味園について(2)歴史-1
大阪ミナミ 千日前に建つ35万平方メートルの大建築物「味園」。
その壁面のネオンや電飾とともに大阪人のハデさ自己主張を満足させるランドマークであり、その広さ大きさは「何があるかわからない」という恐れと、怖いもの見たさの興味をそそる建築物です。
今はその2階で営業しているのですから、スタッフの皆さんにはお世話にもなり一般の知らないところも見聞きしていますが、やはり「うわさ話」を出ない伝聞の知識しか持っていませんでした。その「うわさ話」とは、
「2階の床がスロープになっているのは、2~4階までが以前映画館だったから」「いや、2~4階は昔、キャバレーユニバースがあった」「味園開業から50年」「味園のメンテナンスは全て味園の社員で行っていて外部に出さない。照明器具も全部手作り」「地下は5階まであって地上部分と同じくらいのスペースがある」「前社長は味園の中に住んでいた」「建物の一部には、以前住み込みで働いていたホステスさんの寮がある」「水中ステーションで有名だった阿倍野プールは、味園と同じ経営者」「 増改築を繰り返しているので、使っていない、使えないスペースがたくさんある」など、確認できるものできないものが混在していました。
そんな中、2011年7月に大阪の近代建築をマニアックな視点から紹介するビル好き集団「BMC」が発行する「月刊ビル」の7月特集号で、味園ビルの詳細が紹介されました。その中では丁寧な取材により味園の氏素性が正確にそして想像を超えた内容でまとめられています。「BMC」の許可を得てその記事を参考に味園ビルをご紹介していきたいと思います。
まずは「月刊ビル」に掲載されていた事実関係から。
建 築 年 :1956(昭和31)年
構 造:鉄骨造
規 模:地上5階、地下1階
設 計:志井銀次郎
施 工:直営
ここで、まず驚くのは設計の志井銀次郎氏は味園の創業者であり先代社長その人だと言うことです。そして施工:直営とは?
「月刊ビル」によると、『オーナーの志井銀次郎にとって、味園ビルはまさに夢の実現だった。驚くことに志井は自ら建築をデザインし、社内に工作部を設けて直営で味園ビルを建てた』とあります。
私は味園の関係者から前社長は建築畑出身の人ではなく、いち実業家であり興業師だったと聞いています。全て独学で建築を勉強し、業者の助言も入れながら数百ページに及ぶ建築図面を描き尽くし、ひとつの空間をまさに創造していったのです。
それは内装のデザインや調度品の選定、そして照明器具にまでおよび、創造の空間がひとつひとつ現実に形をなしていくその様子は、まるでディズニー映画の「ファンタジア」の挿話「魔法使いの弟子」を見るようです。
当時の味園ビルは、
【地下1階】 ユニバースダンシングチームが踊るダンスホール
【2 階】 キャバレーユニバース
※2階~4階吹抜け
【5 階】 味園宴会場
というレイアウトでした。
こうして、大阪ミナミの歓楽街のかた隅に、東洋一の大人のための大レジャー施設が登場したのです。