中の登場人物としてまるで劇中劇ならぬ小説の中のアニメ映画を見ているようで生き生きとして楽しい。はるか昔に滅びた楼蘭の姫が歴史を塗り替えるべく火の鳥を手に入れると何度も違う物語として不条理な展開が広がる……。
その中で決して人間が触ってはならない生命、時空の神秘。トールキンの『指輪物語』をも彷彿とさせる大人のファンタジーなのだ。
満洲と阿片 楠 元康様
旧満州をテーマにした本、三冊を読んだ。『地図と拳(小川哲 作)』『幻月と探偵(伊吹亜門 作)』『落陽(伴野朗 作)』である。それぞれSF風、サスペンス風、ドキュメント風とスタイルは異なるが、異色の歴史小説である。興味深いのは、この三冊が、満洲国の歴史の深層に、阿片をめぐる戦いがあったことを克明に描いていることである。
周知のように、かつてイギリスは阿片を武器に公然と中国(清)を侵略(阿片戦争)し植民地化した。阿片は清国国民ばかりか清国皇室にも蔓延し、清国は滅亡に至るのである。一方日本は日露戦争の戦利品として得た満州鉄道を足掛かりに中国東北部を占領、清国最後の皇帝、溥儀を担ぎ出し、傀儡政権である満州国を樹立するのであるが、その目的は満州国を「五族協和」「王道楽土」の地にするとした。しかし関東軍は、満洲国の設立の費用や、その後の日中戦争の費用の多くを実は阿片の専売で得ていたことが、この三冊の歴史小説に赤裸々に描かれている。イギリスは公然、日本は隠然の違いはあれ、阿片を中国支配の道具としたのである。
このような歴史事実を今の日本人がどれだけ知り、理解しているだろうか。今の若い世代は、満州を日本が占領し、「王道楽土」の宣伝に惑わされ海を渡った満洲開拓日本人の悲惨な結末を知識として知っているだろうか。今日の日中問題を語る上で、最低でもこの歴史を踏まえることが必要であると思う。そのためにこの三冊は入口として面白い。
この三冊の本は、実は福井さん運営の「猫婆軒」で借りたのである。静かな住宅地で整然と並べられた本、また飾られている中国等の古代鏡やその他の遺物を見ながらゆっくりと過ごす時間もおつなものである。
『22世紀を見る君たちへ』を読んで 著者 平田オリザ 伊藤大典様
『22世紀を見る君たちへ』は、初めて猫婆軒にお邪魔したときにお借りした一冊ですが、その頃に読んでいた東北大学加齢医学研究所の川島隆太氏が監修された、『やってはいけない脳の習慣』という書物と通ずる点を見つけながら楽しく読ませて頂きました。
川島隆太氏の本を問題提起の導入部分とし、その解決策の一つを平田オリザ氏の本に見つけるという、自分なりの構成で二冊を読み、姫路市議会での一般質問のテーマの一つとさせて頂きました。
これからの時代を生きる子どもたちに求められる力はどういうものなのか。地頭(じあたま)をどうするのか。フランスの社会学者ピエール・ブルデューがいう「身体化された形態の文化資本」が求められることになると言われています。それは集中力や忍耐力、やり遂げる力や協調性など、測定が難しいけれど知識や思考力を獲得するために必要とされる非認知スキルと言われる能力にもつながっています。
明治以降、教育の地域間格差が少ない日本という国が作られてきましたが、現在は文化の地域間格差と経済格差の両方向に引っ張られ、子どもたち一人一人の「身体的文化資本の格差」は急速に広がっています。文化的な刺激は東京を中心とする大都市には溢れる一方、地方は貧弱でありその格差は非常に大きくなっています。またこの格差の問題は経済の格差とも直結しています。
更に地方都市で生活していると公的な支援がなければ身体的文化資本の格差はより広がりやすい状況にあります。それを少しでも緩和するためには、子どもたち一人一人の身体的文化資本が育つような教育政策に切り替えていくことがこれから必要とされます。
経済的に格差があっても、文化により様々な人々も一緒に包み込む社会包摂的な政策を展開させることが今求められています。
そのためにどうするのかという答えが、この本『22世紀を見る君たちへ』に書いてあります。
平田オリザ氏はそのためには地方自治体が教育政策と文化政策を一体化させること。具体的には、演劇教育やコミュニケーション教育の重要性を指摘されており、そのことにより身体的文化資本が形成されると提案されておられます。そういった観点から教育を展開すべきだと本会議で提案をさせて頂きました。
『22世紀を見る君たちへ』は読みやすい書物です。ご一読をお勧めします。出来れば『やってはいけない脳の習慣』との二冊をご一緒に読まれるのも面白いのではと思います。
書かれたことと、書かれなかったこと 江村 一乗様
2017年ノーベル文学賞を受賞した、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を読んだ。キャシーという31歳の女性が、ヘールシャムという名の外界から隔てられた施設で、16年間を保護官と呼ばれる先生のもとで過ごし、提供者として成長する。さらに、同じような施設からの人達と、コテージでの生活を数年間経験したあと、介護人としての11年を生きる。その思い出が、音楽のないモノクロ映画のように描かれている。
読む者の特権で、ここがキモだと思えるところを取り出して考えてみた。
提供者の子供たちが、将来の夢を語り合っている場に、たまたま居合わせた保護官のルーシー先生が、彼らに向かって話す。
「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。それが問題です。形ばかり教わっていても、誰一人、ほんとうは理解しているとは思えません。あなた方は誰もアメリカには行きません。映画スターにもなりません。先日、誰かがスーパーで働きたいと言っていましたが、スーパーで働くこともありません。あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。中年もあるかどうか……。あなた方は提供が使命で、その目的のためにこの世に生み出され、将来は決定済みです。無益な空想はもうやめなければなりません」。
キャシーの友達トミーは、「何をいつ教えるかって、全部計算されていたんじゃないかな。保護官がさ、ヘールシャムでのおれたちの成長をじっと見てて、何か新しいことを教えるときは、ほんとうに理解できるようになる少し前に教えるんだよ。だから、当然、理解できないんだけど、できないなりに少しは頭に残るだろ? その連続でさ、きっと、おれたちの頭には、自分でもよく考えてみたことがない情報がいっぱい詰まってたんだよ」。
教わっているようで、ほんとうのところは教わっていない。理解しているようで、ほんとうは理解していないのに、当人は理解していると思っている。何とはなしに納得し、それをもとに行動する。これはある意味、かなり怖いことだ。
また、提供のためにこの世に生み出された存在とは、どのような存在なのだろう。普通に考えると、提供のむこう側に、それを必要とする存在があるはずだ。必要と提供。需要と供給。動物性タンパク質を必要とする人たちのため、肉牛を肥育して供給する。安く仕入れて、高く売る。そう、市場経済社会の大原則がある。
知性も感情をもそなえた提供者は、反抗することも、逃亡することも無く運命を受け入れる。彼等は四回の提供で使命を終える。そのために作り出され、飼育されたのだ。その日常が、淡々と書かれた不思議というか不気味な世界だ。
『中村哲物語』 松島 恵利子 著 G様
2019年12月ニュースで中村哲医師襲撃を知り、ショックを受けた。それまで講演会に行ったことも著書を読んだことも無かったけれど、彼がアフガニスタンで何をしているかは少し知っていた。あれだけ人々のために行動していたのになぜ襲われたのかわけが分からなかった。しばらくして、「ペシャワールの会」の出版物と中村哲さんの著作を読みたいと思うようになった。まず子ども向けのこの本から読むことにした。
作者の松島恵理子は人権教育映像の脚本を数多く手がけている人で、正確に事実を再現している。ここには中村医師の心にしみこんでいた祖母の言葉が書かれている、『弱いものは進んでかばうこと。どんな仕事も同じように尊い。決して職業で人を差別してはいけない。どんな小さな生き物の命も大切にしなくてはいけない』。
この伝記を読み、自分の考えを持つ子どもたちが育ってくれることを願う。
『クララとお日さま』 カズオ・イシグロ 著 中西 美砂子様
ノーベル賞作家のカズオ・イシグロ氏の作品を初めて読みました。
人工知能のロボットが語り手となる文体に はじめは慣れなかったけれど、読みすすむにつれて夢中になりました。
最後のところに「ジョジーの中に特別なものはない。でも、特別な何かはあります。ただそれは ジョジーの中にではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。」とあり、心にしみました。
『ぼくはホワイトでイエローで、ちょっとブルー』 ブレイディみかこ 著 中西 美砂子様
子どもが中学生のころ こんなにもいろいろな話をしていたかな、みかこさんはすごいな、と思いました。
中学生くらいの子どもたちや大きくなった娘にも読んでほしい本です。
日本の学校と違い、教えられる中身もですが、子どもたちの考えていることも母親の対応も です。
広い視野を持つということの本当の意味を考えさせてくれる本です。とても良かった。帯の「一生ものの課題図書」、本当にそうです。
『パンとサーカス』 島田雅彦 著 中西 美砂子様
500ページ以上のこんな厚い本読めるかなと思ったけれど、読みはじめると夢中になってしまいました。久々に本に没頭!!
今の世の中の様子をフィクションにしてあり、途中からは どうなるんだろうとワクワク ドキドキしながら、読みおわるのがおしいような、どんな結末にするんだろうとはやく知りたいような、そんな気持ちになりました。現実世界で安倍元首相の暗殺がおこり、ついつい勝手にどんな陰謀が…と想像してしまいました。
エンターテイメントとして ひきこまれて、3日で読了しました。
ほんとうに おもしろい!!
本とのめぐり逢い 江村 一乗様
家から歩いて5分ほどのところに私設図書館ができた。名を「猫婆軒」という。宮沢賢治の『注文の多い料理店』にちなんだそうだ。日・月曜日に開かれている。さっそく覗いてみた。
蔵書は5千冊を超えるくらいだろう。漫画も4、5百冊ほど並んでいる。そのなかに四六版の上製本で『カムイ伝』全巻38冊があった。それは天地小口の変色も無く、カバーも帯も付き、売上票とアンケートはがきまで挟まっていた。書店の棚がそっくり引っ越して来たかのようだ。
『カムイ伝』の作者白土三平は、本名が岡本登、1932年東京に生まれた。父親はプロレタリア画家の岡本唐貴、特高警察による拷問の後遺症で、脊椎カリエスを病んでいた。白土は幼少の頃からかなり苦労して成長したようだ。戦後、紙芝居の制作や人形劇団の舞台背景の制作に参加し、その間に漫画を学んだ。貸本屋の時代になると、若者むけにストーリー性を重視した劇画雑誌『影』に『忍者武芸帳』を発表して注目される。
1964年に青年漫画雑誌、月刊『ガロ』が創刊され、『カムイ伝』が連載され始める。『カムイ伝』は、徳川幕府がまだ盤石でない時代の日置藩(架空)を舞台に、武士、農民、商人、非人が登場する。「士農工商」という厳しい階級社会は、さらに細かい身分に分けられていた。武士は将軍を頂点に、大小の大名、その下に上士、下士、足軽、郷士、浪人、等々と分断されていた。ちなみに一領具足(兵農未分離の地侍)といわれた土佐郷士の坂本龍馬は、下駄を履くことを許されなかった。
農民もまた、名字帯刀を許された大庄屋、庄屋、田畑を所有している本百姓、田畑を持たない下人にわかれる。最下層の商人はというと、金を武器にじわじわと階級社会を蝕み始めた。さらに、階級にも入らない非人を、制度として作った。支配する者と支配される者を、細かく何段階にも分けことで、支配を安定させた。今もって分断支配は権力者の常套手段である。
話の流れのひとつは、本百姓になるために、綿の栽培に挑み、桑を植えて養蚕を試み、川に堰を作り荒れ地に水を引いて、耕地を得ようとする下人の正助。もうひとつの流れは、非人の子供として生まれ、その境涯から抜け出すために忍者をめざすカムイ。罠にかけられて一門を滅ぼされた若き脱藩剣士、草加 竜之進。謎の商人、夢屋 七兵衛。そのほか多くが絡み合って物語は展開する。まるで社会学の入門書を読まされているかのようだった。
その頃の漫画雑誌『ガロ』の紙質はかなり粗末だった。愛読者だった私は、単行本になった『カムイ伝』を目にしたとき、ちょっと戸惑った。ぼさぼさ頭にTシャツとGパン、足元はスニーカーだった友人が、髪を七三に分け、スーツにネクタイ革靴といういでたちで、何十年かぶりかに現れた。「なーんか似合わないゼ」といったところか。とりあえず『カムイ伝』を借りて、なつかしく読ませてもらおう。
「パンとサーカス」 G様
題名の意味も知らず、毎日新聞の書評を読んで手にした厚さ(557ページ)の本書。第1部を読み終え、日本の置かれている位置に全く気づいていなかった己の無知を深く反省。テロをよしとする気はないけれど、赤木さんのことやバイデン米大統領が横田基地から日本に入った(正式には密入国になる)ことなど、日本の政治はどうなっているのか、そして私たちはそれに何もしないでいいのかなあと考えさせられました。
『ザ・賢治』 清水 公子様
福井柏舟先生の書に迎えられ、整理された書棚に並べられた書物をゆっくりと見せていただきました。
宮澤賢治のすべての作品が掲載されている全集を教えてくださってお借りしました。『どんぐりと山猫」『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』、初めて読んで
からの数十年が思い出され、知らなかった童話も読み、自然と人間を心から愛し、身も心も捧げつくした賢治の願いが心に染み渡りました。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」、知らなかった所もすべて書き写しました。
『小川未明童話集』にも人の心に訴えかける思いを感じました。
落ちついた静かな時をありがとうございました。