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ミナミ 千日前について(4)

歴史あるミナミ 千日前を少し詳しく調べてみました。なお、資料索引は、本稿末尾に記します。


第二次世界大戦の空襲により千日前一帯は焼け野原となりましたが、1945年終戦により再び、映画・演芸・飲食の街として復興します。
大阪歌舞伎座6階にあったアイススケート場は進駐軍向けの特殊慰安所(キャバレー)その名も「歌舞伎キャバレー」として改装され、朝鮮戦争まで運営されました。
また1950年に大劇地下には「歌舞伎キャバレー」を参考にしたと言われるアルバイトサロンの全国第1号店がオープンし、全国に広まるきっかけとなります。
そして1956年、35万平方メートルの建物に1000の客席、3つのジャズバンド、1000人のホステスという大規模なキャバレーの他、地下にはユニバースダンシングチームがダンスを披露、500人が一度に入れる宴会場をそなえた味園ビルが完成します。
その他にも周辺にはメトロポリタン、サン、ミス大阪、ハリウッドなどのダンスホールやキャバレーが開業、再開し、戦後の経済復興とともに再び活況を呈するようになります。

この時期大阪歌舞伎は内部分裂を起こし、また映画の隆盛やテレビの出現もあって急速に勢いをなくします。
それに伴って集客能力が落ちたため、1958年大阪歌舞伎座は御堂筋に面した旧・新歌舞伎座へ移転しますが、内部分裂を嫌気した松竹は新歌舞伎座を座長公演・歌手公演を中心とした興業形態で同劇場を運営する姿勢をとったため、大阪歌舞伎は一時期廃れることになります。

大阪歌舞伎座の建物は改装されて千日デパートとなりました。しかし、1972年火災が発生、キャバレーの客や従業員など118名の死者を出します。
その後、長らく跡地は放置されていましたが、1984年ダイエー系のデパート「プランタンなんば」が建ち、撤退後は2001年にビッグカメラなんば店となっています。「日本歌劇団」(NKD)と改称したOSKも人気に翳りが見え、1967年大劇は閉鎖。NKDは近鉄のあやめ池遊園地大劇場に移転します。
1991年まで大劇はボーリング場やジャズ喫茶、ダンスホールなどのある「大劇プレイタウン」として運営されていましたが、1996年「なんばオリエンタルホテル」に建て替えられて現在に至っています。
千日デパート火災のようす

さまざまな変遷を経た千日前ですが、その周辺には現在も「トリイホール」「TOHOシネマズなんば」「同 別館」「テアトルA&P」「なんばグランド花月」「5upよしもと」「NMB48劇場」などの映画館や劇場のほか、大小のライブハウスが存在する興業の街として多くの人を集めています。

 

 

 

参考文献・資料・web

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