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本編「あゝボルネオ」
広瀬正三編・
独歩三六七大隊の足跡「続・あゝボルネオ」
より
このページは亡父が所属していた戦友会の方々の手記集です。
昭和50年ボルネオ遺骨収集団が結成されました。同年10月〜11月の収骨慰霊活動の記録です。
後半は、昭和52年〜53年の忠烈碑建立、竣工慰霊祭、及び御遺族戦友の方々の手記です。
戦友遺族の英霊への熱い想い、是非ご一読下さい。広く後世に語り伝える一助になれば幸いです。
(リンクはご自由に、引用は右書籍名を付記願います)
昭和五十年十一月五日 テノムに於ける追悼式
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発 行:
昭和55年1月1日
編 者:広瀬正三
発行所:
白鷺ボルネオ会(
荒井神社
内)
目次
ボルネオ収骨の章より
遺骨収集資料・情報 厚生省援護局資料(昭和50年6月)
山田誠治氏資料、その他の資料・情報(岡山タワオ会など)
再度、収骨慰霊にボルネオに渡る 白鷺ボルネオ会長 広瀬 正三
日々夜々英霊の菩提を弔う 独歩三六七大隊第二中隊戦友 笹川 隆永
ボルネオに眠る友を探して 独歩三六七大隊第一中隊戦友 福岡 時夫
父眠る「ボルネオ」へ 独歩三六七大隊第二中隊衣本利正・長男 衣本 利美
枯木の様な遺骨を抱いて 独歩三六七大隊第三中隊高見一市・長男 高見 剛
厚生省の収骨慰霊に参加して 独歩三六七大隊第四中隊池田正瑞・長男 池田 恵瑞
サバB班 収骨団に参加して 独歩三七〇大隊(須賀崎部隊)戦友 高島義勝・神崎子市
サラワクの遺骨収集を終えて 独歩五五三大隊(有谷部隊)戦友 岡 良助
忠烈碑建立の章より
建碑準備の足跡
写真:
忠烈碑
碑文
御遺族、戦友の手記の章より
温容の閣下の御霊、鎮め奉る 独混第五六旅団(貫兵団)参謀 松本幸次
兵庫県郷土部隊で最後の幸せ 独歩三六七大隊長岡田憲之・妻 岡田 満代
建碑に心やすらぐ 独歩三六七大隊副官 荻野 三吉
戦死の弟を悼む 独歩三六七大隊本部野沢真五・兄 野沢 幸三郎
心のふるさとに建碑 独歩三六七大隊本部小柳秀男・妻 小柳 素
戦友の御冥福を祈る 独歩三六七大隊本部所属 高田 正保
益良男、碑に還り給ふ 独歩三六七大隊第一中隊所属 枌原 敏秀
九十一才の老母感謝の日 独歩三六七大隊第一中隊岸本明男・母 岸本 いし
鎮 魂 譜 独歩三六七大隊第一中隊所属 斎藤 蘆穂
感激をカメラに収めて 独歩三六七大隊第一中隊 堀 強・妻 堀 富子
和 歌 二 首 独歩三六七大隊第一中隊所属 塩崎 仁一
来世は百年(ももとせ)添はむ 独歩三六七大隊第一中隊 美原伴一・妻 美原 静江
開眼法要に奉仕して 独歩三六七大隊第二中隊長・極楽寺住職 笹川 隆永
春 燕 独歩三六七大隊第二中隊所属 山本 恒雄
偲 び 草 独歩三六七大隊第二中隊 沼田教導・妻 沼田 元栄
夫 憶 ふ 独歩三六七大隊第二中隊 浜口剛三・妻 浜口 一子
英霊の皆様安らかに 独歩第三六七大隊第二中隊 片岡薫新・妻 片岡 綾子
碑の建立にあたつて 独歩主六七大隊第二中隊所属 三谷 謹二
転進半ばコヤ川で倒れサンダカンに至る 独歩三六七大隊第二中隊所属 奥田 利男
ある夜の夢 独歩三六七大隊第三中隊所属 田中 茂
父への想い出 独歩三六七大隊第三中隊 人見立夫・長女 細江(旧姓人見)咲子
わが最良の日 独歩第三六七大隊第三中隊山崎義雄・妻 山崎 千代栄
兄の面影を偲ぶ 独竺六七大隊第三中隊 島田義実・妹 島田 八重子
闘病十年の夫を送りて 独歩三六七大隊第三中隊 八木卓一・妻 八木 久枝
アパリの街 独歩三六七大隊第四中隊所属 坪田 政信
秋燕がさゝやく 独歩三六七大隊第四中隊 石山一雄・妻 石山 八重子
知られざる北ボルネオ戦 独歩三六七大隊第四中隊所属 木之村 匡
断腸の思ひ 独歩三六七大隊銃砲隊所属 山本 利二
貴方もおじいさん 独歩三六七大隊銃砲隊 神子素武雄・妻 神子素 喜代子
礼状 独歩三六七大隊銃砲隊 玉垣春雄・妻 玉垣 佐々子
七人の孫に囲れて 独歩三六七大隊作業隊 村瀬一好・妻 村瀬 しげ子
世話人代表挨拶並に経過報告 独歩三六七大隊作業隊長 奥平 冬正
身近に慰霊碑を仰ぐ地元民 高砂市軍恩連合会代表 柳 行雄
追記 馬奈木敬信先生を偲ぶ 昭和五十四年十一月七日 広瀬記
後 記 編 者 広 瀬 白 兎
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