日朝協会京都府連合会

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コラム

会員のコラムです。

11.22事件の50周年記念イベントに参加

1122記念イベント ソウルで開かれた11.22事件の50周年記念イベントに参加して来ました。今から50年前の11月、留学や仕事の目的で韓国に滞在していた在日コリアンが100人以上スパイにでっち上げられ、我が高校のクラスメート康宗憲をはじめ9人が死刑判決を受けました。日本から50人余りが参加しました。記念集会には、海外出張中のイ・ジェミン大統領や国会議長からのメッセージが代読され、国家暴力が再び荒れ狂うことのないように訴えられました。会場は、1987年の民主化運動の聖地香隣教会でした。次の日は昨年末非常戒厳令の舞台となった国会議事堂に会場を移し、民主化運動の中で生み出された歌のコンサートで元政治犯への慰労が行われました。上の写真はその様子です。スパイ防止法はでっち上げの危険性を孕みます。
 成瀬和之

外国人への排斥と差別、とりわけ在日コリアンへのヘイト・民族差別は許せない

 今から約20年前に映画「パッチギ!」を鑑賞したことを、最近よく思い出します。チマ・チョゴリの制服を着た主人公の女の子が音楽室でフルートを奏でる(僕の頼りない記憶では)シーンです。映画と全く同時代に定時制高校生として朝文研に入っていた僕にとって、大変印象深いシーンでした。
 あの頃は、電車やバスの中でチマ・チョゴリを着た朝鮮高校に通う女性の高校生を、よく見かけものでした。ところがその後、ヘイトクライムによる卑劣な事件が起こり、安全を確保するためにチマ・チョゴリの着用はなくなりました。
 昨今のエスカレートする外国人排斥と差別の事象を見聞する中で、上記のことを思い出しました。最近、ある図書館で「チマチョゴリの民族誌」という本が書棚にあり、閲覧することができました。
 そこで、「チマ・チョゴリについて知ることができる」こんな本が会ったということを皆さんに知ってほしいと思い立ちました。

 下記のように、文書の「はじめに」の一部と「第2章服飾史・社会史的に見たチマ・チョゴリ制服」の一部を紹介したいと思います。ぜひ機会があれば一度読んでみてください。


「チマチョゴリの民族誌」 ―その誕生と朝鮮学校の女性たち―
   韓東賢 著  双風社 2006年5月25日第1刷  990円(税込)
はじめに
(文章の途中から)
・・・・・・・なぜ、戦後に生まれた朝鮮学校が、このような制服(チマ・チョゴリ)を採用したのであろうか、本書は、この「チマ・チョゴリ制服」が以下にして生まれたのかという道筋をたどるものである。・・・・・・(中略)
・・・・・・・「北朝鮮バッシング」が起きるたび、朝鮮学校の生徒、とりわけチマ・チョゴリ制服を着た女子生徒が襲われる事件が発生した。多くの暴行事件の中でも、女子生徒がチマチョゴリ制服を何者かに刃物で傷つけられるケースが「チマ・チョゴリ切り裂き事件」としてセンセーショナルに報道され、注目された。(後略)


第2章服飾史・社会史的に見たチマ・チョゴリ制服
1 デザインのルーツ
朝鮮半島の伝統衣装
 チマチョゴリ制服のルーツは、朝鮮半島の伝統衣装にある。その基本形は、上衣のチョゴリ(襦)、下衣のパジ(ズボン)およびチマ(スカート)であり、そのうえに表衣としてトゥルマギ(周衣)がプラスされることもある。パジをはく男性の衣装がパジ・チョゴリ、チマをはく女性の衣装がチマ・チョゴリと呼ばれる。
 紀元四世紀から六世紀の三国時代に描かれた高句麗古墳壁画で、その基本形の初期の形態を見ることができる。壁画に描かれた人物は、長いチョゴリにプリーツの入ったチマやパジを身につけており、長いトゥルマギを着ている人もいる。歴史的には、紀元前7世紀頃から西アジアに生活していたスキタイを起源とする中国北方騎馬民族が着装した、胡服系統の衣装であろうと推測されている。
 時の王朝の取り決めによって、官人層や貴族層が中国式の官服や礼服を着用したこともあったが、パジ・チョゴリとチマ・チョゴリを基本形とする日常着はそのまま残った。その丈の長短や、シルエットやディテールの変化が若干はあったものの、三国時代から千年以上にわたり、その基本的な構造自体にほとんど変化はない。

 日本の着物と同様に、おもに晴れ着として冠婚葬祭などの場で「民族衣装」や「伝統衣装」として着られる現在のチマ・チョゴリの形態は、洋装が到来する開化期を前にした19世紀末の朝鮮王朝末期にほぼ完成した。14世紀末の朝鮮王朝初期まで、チョゴリの丈は男女ともに1メートルほどあった。しかし、16世紀末の壬申倭乱のあとに短くなりはじめる。同時に女性のチマは足が隠れるほどに長くなり、バストのうえで巻きつけるスタイルになった。素材や色は自由だが、庶民は白を基本にしながら、チョゴリは灰色やうすい水色、黄色、紅、そして緑などの明るい色、チマは青系統のすこし濃い色のものが好まれた。
 南北朝鮮ともに、1960年代まではチマ・チョゴリが日常的に着られることもあったとされるが、韓国においては「1970年代には洋装が完全に日常服の地位を占め、韓服は日常服から退潮し、礼服や特殊服として追いやられ、時代遅れの衣装となった」という。それは北朝鮮においてもほぼ同様のようだ。
 現在、一般の人がチマ・チョゴリやパジ・チョゴリを身につける場は、南北朝鮮、在日朝鮮人社会を問わず、冠婚葬祭やパーティーなどの席、また民族色を売り物にしたレストランなどのサービス業および一部の風俗業に従事する場合などにほぼ限られる。身につけるのは圧倒的に女性が多い。一部の高齢者層を除いて、男性たちのあいだでは、30年代には洋装が一般化し、40年代の総力戦体制のもとで日本によって強制された国民服一色化の時期を経て、解放後は完全に洋装に移行した。(後略)


以上です。

文責 水谷文信

戦後70年・日韓条約50周年にあたり 戦争立法でなく、憲法9条を活かした平和外交で明るい未来をひらこう

はじめに;
―まずは日朝協会京都府連創立60周年にたいする敬意と祝意をおくりたい
日本国憲法ならびに日朝協会府連とからめながら講師自身の簡単な自己紹介を。

(1)いわゆる「節目論」について
① 今年(2015年)は、戦後・被爆70周年・日韓条約締結50周年をはじめ、様々な歴史的節目の年である。
② 個人にしろ、団体(政党を含む)にしろ、何らかの節目には必ず一定の意志(WILL)が働くものであり、また働かせなければならない。
→日朝京都府連の一層の発展とその影響力のひろがりへの期待
③ 世界史的にみても、名演説とか名言がおこなわれたのは、すべて何らかの節目に際してであったことを想起しておきたい。(例えばキング牧師の「私には夢がある」演説や、西ドイツ(当時)大統領ワイゼッカーの「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」演説など)
④ 日本の戦後史をみても、戦後50年の「村山談話」、同60年の「小泉談話」そして同70年の「安倍談話」が内外の注目を集めている。

(2)武器(凶器)による人間の殺害行為(戦争・戦闘など)が絶え間なく行われている今日の内外情勢と日本国憲法の意義
① 肉親の殺害をふくむ、悲惨な、人間が人間を殺すという凶悪犯罪をはじめとするいまわしいニュースが絶えない日本の社会状況
② 北アフリカ、中東地域、ウクライナなどをはじめとして、地球上の各地で戦闘状態が絶えず続いている。
③ 人類と殺人と戦争について―ライオンや虎のような猛獣でも、同種を殺すことは絶対にないが、人間社会では、人間が人間を殺すという行為が絶えない―→道徳や宗教が論じられたり、法律や条約が作られてきた。
④ 20世紀の前半だけで、2つの世界大戦を経験した人類は、不戦条約や国連憲章を生み出した。
 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、アジア・太平洋戦争というように、約10年ごとに戦争ばかりした日本の近・現代史だが、その日本と日本国民は第2次世界大戦終了と同時に日本国憲法を手にした。
 とくに、同憲法第9条第2項のもつ崇高な人類史的意義に注目したい。

(3)安倍政権の「積極的平和主義」の名における「平和のための戦争」政策と我々日本国民の課題と展望
① 安倍政権が推進する憲法破壊政策の現段階―歴代政権の憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を可能とする戦争法制定に狂奔する。
 憲法はもとより、日米安保条約の枠組みさえ踏み越えて、国会審議もないままに「日米同盟」のグローバル化ともいうべき「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の再改定に踏み切る(安倍首相の訪米と米議会における演説)
 8月の「安倍談話」へ集中する内外からの注目と関心
 許せない安倍政権の沖縄政策
② もっとも近い韓国・北朝鮮・中国との関係が冷え切ったままで、「遠交近攻」の中国の故語を想起させるかのように「地球儀を俯瞰する外交」と言いつつ、兵器メーカーや「原発利益共同体」の幹部連を引き連れて50カ国を超える国々訪問している安倍外交。
③ 朝鮮人民の悲願と日本が果たすべき外交的手段と努力による北東アジアの平和と協力の地帯づくりの課題―→日朝協会の役割や課題

むすびにかえて;
―強硬な復古主義的性格を帯びる安倍政権の野望のもとでの日朝協会の会員をはじめとする日本人民の課題
 あくまで名文改憲をめざす安倍政権と最終的決着の舞台としての「国民投票」を視野に入れて
 「戦争だけは絶対ダメ」という視野とウィングの広い連帯をつくりあげるための日常的で地道な活動の積み重ねを
 「オール沖縄」につづく「オール日本」の実現を一日も早く
 「正論」がやがて世論となり、世論と運動が情勢(歴史)を変える
 「正論」を身につけるためにも学習が絶対に不可欠である。学び学びさらに学ぼう。学習はまさに実践の情熱と勇気の源泉である。

2015・5・9  畑田重夫