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南北戦争期の紙幣

南北戦争期の紙幣  南北戦争中(1861~1865年)は金融が混乱した時代だった。南部連邦(南軍)は独自の通貨を発行し地域の銀行もそれに続いたため、多くの銀行が独自の紙幣を製造・流通させていた。連邦政府(北軍)も戦費調達のために紙幣を発行した。
 上:ジョージア州のMerchants Planters Bank=商人とプランテーション経営者(通常は綿花プランテーション経営者)向けに金融サービスを提供する銀行が発行した2ドル札。
 中:南北戦争時代にジョージア州の州都だったミルジェッジビルで発行された10ドル札。発行元はBank of Savannah and Augusta=ジョージア州の重要な港湾都市サバンナとやはり重要な商業都市オーガスタを拠点に広範な金融活動を行っていた銀行である。州とウェスタン・アトランティック鉄道への支払いに使用できるとの表示がある。
 ウェスタン・アトランティック鉄道の拠点は南部連合に協力するジョージア州にあったが、事実上の運営は北軍(連邦政府)が行っていたようだ。
 これら2枚とも製造過程はすべて手作業だったとされ、ナンバーやサインが手書きで記入されている。デザインには農業に基盤を置く南部の特徴や文化が反映された要素が含まれている。
 下:連邦政府(北軍)の発行した5ドル札。「ニューイングランド商業銀行 ロードアイランド」と印刷されているが、法定通貨法に基づく法的通貨であり、一般的には「United States Notes(アメリカ合衆国証券)」と呼ばれる。緑色のインクが特徴的で「グリーンバックス」という愛称の由来となった。グリーンバックスは南北戦争後もアメリカ合衆国の通貨として現在に至るも使用され続けている。

フランス革命期の紙幣

フランス革命期の紙幣  フランス革命期(1789~1799)に国民議会が導入した紙幣。アッシニアと呼ばれ、1789年当初は国有地や教会の土地などを担保にした国庫債券だったが、1790年からは紙幣となった。しかし、過度の発行によってインフレーションが進み通貨価値が急激に下落し1796年に廃止された。
 当時のフランスの通貨単位はリーブルで1リーブル=20ソル(スー)とされていた。1795年からは新アッシニアとして通貨単位がフランに変わったが、しばらくはリーブルとフランが混在していた。
 『レ・ミゼラブル』の時代(19c初頭から中頃)はすでにフランになっていたが、ソル(スー)はまだ使われていた。コゼットがなくしたのが15スー銀貨で、ジャン・バルジャンがテナルディエの妻に「ここにありました」と渡したのが20スー銀貨だった。
 写真は50ソル(スー)札。左上に「1793年5月25日採択(の法律に基づく)」、右上に「共和国の2年目」と表記されている。左横は「偽造行為には死刑を科す」、右横は「国家は告発者に報酬を与える」と読める。左下には「人権」と書かれた板を持つ自由の女神、右下には天秤を持つ正義の女神が描かれる。中央に「国有地収入を裏付ける紙幣、持参人に50ソルを支払う」とあり、サシー(財務大臣)のサインが印刷されている。透かし入りで2ヵ所に押し型があるが裏面の印刷はない。

テトラドラクマ銀貨

テトラドラクマ銀貨 テトラドラクマ銀貨
古代ギリシャ アッティカ地方 アテナイ
B.C.160-159発行 ヘレニズム様式
直径30.0~31.2mm 16.69g
表:武装したアテネ神
裏:アンフォラ上のフクロウ 右下に弓と竪琴を持つアポロ

テトラドラクマ銀貨
古代ギリシャ アッティカ地方 アテナイ
B.C.160-159発行 ヘレニズム様式
直径33.9~36.5mm 17.01g
表:武装したアテネ神
裏:アンフォラ上のフクロウ

このふくろう銀貨の裏面は、2枚とも周囲をオリーブのリースで囲み、ヘレニズム時代に流行したスタイルを取り入れている。

テトラドラクマ銀貨

テトラドラクマ銀貨 古代ギリシャ マケドニア王国
B.C.315-294発行 
直径26.5mm 17.07g

表:ライオンの皮を被ったヘラクレスの横顔像
裏:ゼウス 右手に鷲、左手に王笏

 ヘラクレスはアレクサンドロス3世(アレクサンダー大王・イスカンダル 在位B.C.336-323)をモデルにしたと考えられている。
 アテネで発行されていたテトラドラクマ銀貨(通称「フクロウコイン」)を基準に、アレクサンダー大王が自らの名を刻んだコインを征服した各都市で発行した。この銀貨は彼の築いた大帝国の基礎通貨としてギリシャからオリエントまで広く流通した。品位が高く交易において信用度のある決済通貨として浸透した。そのため、大王死後200年以上も各地で製造され続け、東西の文化・経済の交流に大きな役割を果たした。

ハイパーインフレ紙幣

ハイパーインフレ紙幣  ハイパーインフレとは短期間に物価が数倍、数十倍になる場合に使われる表現である。第一次世界大戦後のドイツは支払い不可能な額の賠償金を科せられ、支払い遅延にルールの鉱工業地帯をフランス・ベルギーが占領(1923年1月)。対抗してドイツ政府は労働者にストライキを呼びかけ、彼らの生活援助のためさらに紙幣を大量に増刷した。物流が滞り物資不足が加速、物価は異常に上昇し通貨価値は暴落した。卵は半年で1兆倍となった。あくる日に値段が倍になるありさまで、給料は週に3回となり、ついに1日に2回支払われた。喫茶店やちょっとした買い物に行くのに市民は紙幣の束を乳母車や手押し車で運搬した。最高額面紙幣は100兆マルク、物価は最終的に384億倍に達した。
 ハイパーインフレはレンテンマルクの発行によって鎮静化するが、1922-23年の間に失業率は急激に悪化、一般庶民は貯蓄を失い食料や生活必需品も途絶、子どもの栄養失調や餓死も続出した。中産階級も没落し各地で略奪や暴動が頻発した。一方、財閥や大企業はハイパーインフレによって借金が帳消しとなり大きな利益を得、動産不動産を買いあさった。その購入金額もマルク暴落でただ同然となってさらに莫大な富を築いた。このような社会政治経済状況の大混乱の中で労働者大衆は先鋭化するが急進右派も支持を高めていった。1923年11月のミュンヘン一揆は失敗し首謀者ヒットラーは逮捕された。しかしこの裁判を通じ、ヒットラーと国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の知名度は大きく上がっていくのである。
 これら3枚の紙幣は、いずれも1923年発行。印刷を急ぐために裏は白紙である。上:2千万マルク(7月25日発行)、下左:5千万マルク(9月24日発行)、下右:5兆マルク(11月16日発行)

ハイパーインフレ紙幣  下の3枚もハイパーインフレ紙幣である。上:20億ドラクマ(1944年 ギリシャ)、500億ディナール(1993年 ユーゴスラヴィア)、100兆ジンバブエドル(2009年 ジンバブエ)

クレオパトラ銅貨

クレオパトラ銅貨 プトレマイオス朝エジプト 
B.C.51-30 アレクサンドリア発行 
直径約25mm 14.43g

表:右向きのクレオパトラ七世の肖像
裏:雷霆の上の鷲

 クレオパトラ七世・フィロパトル(B.C.69-30 在位B.C.51-30)はプトレマイオス朝エジプト最後のファラオ。カエサル(シーザー)、アントニウスとのロマンスで有名である。
 クレオパトラコインと呼ばれているものには銀貨と青銅貨があり、銘文もラテン語とギリシャ語の二つのタイプが見られる。これはクレオパトラが治世中にアレクサンドリアの経済安定を図るために発行した80ドラクマブロンズ貨である。
 当時の傾向から彼女(おそらく20代)の顔が正確に再現されていると考えられている。鷲はゼウスを表すとともにプトレマイオス王家のシンボルでもある。ギリシャ語の「クレオパトラ女王」は摩耗しているが、80を意味する「Π」はクリアに読み取れる。当時は青銅の480ドラクマが銀の1ドラクマに相当した。

和同開珎

和同開珎  708年から鋳造、発行されたと推定される皇朝十二銭の第1番目の貨幣。これは翌709年(一説には721年)以降発行のいわゆる「新和同」である。これ以前に無紋銀銭と富本銭の存在が知られているが、確実な広範囲流通貨幣としては日本最古といえる。ただ当時の日本は米や布を基準とした物々交換の段階であり、流通といっても畿内とその周辺のみに限られていた。
 直径24mm前後で、唐の開元通寶をモデルにしている。正史に銭銘の記録がないため「珎」の字を「珍」あるいは「寶」、どちらの異体字とするかで、読み方に「わどうかいちん」と「わどうかいほう」の二説がある。蒐集に際しては、贋作に要注意のコインである。

テトラドラクマ銀貨

テトラドラクマ銀貨 古代ギリシャ アッティカ地方 アテナイ
B.C.5世紀後半発行 アルカイック様式

表:アテネ神
裏:フクロウ オリーブ 三日月 ΑϴE
直径20.0~24.2㎜ 16.97g

 テトラドラクマ銀貨は4ドラクマの価値を持ち、アテナイ国内の商取引や貿易の主要通貨。当時、水夫の日当が1ドラクマ。ペロポネソス戦争(B.C.431-404)で戦費支出が増大し、傭兵への給与支払いなどにも充てられたと言われる。