日朝協会京都府連合会

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韓国・朝鮮と日本

先史時代
 約5000年前に九州で作られた縄文土器が、韓国釜山市の遺跡から出土した(1969年)。縄文・弥生時代頃、朝鮮半島から壱岐、対馬、九州などへ丸木舟で往来する人たちがいた。

古代
飛鳥寺金堂 飛鳥大仏  高句麗。中国からとりいれた仏教を日本にも影響を広めた。奈良県飛鳥寺の金堂などの配置は、高句麗と同じ様式(瓦は百済の様式)といわれる。
百済。その滅亡前後にわたってきた百済系の渡来人が優れた仏教文化をもたらした。
新羅。7世紀後半、使節(遣新羅使)往来が盛ん、日本から10回、新羅から24回。

豊臣秀吉の朝鮮侵略
耳塚  全国統一を達成した秀吉は、中国(当時の明)の征服をめざし、朝鮮国王に服属を強要した。
 壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)
  1592年4月 壬辰倭乱 秀吉軍 16万人
  1597年1月 丁酉倭乱  〃  14万人
数十万人の命が奪われ、田畑の荒廃は国家財政を窮乏させた。陶工をはじめ、日本に連れ去 られた人たちもいた。

朝鮮通信使
 江戸時代の1607年から1811年のあいだに朝鮮通信使が12回来日した。最初の3回は日本へ拉致された朝鮮人送還のため(回答兼刷還使)を兼ねた。将軍の代替わりの慶賀を目的に、船で大阪に到着後、淀川から京都へ。東海道を毎回400人から500人の使節団が往来した。

日本型華夷意識から征韓論へ
 江戸末期から明治初期にかけて「神の子である天皇がおさめる日本は世界の中心である。朝鮮は、日本の天皇に付き従う野蛮な国だ」とする優越意識、朝鮮蔑視観が強まりやがて「征韓論」に結びついていった。

韓国併合
 1910年「韓国併合条約」により、日本は朝鮮半島を植民地にし、朝鮮総督府を通じて朝鮮半島全域を統治した。

関東大震災と朝鮮人虐殺事件
 1923年9月1日関東大震災。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語が飛び交い、軍隊・警察・自警団により6000人に上る朝鮮人が虐殺された。

戦時動員態勢を強化
 1937年「内鮮一体」を唱えて、「皇国臣民」化を推し進めた。「創氏改名」、朝鮮人女性を「慰安婦」として中国大陸に送り込む。炭鉱や土木工事などへ朝鮮人を計画的に動員し、徴兵制などを次々と実施した。

日本の敗戦
 1945年8月日本の敗戦。敗戦時の在日朝鮮人、200万人以上と推定。敗戦の翌年から、約4分の3以上の人たちが祖国に帰還したが、すでに日本に生活基盤があり、朝鮮半島の内戦が始まったなかで、60万を超える人たちが祖国に帰れず、日本に残留せざるを得なかった。

日韓会談反対運動
 日朝協会を中心に結成された「日韓問題対策連絡会議」は日韓会談反対運動の先駆的役割を果たした。1961年には日朝協会の呼びかけで、総評、社会党、共産党など46団体が結集する「日韓会談対策連絡会議が発足した。
 日本側の反対運動の要点は、南北分断の固定化、日米韓台湾軍事同盟の強化、日本独占資本の韓国への経済的侵略反対に集約されていた。

ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムと排外主義の台頭
ウトロ平和祈念館  2009年12月、在特会による「京都朝鮮第一初級学校」襲撃事件。2010年代からは、書店では「嫌韓本」が並び、街ではヘイト・スピーチが叫ばれる状況が日本各地で始まった。
 2021年8月、宇治市ウトロ地区の民家など7軒を放火。22歳男性犯人によるヘイト・クライム(憎悪犯罪)
 2025年7月参議院選挙。「日本人ファースト」を唱える参政党が大幅議席増。在日外国人への目に余る「排外主義」が台頭している。