韓国・朝鮮の歴史
概要
古朝鮮
朝鮮半島古代の国家、檀君朝鮮・箕子朝鮮・衛氏朝鮮の三朝鮮を古朝鮮と呼ばれている。
そのうち檀君朝鮮・箕子朝鮮は、神話や伝説的要素が強いと言われている。紀元前4世紀頃、朝鮮半島西北部あたりを漠然と「朝鮮」と呼ばれる勢力があったとされている。
中国の秦・漢交代期の混乱を避けて、燕(えん)地域から、配下とともに亡命した衛満がいた。前195年「朝鮮王」から王位を奪い「衛氏朝鮮」が成立し、三代80年あまり続いたが、漢の武帝が大軍を遣わして衛氏朝鮮を滅ぼした。漢は朝鮮半島北部に楽浪など4県をおき直轄地とした。
三韓時代
3世紀後半頃、朝鮮半島南部の韓族は馬韓・辰韓・弁韓(三韓時代)の地域で小国群(70余)を形成した。朝鮮半島西南部の馬韓の地に百済が、東南部の辰韓の地に新羅が成立し、高句麗・百済・新羅の三国時代に入った。高句麗
紀元前後から勃興し、中国の東北地方から朝鮮半島北部を支配した。4世紀後半、広開土王(391~412)のときには繁栄を極めたが、百済、新羅との三国抗争が続き、668年に唐・新羅軍に滅ぼされた。百済
朝鮮半島の西南地方に領域を広げた。北部から攻め寄せる高句麗と対抗するため、倭(日本)との友好を深め、連携を模索した。660年、唐と新羅連合軍に滅ぼされた。再興運動が興ったが、663年白村江の戦いで百済の遺民と倭(日本)の救援軍が敗北した。新羅
朝鮮半島東南部の新羅。建国以来、百済・高句麗に対抗し、6世紀後半に百済・新羅を次々に滅ぼし、676年に朝鮮半島最初の統一国家をつくった。7世紀後半から倭に使節(遺新羅使)を派遣し、密接な外交関係をもっていた。加耶諸国
三韓時代の弁韓地域(朝鮮半島南部)から興った。日本では任那と呼ばれる時代が続いた。562年、新羅に滅ぼされた。渤海
698年~926年にかけて中国東北部の東部、シベリアの沿海州、朝鮮半島北部を領域とした国家。高句麗の滅亡後、その遺民の靺鞨人が成立させた。高麗
918年から1392年まであしかけ475年間続いた王朝。新羅末期の動乱で台頭した豪族の「王建」が、918年高麗を建国した。936年には開城に都をおいた。象嵌で文様を装飾された高麗青磁が有名。13世紀後半にはモンゴル(のちの元)の支配下に入り、元の二度にわたる日本への遠征基地とされ重い負担を課せられた。14世紀に入り、倭寇(中国人・日本人・ポルトガル人などの海賊集団)からの被害などもあり、高麗の国力が疲弊していった。
朝鮮王朝
1392年の建国から1910年の韓国併合まで518年間続いた。1897年以降、朝鮮王朝は王政から帝政へと転換した。国名が朝鮮から大韓帝国に変わった。
それまでの仏教の影響から、儒教である朱子学の影響を強く反映する政治の仕組みに変わった。朱子学の理念に基づく法典である「経国大典」で国政の基本を定めた。国王の権力が定式化された。科挙により輩出された特権身分の士族層が政治をおこなった。
日朝の対立
19世紀中ごろ、欧米諸国が朝鮮に開国を迫り小規模の武力衝突。明治新政府も、1875年に軍艦雲揚を朝鮮に派遣。江華島で朝鮮に砲撃を展開した。1876年、日本に一方的に有利な不平等条約(江華島条約)を締結。
日清戦争と日露戦争
朝鮮半島や満州の支配権をめぐる争いであった。
日清戦争(1894年~1895年)
日本が清国を破り、清国の朝鮮支配から日本による支配に変えた。
日露戦争(1904年~1905年)
朝鮮半島と中国東北部(満州)をめぐり、ロシアと支配権を争った。
どちらも日本の勝利に終わり、東アジアにおける日本の支配が急拡大した。以後、帝国主義路線を突き進む。
韓国併合
1910年「韓国併合条約」締結。朝鮮半島を日本の植民地とし、朝鮮総督府を置いて統治機関とした。憲兵と警察制度を設置し「武断政治」を強行。農民の土地を次々に没収して日本の事業者や入植者に安価に払い下げ。土地を追われた朝鮮の人たちが日本に渡り、劣悪な条件下の低賃金労働者として使役された。
3.1独立運動
「民族自決」への気運が世界的に高まる中、1919年3月1日にタプコル公園で学生が宣言書を朗読。参加した民衆は「独立万歳」を叫び行進した。この運動は全国各地に波及し、約200万人の民衆が参加したと言われている。
植民地支配の解放と分裂国家
1945年8月日本の無条件降伏により、朝鮮は日本の植民地支配から解放された。しかし、米国とソ連により北緯38度線を境にして両軍が占領することになる。以後の南北分断のもとになる。
1948年8月朝鮮半島南部に大韓民国が成立。1948年9月朝鮮半島北部に朝鮮民主主義人民共和国が成立。
朝鮮戦争
1950年6月北朝鮮軍が北緯38度線を超えて攻勢に出たことにより朝鮮戦争が始まった。以降、一進一退の膠着状態が続く中、1953年7月に板門店において休戦協定が調印された。韓国・北朝鮮両国の分断は38度線の停戦ラインを挟んで固定化された。現在も「休戦状態」のままである。
