コラム
西谷文和のコラムです。
なぜイラクだったのか
関西でのイラク派兵差し止め裁判、初公判は2005年大阪地裁の大法廷で行われた。マスコミと抽選に当たった市民で傍聴席はいっぱい。原告席に座ったのは、当時出来たばかりの9条の会、呼びかけ人の小田実さん、大阪大空襲を経験された久保三也子さん、そして私の3人。陳述の1番手は小田実さんだった。「原告は氏名と住所を名乗りなさい」。裁判長が厳かに裁判を始めていく。その時だった、「人に名前を尋ねる時は、まず尋ねた方から名乗るのが常識だ。あなたから名乗りたまえ」。小田さんの強烈なカウンターが炸裂。目を白黒させてうろたえる裁判長。小田さんはすぐに被告、つまり国側の弁護士や官僚に向かって叫んだ。「お前たち、そもそもお前たちから名を名乗れ!国家権力の側に立って、戦争を正当化しようとしている、お前たちこそ反省し、謝罪せよ」。小田さんの声が大法廷に響く。国側の弁護士たちはうつむいて無言。おそらく徳井さんや梅田さん、上山さんたち原告側の弁護士はうろたえていたのではないか(笑)。裁判長の心証が損なわれる、何をやらかすんや、小田さん…。しかし痛快だった。もともと日本の裁判所は江戸時代のお白州文化を引きずっているようなところがあって、一般市民の感覚からずれているようなところがある。小田さんは権力の傘に寄りかかった国側の代理人を咎めることで、「裁判所の化石化した風習」を変えたかったのかもしれない。
私の番が来た。この時までにイラクに2回入っていて、特にバグダッドの病院の様子と、フセインがサリンなどの毒ガスを使ってクルド人を虐殺した事実について証言した。原告の弁護士たちが奮闘してくださって、裁判所で映像とパワーポイントを使いながらの陳述となった。米軍が使用したクラスター爆弾で右目を失った少年や、空爆で片足になった子どもの写真を写しながら、この戦争がいかに非道なものかを訴えた。1988年3月、イラクのフセイン大統領はイラク北部のハラブジャなどに空爆で毒ガスを撃ち込み、約5千人のクルド人を虐殺した。しかしこの事件は日本を含む西側諸国であまり話題にならなかった。
なぜか?それはこの当時は「フセインはアメリカ側にいた」「だから西側メディアはあまり報道しなかった」からである。1979年のイスラム・ホメイニ革命を経て、イランはアメリカの敵国になった。イスラム教シーア派のホメイニは「革命の輸出」を目論み、スンニ派が政治を仕切るアラブ諸国の転覆を画策した。1980年、イラクのフセインが隣国イランに武力行使を始めたのが、イラン・イラク戦争の始まりだ。当然アメリカは「敵の敵」であるフセインを支援する。泥沼のイラン・イラク戦争は8年も続いた。戦争の最終盤、フセインは毒ガスという「大量破壊兵器」を使用した。しかしこの時はお咎めなし。約20年後の2003年、アメリカは「フセインが大量破壊兵器を隠し持っている」というニセ情報で戦争を始めた。つまりアメリカは「大量破壊兵器を持っていた時代のフセイン」を許し、「持っていない時代のフセイン」を攻撃し、裁判にかけて死刑にしたのだ。ブッシュ大統領が退任する際に「唯一後悔するとすればイラク戦争。嘘の情報に騙されて戦争をしてしまったことだ」と述べた。そのアメリカについていったのが小泉純一郎首相で、その息子が今や総理大臣になろうとしている。最近純一郎は免罪符のように「脱原発」を言い始めたが、私はこの小泉一族の責任を追求し、二度と総理にしてはいけない人たちだと考えている。
話が逸れたので元に戻す。この時の裁判の経過から、私がイラク人のハッサンを来日させて原告にするという案が浮上した。2004年に吹田市役所を退職し、いつでも自由にイラクに入れるようになっていたので、05年1月にヨルダンの首都アンマンに飛び、ハッサンをヨルダンに連れてきて来日させることになった。実はこの時ハッサンは国境で止められてヨルダンに入れなかった。2度目の挑戦でヨルダンに入国し大阪へ。イラク派兵差し止め訴訟の原告にイラク人が入ったことは大きな話題となり、この頃から怒涛のような講演会ラッシュとなり、各地の反戦集会でもハッサンは引っ張りだこ。ホテルはお金がかかるので、私の事務所で寝泊まりすることになった。「堕落したイスラム教徒」のハッサンは酒が好きなので、近所のスーパーでデイリーワインを買い込み、「うまいうまい」と飲んでいた。日本では女性がスカーフもせずに顔を出して歩いているのはもちろん、ミニスカートなどをはいているので、街へ連れ出すといつも興奮していた。「堕落したイスラム教徒」であったが、講演会では真面目に話をしていたので、まぁ可愛いやつではあった。
関西のイラク訴訟の判決文については、徳井弁護士が詳細を語っていただけると思うので、私の方からは2点だけ述べたい。まず1点目は、「西谷が具体的な損害を被った」と訴えていることについて。私は05年11月にヨルダンのアンマンを訪問し、イラク航空から往復20万円のチケットを購入し、バグダッドへ入ろうとした。当時のバグダッド便は高価な保険をかけないといけないので、チケットは割高になっていた。イラクのビザは日本人であればバグダッドの空港で取得できるはずだった。飛行機は普通に着陸しなかった。空港の上空までくると、ぐるぐると旋回しながら滑走路へ。これはきりもみ着陸といって高度な技術が求められるし、非常に危険な着陸行為である。なぜそんなことをするのか?バグダッド空港周辺には武装勢力が潜んでいて、普通に斜めに滑走路に滑り込むと、ロケット弾で撃墜されてしまうからだ。空港の上空だけはロケット弾の方向を狂わせる妨害電波が出ているので安全。だから上空からきりもみで降りる。航空自衛隊は米軍への補給を担っていたので、パイロットの自衛官は緊張の連続であっただろう思われる。事故がなかったのは本当によかった。
バグダッド空港に着陸後、入国審査へ。審査官は「日本人は入国させないように、と日本政府から頼まれている。だからお前は入れない」と言う。それは日本政府の言うことでイラク政府として自主的に判断しろ、と抗議。審査官は「お前がジャーナリストであれば入国させない。人道支援者であれば入国可能」と柔軟な態度に変わってきた。「私はイラクの子どもを救う会の主宰者。人道支援者だ」と主張。「では確認する」と、審査官はバグダッドの日本大使館へ電話をかけた。日本大使館の返答は「西谷はジャーナリストで人道支援者ではない、入国許可するな」だった。その後色々と食い下がったが、結局アンマンに送り返されることになった。裁判ではこの経緯を述べて実害分の補償を求めていた。判決では「確かに実害があったようだが、それは日本政府が西谷の安全を危惧して止めたこと。補償は棄却」だった。日本政府が私の安全を危惧?いやいや、日本政府はイラク戦争の実態、サマワの自衛隊の実態を知られたくないので、入国を止めていたのではないのか。裁判所にそこまでの辺団を求めるのは無理なのか?
ハッサンについてはさらに詳しく書かれていた。「イラク人として生存の危機にあった。しかしこれはすべてのイラク人にいえることであって、ハッサン個人への補償は認めない」と言う趣旨だったように記憶している。かくしてイラク人が原告に加わった、という全国で例を見ない裁判ではあったが、「裁判所の厚い壁」を突き崩すことはできなかった。あれから20年近くの月日が流れた。当時のイラクは米軍対武装勢力の構図で、バグダッド東部の激戦地サドルシティーではモスクから「スンニとシーア派団結せよ。団結してアメリカと戦え」というメッセージ(ファトワという)が流れていた。その後、壮絶な内戦となって首都バグダッドはチグリス川から西側にスンニ派、東にシーア派という分断都市になった。自衛隊はサマワから引き上げ、米軍も撤退し、いつしかイラクは忘れられていく存在となった。しかし大量に殺されたイラク人、米兵の命は戻ってこないし、手足を失った人々は不自由な貧困生活を送らざるを得ない。サマワに派兵された自衛官の中では自殺者が急増している。大手メディアは伝えないが、今も心に傷を負った兵士たちがいる。現地では何が起きていたのか、日本では何ができたのか、記憶し続けるにはどうしたらいいのか、このような記録が残り風化しないことを祈っている。
24年9月 弁護団の記録として記す
イスラエルとカタール疑惑
今年1月私はイスラエルに入国し、まず最大都市テルアビブに向かった。17日(土)の午後7時、下町の中心にハビーマ・シアターという劇場があって毎土曜日の日没後、この劇場前の広場が「反ネタニヤフ大集会」の会場になる。この国では金曜の日没から土曜の日没まではシャバット(安息日)で街は静まりかえる。そして夕暮れと共に人々が弾ける。街にネオンがともり、どこからともなく通行人があらわれ、大通りは路線バスや自家用車で渋滞する。堰を切ったように「休む」が「動く」に変化するのだ。
広場の正面には「WELCOME BACK HOME」(お帰りなさい)の電光掲示板。ハマスに囚われた人質がユダヤ社会に帰還できたことを祝うメッセージである。
集会参加者が続々と広場に集まってくる。湾岸諸国の1つ、カタールの民族衣装を着た女性がドルの札束を持ってハンドマイクで叫んでいる。「ネタニヤフはこの金でカタールと一緒になってハマスを養っていたのよ」。女性の隣に「ネタニヤフおじさん」がいる。ウソをつきすぎて鼻が伸びたネタニヤフ、右手に破れかけたイスラエル国旗、左手にはガザの虐殺を象徴する血塗られた赤ちゃんの人形、そしてパンツはカタール国旗だ。
昨年公開された映画「ネタニヤフ調書」はイスラエルでは上映禁止。しかし人々は密かにテレグラムでこの映画を見て、さらにネット経由で「カタール疑惑」に気がつき始めている。
ではカタール疑惑とは何か?結論から言うと「ネタニヤフはカタールを経由してハマスに資金を送り、テロリストを育ててきた」というとんでもない疑惑である。歴史的な背景を振り返ってみよう。
1993年9月、ノルウェーの仲介でオスロ合意が締結される。アメリカのビル・クリントン大統領を中央に、握手するイスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の姿を思い出す人も多いかと思われる。合意内容は①PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエルはPLOをパレスチナ自治政府の代表と認める。②イスラエルは占領地から撤退し、5年の間に和平に関する詳細を決める、というもの。これは世界中の人々を大いに喜ばせ、ラビン首相とアラファト議長は翌年のノーベル平和賞に輝いた。
しかし現実は厳しかった。イスラエルとパレスチナ双方に「和平反対勢力」がいた。その代表格がネタニヤフとハマス。「イスラエル全土はすべてユダヤ人のものだ。アラブ人に領土を渡してはならない」。エルサレムのシオン広場でネタニヤフが演説した直後の95年11月、ユダヤの過激派青年によってラビン首相が暗殺される。一方、パレスチナ側も自治が進まず、相変わらずイスラエル占領軍に民間人が殺害されていく中、怒った民衆が石投げ、つまり第1次インティファーダという抵抗運動が広がっていく。やがてガザでハマスが台頭。「西岸のファタハ=アラファトは生ぬるい、自爆テロで対抗せよ」。この頃からハマスの自爆テロでユダヤ人が殺されていくようになる。イスラエルでは「左派の労働党(ラビンとその後継者)ではダメ、ここは強硬右派のリクード党に治安を任せよう」という機運が広がって、96年5月にネタニヤフが首相に就任する。
この時、ネタニヤフは何を考えていたのか?
地図を見てわかるようにパレスチナの土地は分割されている。西岸はPLOの主勢力、アラファトのファタハが抑えている。ガザでは台頭するハマスとファタハが主導権を争っている。このままガザもファタハが主導権を握ればパレスチナは団結を維持し、イスラエルにとって手強い相手になる。ここはハマスに資金を投入し、ハマスを育ててパレスチナを分断すればイスラエルにとって好都合だ…。極右リクード党は典型的な分断統治を行っていたのだ。
この頃のハマスがなぜ人気を集めたかというと、ハマスにはカッサム旅団という軍事部門と政府に該当する民生部門があり、学校や病院、モスクなどの運営を通じて社会福祉サービスを提供してきたからだ。それには莫大な金がかかる、今までは湾岸諸国、特にカタールがその資金を援助してきたと言われてきたが、ここに来て「実はネタニヤフもカタール経由で資金を送っていた」ことがバレ始めているのだ。
ネタニヤフになった気持ちで考えてみる。
21世紀になってアフガン、イラク戦争が起こり2012年からはシリア内戦、引き続くイスラム国との対テロ戦争、20年のコロナ禍と22年のウクライナ戦争。世界各地で紛争が続く中でイスラエルの武器と群衆監視システムがバカ売れした。イスラエルが武器をセールスする時の殺し文句は「ガザで試され済みですよ」。顔認証ツールや携帯電話ハッキングツールを売り込むときは「ヨルダン川西岸で成果を上げていますよ」。日本は今武器を売り込もうとしているが、買う側にしてみれば「実際に使えるかどうか」がポイント。今後もイスラエルの武器や監視システムはバカ売れしていく。つまりネタニヤフとその周辺企業は空前のボロ儲けで笑いが止まらない状況だ。しかし好事魔多し、武器の取引は賄賂がつきもので、長期政権で王様状態、汚職にまみれたネタニヤフに対して司直の手が伸びてしまった。彼は今、3つの汚職で裁判にかけられるというピンチを迎えているわけだ。こんな時権力者はどう振る舞うだろうか?
簡単である。内側、つまり国内の不満を外へ向ける。トランプになってMAGA、アメリカが再び偉大になると思っていたのに、物価高と失業で全然生活が良くならない。その上に小児性愛者のエプスタインとトランプが親密であったことがバレ始めている。大統領の支持率が急降下する中で何が起きたか?国際法を無視してベネズエラの大統領を逮捕し、グリーンランドを手に入れる、カナダは51番目の州だ、とうそぶけば支持率は少し回復する。ネタニヤフも同じ手法を取る。「ミスター治安」と呼ばれていたネタニヤフにすれば、「ハマスが何かの事件を起こす」ことで「ユダヤの危機」をあおりたて、自分の存在感と人気を高めることができていた。実際に08年、14年、21年とハマスが小規模なテロを起こし、ユダヤ兵士を殺害、その直後からイスラエル軍が3ヶ月程度の「報復のガザ戦争」を仕掛け、殺されたユダヤ兵の「ほぼ100倍の人々を殺害した時点で停戦」が繰り返されてきた。ネタニヤフとハマスは持ちつ持たれつの関係だった。しかし今回は以前とは違った。23年10月7日、ハマスは何千発ものロケット弾を放ち、ワイヤーフェンスを突き破り、機関銃で武装した数千名の兵士軍団が1200名以上のユダヤ人を殺害し、200名以上を人質としてガザに連れ帰ることに「成功」した。これは「相当な資金があったからこそ可能」だった。うかつにも私はその資金がイランやカタールから出ている、と考えていたが、実際にはネタニヤフ自身から出た資金がカタール経由でハマスに入っていた可能性があるとは想像できていなかった。そういえばイスマイル・ハニヤを筆頭とするハマス幹部はカタールに住んでいた。つまり戦闘指令を出すのは安全なカタール、報復で殺されるのはガザの人々、という構図がずっと続いていたのだ。
今回おそらくネタニヤフは「サジ加減を間違えた」のだ。自身に迫ってくる裁判と有罪判決、そして収監を避けるためには、もう一度ハマスにテロを起こしてもらって小規模な戦争をするしかない。それでカタール経由で資金を送っていたが、資金が膨れ上がりすぎて「想像以上の一撃」を喰らってしまった。
こうなればもう大規模な報復戦争しかない。ガザを徹底的に破壊し、人々をジェノサイド=大虐殺しても戦争を止めてはならない。首相の座にいる限り、自分は逮捕されない。戦争をやめれば総選挙が前倒しで実施され、リクード党が負ければ有罪になり監獄行き。だからガザの次はヒズボラを空爆し、たまにイエメンのフーシ派を空爆しながら、とうとうイランに攻撃を仕掛けるまでに至った。
都合のいいことに、今は最もイスラエル寄りと言われる盟友トランプが大統領だ。彼の任期は後3年ある。この3年間で戦争を続け、「強い首相」を演じていれば、司法を屈服させ、国民をあきらめさせ、そして汚職事件は風化するだろう。だからこそ総選挙の前に、またどこかを攻撃せねばならない…。今年の夏か秋にまた戦争を仕掛けて、支持率を上げた上で総選挙に持っていこう…。
以上が私の推測だ。反ネタニヤフ集会に戻る。ハビーマ・シアター前広場に続々と参加者が集まってくる。同時に広場の反対側、大音量でビビ、ビビと叫ぶ少集団が現れる。彼らはビビ=ネタニヤフ支持者で、ガザのパレスチナ人を追い出せ、と主張している。カメラを向けると「ビビ最高!」と親指を立てる。午後8時半、集会が始まる。登壇者がヘブライ語で何か叫ぶたびにウォーという地響きのような歓声が上がる。地元テレビがその模様を撮影している。一方、道路の向こう側でビビ、ビビと叫んでいる人々はざっと見て50人程度、こちら側は5千人は下らない。
今、選挙をすればネタニヤフを退陣に追い込めるのではないか?
表面的にはそう見える。しかし現実はそう簡単ではない。16年のアメリカ大統領選挙が好例だ。世論調査ではヒラリーがリードしていたが、蓋を開けて見ればトランプが辛勝した。トランプ支持を口にするのが恥ずかしいので、こっそりとトランプに投票した人が多かったのだ。イスラエルでも同じ現象が起きている。ジェノサイドで、つまり戦争犯罪者として国際的に指名手配されているネタニヤフについて、公然とは支持できないけれどハマスは大嫌い、パレスチナ人はイスラエルから出て行ってほしい、と考えている人が多数なので、ネタニヤフは思いのほか選挙に強いのだ。
しかし昨年までと違う展開が「カタール疑惑の発覚」だ。私は戦争中に2度この国を取材して今回が3度目である、昨年までの反ネタニヤフ集会では「カタール疑惑」に触れていた人は皆無だった。掲げているスローガンは「あなたがリーダー、そしてあなたが失敗した」。ネタニヤフが治安維持に失敗して多くのユダヤ人が殺された、責任を取れ、という論調。今年は違う。かなりの人々が「この戦争は自作自演だ」「ネタニヤフこそが元凶だ」と気付き始めている。映画「ネタニヤフ調書」の中でネタニヤフが警察に尋問されるシーンが何度も登場する。その中で彼は「友を近くに置け、敵はもっと近くに置け」という映画ゴッドファーザーの有名なセリフを口にする。敵=ハマスを近くに置いていたからこそ、つかんだ権力の座。犯人を捕まえてみれば警官だった、というオチ。
ネタニヤフとトランプはよく似ている。どちらも弾劾されかけた過去を持ち、権力を手放せば監獄である。エプスタイン文書が出てきたトランプと、カタール疑惑のネタニヤフが狙う次の「言いがかり戦争」はおそらくイランではないか。そんなトランプに「ノーベル平和賞を推薦」する高市政権、ネタニヤフにアゴ足つきで訪問させてもらって武器の技術提供を模索する自民党国会議員団。今の高市政権は時代が読めていない。おそらくトランプは中間選挙で大敗してレームダックになるだろうし、ネタニヤフの戦争に対してグローバルサウスはもちろん、欧州からの反発も大きくなる。ガザのジェノサイドで世論は大きく変わっていて、今までのように「イスラエルの行動は免罪」される世界ではない。
今後のイスラエルは「今まで通りネタニヤフに騙される人が多数なのか、この騙しに気がついた人が多数になるのか」が問われている。これは日本も同様だ。「高市の勇ましい発言や中国への毅然とした態度」というフェイクニュースに騙され続けるのか、「平和外交で互いに経済発展」を求める政権に交代させることができるのか、が問われている。
