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含蝉(ガンセン)

『含蝉(ガンセン)』 時代:戦国・漢
(紀元前5世紀-前221年・前206年-A.D.220年)

時代:不明
37.8㎜×22.2㎜ 12.62g
 古代中国の副葬品の一種。春秋時代の頃から死者の口に玉を含ませることが行われ、漢代に蝉型の玉が使われるようになった。破邪の目的は当然であるが、蝉であることには意味があった。蝉は幼虫として地中で暮らし、再び地上に出て羽化し飛翔する。「羽化登仙」との成語があるが、死後に仙人に生まれ変わる願いを込めて、蝉を再生・復活あるいは不死のシンボルと考えたのだろう。
 玉製が多くガラス製の出土例は稀とされる。この含蝉はガラス製で裏側に銀化の兆しが認められることから時代は古いと思われる。しかし、含蝉の風習は明・清代まで続いているため時代判定は難しい。
 副葬品としてのガラス製品は後漢(東漢AD25-220)、三国・晋代(220-280-420)の墳墓から発見されている。後漢以降、中国のガラス製造技術が発展し、酸化コバルトを使用して青く着色する技術が広まり青色のガラス製品が一般的になったようである。このガラス製含蝉は不透明で黒ずんだ緑の混ざった青に見えるが、光にかざすと美しく透明なブルーを確認できる。

ガラス小瓶

推定製作地域:エジプトからシリア、イラン

 中国国内で出土したイスラームガラスである。イスラームガラスとは7世紀にイスラーム教が成立し広大な世界を支配するようになって以降、領内に存在していたガラス全般を指す。ローマガラスとササンガラスの二系統の技術を吸収し、その上に成立、発展した。器形は大型瓶や杯、あるいはこれら展示品のような化粧用小瓶の類が圧倒的多数を占め、近現代の実用ガラスの基礎を築いたといわれている。
 奈良時代から鎌倉時代にかけて、シルクロードを経て日本にも大量に輸入された。

長方体小瓶  長方体小瓶など  高さ:左10.4cm 中4.1cm 右6.0cm
 香油瓶あるいはクフル瓶のように見える。中東地域では眼の縁にラインを入れるための化粧顔料のことをクフル(コホル)と呼び、かわいらしい小瓶に入れて大事にしていた。右端は宙吹きのあと胴部を板などで長方体に成形している。左端は胴部が円筒状で頸部が長く、型を継ぎ合わせたときにできる痕跡の縦筋が残る。推定製作地域、年代は不明。

型装飾小瓶  型装飾小瓶  高さ:左4.1cm 右6.2cm
 文様を施した金属などの型に熱く溶けて柔らかなガラスたねを吹き込んで型の凹凸をガラスに写しとる技法で作られている。これらの型は単純な縦リブ(畝)文様だが、型から外した後に再度ガラスに息を吹き込んで膨らませている。その際、ガラスが重力で垂れないように吹き竿を絶えず回して均衡を維持する必要がある。そのため縦リブは螺旋状に形態変化している。

紐装飾小瓶  紐装飾小瓶  高さ:6.7cm
 やはりクフル瓶と思われる。肩部がやや張り出した逆洋梨型の胴部を持ち、底部は尖底である。容器本体が温かいうちに別坩堝で溶解された少量の色ガラスを貼り付けて加飾されている。

耳璫(ジトウ)

『耳璫』 時代:戦国・漢
(紀元前5世紀-前221年・前206年-A.D.220年)

 中国の戦国時代末から漢代にかけて盛行した耳飾り。ガラスや玉製で中心に穴がある鼓形をしている。耳たぶに孔をあけて着装する。これら展示品のいくつかには銀化が認められる。
 日本では耳栓、滑車形耳飾りともいい、主として土製品で縄文時代中期以降にみられる。

水差し

『水差し』 推定年代:A.D.3-5世紀
推定製作地域:東地中海沿岸

ローマ帝政開始(B.C.27年)から帝国の東西分裂(B.C.395年)までの約5世紀間に、ローマ帝国内で製造・流通したガラス製品の総称をローマガラス(ローマングラス)と呼ぶ。その後のササン朝ペルシャ時代などにつくられたガラスも通例「ローマングラス」と呼ばれている。
『小椀』 ガラスが砂や土中に長年置かれた場合、湿度や温度などの条件によってはガラスの成分の珪酸や酸化アルミなどが周囲の鉄、銅、マグネシウム分などと化学変化し風化現象を起こす場合がある。鉛釉陶器でも同様の化学変化が生じる。表面の変化は極薄の被膜だが、時代を重ねるに従ってまるで雲母のように多層の膜が形成されていく。その各部各層に光が当たると、銀色、金色、虹色とあらゆる色の煌めきを発するようになる。これがガラスの銀化という現象である。
このガラスの水差し、小碗も銀化の美しい一品である。