大とんど祭
小正月に行われる火祭りの行事。左義長とも呼ばれる。
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。
その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる。
注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくと、その年の病を除くと言われ、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると、字が上達すると言われている。
歴史
『弁内侍日記』建長3年1月16日(1251年2月8日)、『徒然草』の「第180段」に見られることから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。
起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。
当時の貴族の正月遊びに「毬杖」という杖で毬を打ち合う打毬があった。小正月に宮中の清涼殿の東庭に山科家などから進献された葉竹を束ねたものをたてた。
その上に扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付けた。これを陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。
『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、
ついで鬼の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、
ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口袴を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。
毬杖3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。
とんど、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼き、おんべ焼き等とも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。