<ruby><rb>古宮</rb><rt>ふるみや</rt></ruby>神社 大阪市鶴見区

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底筒之男そこつつのおのみこと中筒之男なかつつのおのみこと上筒之男うわつつのおのみこと

古宮ふるみや神社にいらっしゃる神様

底筒之男そこつつのおのみこと中筒之男なかつつのおのみこと上筒之男うわつつのおのみこととは

『日本書紀』では主に底筒男命・中筒男命・表筒男命、『古事記』では主に底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神と表記される3神の総称が住吉三神である。
住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。

伊邪那岐命と伊邪那美命は国生みの神として大八島を生み、またさまざまな神を生んだが、伊邪那美命が火之迦具土神を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立った。
その後、伊邪那岐命は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行った。
このとき、瀬の深いところで底筒之男神が、瀬の流れの中間で中筒之男神が、水表で上筒之男神が、それぞれ生まれ出たとされる。

日本書紀によれば、仲哀天皇の御代、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「貧しい熊襲の地よりも、金銀財宝に満ちた新羅を征討せよ。我ら三神を祀れば新羅も熊襲も平伏する」との神託を得た。
しかし仲哀天皇はこの神託に対して疑問を口にしたため、祟り殺されてしまう。
その後、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて新羅へ出航した。
皇后は神々の力に導かれ、戦わずして新羅、高麗、百済の三韓を従わせたという。

『土佐日記』(10世紀中頃成立)における記述(「住吉の明神」の項)として、船旅の際、突風を起こして進めなくし、番頭が客に対して、住吉明神が何かを欲しがっているといって幣を奉納させるが、波は荒れ、弊では満足できていないため、もっと喜ぶような品を奉納しなさいといわれたため、鏡を海に奉納すると、たちまち海は鏡面のように静まった。
「ちぶりの神」の項では、海賊が追いかけてくると聞き、番頭に命じて幣を落とさせ、幣が散った方=海神に手向けた方角に舟を漕ぎ、海神を祀る場面が見られる。