青銅器・銅鏡
銅鏃
銅鏃は青銅製の鏃(やじり)で、中国では商(殷)代(BC17世紀頃-BC1046)には使用されていた。逆刺(さかとげ)のある有茎鏃は商、西周(BC1046-BC771)時代に多く、東周(BC770-BC256)~漢代(BC206-AD220)は三翼鏃(三角鏃)に一般化していく。
日本の場合、弥生時代の銅鏃はほとんどが仿製の両翼のものであるが、まれに中国製の三翼鏃が出土することがある。芦屋市の会下山遺跡で出土した1点が兵庫県立考古博物館に展示されている。
猫婆軒にある銅鏃は1点を除きすべて三翼鏃である。写真に見るように、時代や地域によって茎(なかご)の有無や形状には様々なバリエーションがある。
左下にあるのは三翼族を射る弩(ど・いしゆみ)の引き金に当たる部分である。クロスボーと構造的に同じ弩は、弓に比べて初速が早く飛距離と貫通力に優れていた。また、照準も合わせやすく命中精度も高かった。展示のものは小さいため有効射程が100m程度の弱弩だと思われる。
八禽博局鏡(方格規矩鏡)
時代:東漢(後漢)
(A.D.25-220)
直径133mm・360g。下と同タイプの方格規矩鏡であるが、外区の鋸歯紋が一周多く銘文を持つ点が異なっている。また、中国鏡であるのもかかわらずLが正Lになっているのが興味深い。
八禽博局鏡(方格規矩鏡)
時代:東漢(後漢)
(A.D.25-220)
直径116mm・355g。紐を方格(四角形)で囲み、規矩(コンパスと曲尺)をTLVで表しているとされ、方格規矩鏡と呼ばれる。中国では古代のゲームボードの名前から博局文鏡とも言われる。
外区は双線波紋、鋸歯紋の順で線条紋が続く。乳は8個。簡略化された8羽の鳥が配されている。
多紐細文鏡
時代:紀元前2世紀頃?
朝鮮半島の初期金属文化を代表する青銅鏡である。中国鏡と異なる特徴を持つ。鏡背の中心からややずれた位置に2・3個の紐があり、細い凸線で表現された緻密な幾何学文様を基本としている。文様には細線鋸歯文、綾杉文、同心円文、斜格子文などがあり、鏡面は凹面で縁の断面は蒲鉾状をしている。韓国では精文鏡と呼ばれる。
中国遼寧地方で前6世紀に出現した多紐鏡の影響によって、前3世紀に朝鮮半島独自の多紐粗文鏡(写真下)が、さらに前2世紀に多紐細文鏡が成立したとされる。
日本へは弥生中期(BC4C-AD1C)前半ごろ、九州北部にもたらされ、唐津市宇木汲田遺跡12号甕棺墓、福岡市吉武遺跡群高木遺跡3号木棺墓など、10数面出土している。中期後半以降は前漢鏡と交代していく。(弥生時代区分については歴博グループの説に従った)
展示の細文鏡(写真上/直径20.2cm)と粗文鏡(下/直径19.4cm)は中国吉林省ないし遼寧省の出土とみられる。
光流五瑞獣銘帯鏡(光流素月瑞獣葡萄鏡)
時代:隋(A.D.581-618)-唐初
直径135mm・縁厚7mm・重量305g。
銘文:光流素月、質禀玄精、澄空鍳水、照迴凝清、終古永固、莹此心霊
展示の鏡は1958年5月河北省安新県で出土したものと同笵である。また、銘文もデザインも寸分違わない鏡が故宮にも蔵されている。展示品よりサイズが数ミリ大きいようだが、原鏡あるいは同笵鏡と思われる。少なくとも同一の工人集団によるものと認められる。
画文帯対置式神獣鏡
時代:三国-西晋(A.D.220-265-316)
出土:浙江省紹興市
直径121mm・265g。日本には数少ない紀年鏡である。
銘文は右回り、「建興二年八月廿日造作明鏡服者延寿楽☐英宣子」。
「建興二年」は3つあり、1つは蜀、劉禅の西暦224年である。魏の黄初五年、呉の黄武三年に当たる。二つ目は呉、孫亮の建興二年で、魏の嘉平五年、蜀の延熙十六年に当たり、西暦253年である。三つ目が西晋の場合で西暦314年である。
この神獣鏡は鈕が平らで大きく鈕穴は長方形に近いという呉鏡の典型的な特徴をそなえている。また、紹興郊外から出土していることからも呉あるいは西晋の建興二年と考えるのが妥当であろう。
出土状況なども不明(おそらく盗掘品)であり、呉と西晋のいずれかについては銘文の内容や文様からは判断は困難。呉であれば、卑弥呼の死(247年)の6年後の鋳造となる。
蟠螭鏡 折叠式菱紋鏡
(左)蟠螭鏡
(右)折叠式菱紋鏡
時代:戦国時代
(紀元前5世紀-紀元前221年)
海獣葡萄鏡
時代:唐(A.D.618-907)
界線の内区は海獣(狻猊/さんげい)の鈕を中心に四頭の海獣に沿って葡萄唐草文を巡らせている。外区には葡萄の葉と実とが交互になるように巡らせ、そこに小鳥、蜻蛉などを精緻に表している。いわゆる海獣葡萄鏡で唐鏡の典型的な鏡式である。白銅製、肉厚の鏡胎を持つ。
日本には飛鳥時代から奈良時代に輸入された。高松塚古墳の埋納品や正倉院の伝世品が有名。寺社跡からの出土も多い。当時の鏡の形は、円、八花、八稜が多く方形は少ない。正倉院にも方形のものは一面だけである。
この鏡の一つの特徴は、紋様の肉取りの勾配が抜勾配ではなく、葡萄の葉先、鳥の嘴、蜻蛉の羽、海獣の顎など逆勾配の個所が多いことである。石型状の硬質雌型に文様を陰刻し、蠟でこれを抜き取って蠟原型とし、焼き流して鋳造したと考えられている。
変形四葉夔紋鏡・鳥紋鏡
(左)変形四葉夔紋鏡
時代:漢(前206-A.D.220)
(右)鳥紋鏡
時代:漢・三国・六朝
(前206-A.D.220-589)