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落葉松亭日記(2008年7〜8月)

8月31日(日) 北京五輪、終わってみれば

暑かった8月も今日で終わる。色々あったなぁ。
4月、支那のチベット人虐殺から騒乱が始まり、日本政府は皇族の開会式出席を見送ったものの「チベットと五輪、関連付けるべきでない」と批判はせず支那擁護が目立ち、福田首相は開会式出席。
長野聖火リレーでは、中国大使館が動員した支那留学生が巨大な五星紅旗を沿道に林立させた。現場ではチベット人虐殺事件に抗議するグループに対する支那人の暴行事件が起きたが、警察官は目の前の犯人を取り押さえようともしなかった。
「一体ここはどこの国なんですか!」暴行を受けた見学者の言葉は、そのままニュースを見たものの言葉でもあった。
あまりにも政治色の濃い、人権無視の北京五輪に開会式出席を拒否する世界の要人も多かった。

そんなニュースを見聞きし、中国産毒入り餃子事件もうやむやにされ、すっかり北京五輪には興味を失ないTVは遂に見なかったが、閉会式もやはりNHKだけが2時間以上も中国共産党の国威発揚を延々、垂れ流したそうである。

さて国威発揚を大目標にした支那はさすがに金メダル獲得数も51個と第1位だった。日本は北島康介選手らの活躍で日本選手は、金9、銀6、銅10のメダルと感動を残したが、目標としていたメダル30個には届かなかった。

肝心の五輪後の中国経済は、中共の自画自賛とは裏腹に景気の減速は不可避だという。

「中韓を知りすぎた男」さんのブログ(8/26)より
「・・・今の政治家やメディア、経済評論家はあまりにも中国のことを知らなすぎます。とくに国を預かる政治家は中国へ行っても中国要人に頭を撫ぜてもらうだけで、中国の実態を見ようともしません。
すでに株式と不動産バブルが音を立てて崩れてきました。
チャイナインパクトが目の前に迫って来ています。
暴徒と化した民衆が横暴の限りを尽くしていた共産党に襲い掛かります。
武装警官や人民軍は銃の引き金を引くことに躊躇しません。多くの血が流れますが中国政府は簡単に弾圧します。
しかし経済は見るも無残に疲弊していきます。
中国発展は一夜の夢でした、目が覚めれば、何千年と永久に変わらない水墨画に描かれているような中国に帰っていきます。
北京五輪は中国幻影の象徴だったのです。」


暴動も直訴も封じ込め、民主化への道はやはり遙かに遠いようだ。

元民社党委員長塚本三郎さんの五輪総括。
http://www.melma.com/backnumber_133212_4208555/

8月30日(土) ヨット「空海」より

8月29日に山形県の酒田港に入りました、天候がよければ30日に出港し鼠ヶ関に向かいます、調子が良ければ岩舟まで足を伸ばします。

津軽海峡を通過し(8/15頃)日本海に入ってから写した早朝の空


深浦港(8/21)で合流した友人の案内で世界遺産である白神山地を観光、
生憎の天候でしたがぶなの原生林を見ることができました


空海(左)と友人の船


8月28日(木) 無題

5:40、起き抜けにベランダで四股踏みもどきをしている。
顔を出したばかりの太陽はここからは見えない。反対側の空を見上げると虹がかかっていた。
水蒸気が多いらしく、間もなく曇り空になり、午前中はしとしと雨が降った。

午後、雨は止んだが蒸し暑い。
森の中の桜が早くも黄ばんできた。蝉の声はまだしているが、秋も徐々に忍び寄っている。






    ヨット「空海」より

秋田沖の海上警報も解除になり今日、秋田マリーナを早朝に出港し、本荘マリーナ(秋田)へ向かいます。
本荘には昼過ぎに入港予定です。

先日(8/10〜8/14)函館入港時の写真です。

函館に接近しているときに写した函館山


函館山の展望台から写した函館港


函館での空海の停泊状況

8月27日(水) NHKは民主党びいきか・米大統領選

自慢することではないが、TVは最近殆ど見ず(オリンピックでさえ)、見るのは「篤姫」ぐらい。
たまに食事時にラジオを聞いている。
今日お昼のニュースに「米民主党大会 亀裂修復目指す」を報じていた。

何時も思うのだが、日本は米大統領に民主党候補者がなった方が幸せなのか。
今日のウェブNHKのニュース(国際)のうち米大統領選関連は全て民主党だった。
曰く
クリントン議員 党大会で演説・http://www.nhk.or.jp/news/k10013731421000.html
米民主党大会 亀裂修復目指す・http://www.nhk.or.jp/news/k10013726941000.html
米民主党大会 結束を呼びかけ・http://www.nhk.or.jp/news/k10013716791000.html
オバマ氏に危害か 男3人逮捕・http://www.nhk.or.jp/news/k10013715721000.html
ケネディ議員 民主党大会参加・http://www.nhk.or.jp/news/k10013709671000.html
米民主党大会 政策綱領を採択・http://www.nhk.or.jp/news/k10013709021000.html
民主党大会 オバマ氏夫人演説・http://www.nhk.or.jp/news/k10013708191000.html

共和党候補の動向はどうなの。

8月24日(日) ヨット「空海」より


マリーナ秋田のライブカメラから(空海=右手前)

「空海」は秋田沖の強風を避け、マリーナ秋田に停泊中です。
低気圧は殆ど停滞しているので滞在を余儀なくされそうです。
この後、酒田、佐渡へと合流した仲間のヨットと巡り、大阪泉大津まで帆走する予定です。

8月22日(金) じいちゃん気分

午後、義姉(兄は現在ヨットで航海中)が次女と孫4人を連れて老母の見舞いにやってきました。
高一(女の子)を筆頭に、小学5年生、々2年生、6歳の幼稚園の男の子3人です。老母にとってはひ孫になります。 私はこの子達を連れて部屋の前のハイキングコースに連れて行きました。
丁度遊び盛り、私にはまだ孫はおりませんが、すぐにうちとけて「じっちゃん \/」と呼んでくれて、じいちゃん気分を味わいました。

じいちゃん、ばあちゃんと慕ってくれるのはせいぜい小学生まで、
「中学高校になると部活などがあって親でもよりつかなくなるなぁ」
「ほんと、子供時代はあっというまよ、10年も顔を見ないとだれだかわからんわ」
と老母子の会話。

イヤガ谷ハイキングコース

8月21日(木) ヨット「空海」より

当地の日中の気温も30度前後になってきました。
空海は青森県深浦港に停泊中で、明日22日深浦港を出港し戸賀港を経由して秋田港に向かうとのことです。
気温は23度で寒いぐらいだそうで、小さな日本ですが、北と南では大分違います。

父島での写真が来ましたのでご紹介します。(7月中旬)


二見港に停泊している空海


二見港の対岸


赤いカヌーのある海岸風景

8月16日(土) かねてより聞きしかど、ここまでとは

今日は凄いものを見てしまった。

呆れた売国議員の恐るべき妖怪ぶり、何十年にもわたって構築された産業界、外務省、河野洋平衆議院議長の利権構造

「チャンネル桜」江の傭兵の華麗なるチャイナ・コネクション(Youtube)

1/6 2/6 3/6 4/6 5/6 6/6

8月15日(金) 参拝どうのこうの

また今年も終戦の日がやってきた。
靖国神社参拝をメディアが取り上げ、参拝する議員、しない議員を知らせてくれる。
結局の所、これを見ると国民のための政治をする人か、なにか他の目的で議員になっているのかがはっきりしているではないか。ようく覚えておいて次回の選挙に活かそう。

作家の上坂冬子さんが「老いの一喝・福田首相が靖国参拝する日」という記事を書いておられた。「ここで8月15日靖国参拝を根づかせる偉業をやってのけてはどうか。」と結んでおられるが、無理でしょう。偉業でも何でもない、こうして中韓におもねり外交カードを差し上げるのが彼の仕事なのだ。
死者を悼むのがなぜ戦争賛美なのか、参拝は当たり前、その是非を問わなくなってこそ、まともな日本でしょう。

8月14日(木) ヨット「空海」位置



ヨットから写真が届きました。7月初旬、父島に向かう途中で撮ったものです。



8月13日(水) 無題

天気予報ほどには悪くならず、午後は爽やかに晴れ渡った。
気温30度と昨日よりは涼しい。洗濯物がみんなよく乾いた。

お盆の帰省ラッシュのニュースをよそに、HPを徘徊していると、「世界の人口」というのがあった。
「地球は時速1700kmで自転し、時速11万kmで太陽の周囲を回り、時速80万kmで銀河内を移動中だよ」という。
そうだった、よくもまぁ何十億年、空気も水も人間も振り落とされないなぁ。

8月11日(月) 五輪の陰で

グルジアとロシアの軍事衝突が起きている。 隠れた意図は、原油高騰の維持ではないかという。
ロシア軍 グルジアに軍事圧力 8月10日 19時11分 NHK
南オセチア自治州をめぐるグルジアとロシアの武力衝突が続くなか、ロシア軍は、海軍の艦船をグルジアの黒海沿岸に出動させて海上封鎖の構えを見せるなど、グルジアに対する圧力を強めています。
グルジアの南オセチア自治州では、10日に入っても、グルジアからの分離を求める地元の部隊を支援する形で軍事介入したロシア軍とグルジア軍との間で戦闘が続いています。ロシア軍は、グルジアの首都トビリシの空港近くでも攻撃を行うなど、南オセチア自治州以外にも攻撃の範囲を広げています。グルジア内務省は、ロシア海軍がグルジアからの分離を求めている別の地域「アブハジア自治共和国」にも10日に大規模な部隊を上陸させたと指摘しました。さらに、ロシアのインターファクス通信によりますと、ロシア軍は、黒海艦隊の艦船をグルジア西部の黒海沿岸に出動させて、軍需物資を載せた船の入港を阻むための海上封鎖を行う構えを見せ、グルジアへの圧力を強めています。こうした情勢の一方で、グルジア内務省は、グルジア軍の部隊が南オセチア自治州から全面的な撤退を始めたと発表しました。これに対して、ロシア側も、中心都市ツヒンバリからのグルジア軍の撤退については認め始めており、こうした動きがどこまで事態の打開につながるかが注目されています。この日、ロシアのメドベージェフ大統領は、南オセチアから逃れた住民のもとを訪れてモスクワに戻ったプーチン首相と会談し、現地でロシア国籍の住民が多数犠牲になったことを踏まえ、グルジア指導部の刑事責任を追及していく考えを示しました。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成20年(2008年)8月11日(月曜日)
通巻第2283号 (8月10日発行)
ロシア、グルジアへの軍事攻勢はアブハジア独立支援だけか?  隠れた意図はジェイハン・ルートを頓挫させ、原油高騰の維持ではないのか
 ロシアはグルジア攻撃をぬかりなく準備してきた。
 そもそもコソボ独立に反対し、されどオセチア独立に賛成し、チェチェン独立は武力で弾圧し、ユーゴスラビア解体のときに何も出来なかった恨みを晴らすかのように、グルジアをぺしゃんこになるまで軍事攻勢をかけようとしている。
 親米派のサアカシビリ政権があぶない。
 英米はこぞって即時停戦を呼びかけ、グルジアは五輪からの選手撤退を検討し、欧州のメディアは五輪そっちのけ、一面トップ・ニュースはグルジアである。
 ロシアは資源戦略の一環として複雑な思惑を秘めた軍事作戦を採っている。

 第一に北京五輪の虚をついた。
 プーチンは何事もないかのような笑顔をつくって北京五輪の開会式へ出席し、胡錦濤やブッシュと握手し、その笑顔を変えないで、グルジア攻撃を命じていた。鉄面皮。

 第二は米国が手も足も出せない窮状をしっていて、その隙に乗じた。米国はイラクで泥沼に陥ってしまい、台湾問題でも北京に譲歩するほどの外向的ていたらく、グルジアを救援するために米軍を派遣することはあり得ない。  イランの核武装が着々と進んでいても英米の制裁にモスクワはまったく乗らない。この点では北京と黙契があるかのようだ。

 第三にグルジアへの積年の恨みを晴らす絶好の機会なのである。
一昨年、グルジアは二百年ぶりに真の独立を恢復し、ロシア軍は撤退を余儀なくされ、その屈辱の裏返しが年初のオセチア、アブハジア両傀儡政権の事実上の承認だった。外向的に国家承認ではなく、国内国のまま既成事実をみとめ、ロシアの傀儡大統領を「元首」扱いしだした。
 戦争準備は出来ていた。

 基本的なプーチンの資源戦略は石油高騰を維持し、ガスのカルテルを策定し、さらにウランのカルテルを組織化し、そのためには中央アジアの資源を、ロシアを経由しないルートの建設を徹底的に妨害することにある。
 西側が建設を始めたブロッコ・パイプラインに対抗してブルーストリームを並列させて同時に建設し(満鉄に平行した東清鉄道をみよ)、その拠点をベルギー、ウィーンに競わせてむしろEU内部の結束ががたがたに揺らし、ドイツへの資源供給に脅しをかけ、そしてジャイハンルートへの妨害である。
 ブロッコ・ルートはルーマニア、ブルガリアを巻き込み、EUの団結を削減し、バルト三国は供給を絶たれて悲鳴を挙げている。

 ジェイハンルートとは、中央アジアからアゼルバイジャンのバクー → グルジアを経由し、トルコを西から東へ横断してトルコ南岸のジェイハン港へと至る長大なパイプライン。すでに一日80万バーレルを運ぶが、トルコ内ゲリラの襲撃で五日間ほどストップしたばかりの脆弱性を秘めている。

 このパイプラインがグルジア領内を通過している。
 ロシアの副次的な狙いは、これであろう。
国益、石油利権のためなら、躊躇なく軍事侵攻するロシアのしたたかさが目立つ。

8月10日(日) ヨット「空海」位置


15:30函館到着。津軽海峡から太平洋に流れ出る潮流を乗り切るのに予想外に時間を食ったとのことです。
此処で2,3日英気を養って津軽海峡から日本海に出る予定です。海峡潮流は6ノットぐらいあるそうです。
小さなヨットのエンジン能力もその程度なので、干満や潮だまりを巧く利用していかなければならないとのこと。

8月9日(土) 原爆

1945年8月6日広島に続き、同年8月9日長崎に原爆が投下された。 広島では14万人、長崎では7万4千人が死亡した。長崎の方が少ないが、それは盆地状の地形によるもので、爆弾の規模は長崎のプルトニウム原爆のほうが広島のウラン型の1.5倍の威力があった。(Wikipedia
これらの記事を読むと、日本敗戦の色濃い時期にあえて原爆を投下した米の実験目的の要素が強く感じられる。

広島原爆公園には「過ちは繰り返しませんから」と刻印されているとのことで、昔NHKの番組で某女優が厳かに朗読していたのを思い出す。子供の頃「ヒロシマ」という原爆映画で、今もあの吐き気がするほどの悲惨さを思い出すが、それでも日本人が「過ち」を犯したのであろうか。
衆議院議員 西村眞悟氏が「原爆の投下と広島の石にある『文句』」という一文を書いておられる。

周辺国は核を保有し暗に恫喝しているが、核を落とされても敵も討てない今の日本である。原子力発電所は各所に稼働している。核攻撃にも瞬時に組み立て反撃できるという技術もあるはずと思うが、それぐらいはアピールし核抑止にしてもいいのではないか。いい加減に戦後の自虐史観呪縛、全方位土下座外交から脱してもらいたいものと思う。

8月7日(木) ヨット「空海」位置・立秋


8/5燃料補給のため銚子マリーナに寄った後、再度北上中。


立秋の今朝、天高く鱗雲。しかし、天気は下り坂、午後は蒸し暑くなった。一時雨がぱらついたものの夕立は無し。

7月30日(水) ヨット「空海」行き先変更

7日に父島に到着した「空海」は、エンジンシャフトから水漏れがあることが判明し、修理を余儀なくされました。 離島ゆえ、部品の調達に時間をとられ、3週間滞在しました。
当初の予定では、台風シーズンを前にして赤道付近まで到達しているはずですが、今からでは無理で、行く先を北海道に変更しました。その後、津軽海峡を抜け日本海沿岸を南下して泉大津に帰ることとなりました。
今朝10時に父島を出港し、函館に向け帆走中です。


7月28日(月) 久々の雷雨

14時過ぎ、黒雲が北から森の上空、海の方へが流れ出した。
縦に走る稲妻と雷鳴がバシッバシッと始まった。







灘区の都賀川では、急に増水し、子供を含む4人が流された。
山と海が接近しているので油断は禁物なのだが・・・

7月27日(日) 【山】イヤガ谷東尾根

今日も暑い一日でした。
午後久しぶりにイヤガ谷を歩いてきました。
すぐ近くにハイキングコース入り口があり便利ですが、いつでも歩けると思うと案外ご無沙汰になります。
森の中は涼しく、岩山の上も日射しはきついですが爽やかな風が吹いていました。

7月26日(土) 対馬も韓国領ってか?

瀬戸弘幸氏のブログを見て驚いた。 誤った歴史教育のせいか工作員か、60代退役軍人がこんな行動に出る。それをまた取り締まる法もないという日本の現状にも驚きだ。
案外こういう考え方をしている韓国民が多く、彼らが帰国すると英雄視されているのではないかと危惧する。
報じているのは地元長崎新聞だけで、大手新聞は取り上げていなかった。

おりしも永住外国人の地方参政権付与法案が浮上したり、1000万人移民受け入れなどが論議されている。在日外国人が日本国籍を取るのは諸外国に比べ非常に緩いとも聞く。にもかかわらず、「特別永住制度」によって在日韓国・朝鮮人の人々に「世界にも例のない優遇された地位」が与えられ、一向に帰化しようとしない人々を生み出してきた。日本国内の戦後自虐史観、支那朝鮮半島の反日教育と相俟って亡国の一途を辿っているような気がしてならない。

北方領土返還要望、元島民の孫らが首相表敬 2008.7.24 18:16 産経
 北方領土元島民の孫ら中学生7人が24日、首相官邸で福田康夫首相と面会し、「私たちの祖父母がまた北方領土で暮らせるように領土返還を実現してほしい」「教科書に北方領土の写真の説明をたくさん載せて勉強の時間を増やしてほしい」などと要請した。
 暗礁に乗り上げている北方領土交渉について、首相は「大事なことはお互い(日露)の国民がどう思うかだ。ロシアの国民がね、どういうふうに思うかということも大事なんだ」と指摘した。また、8日の日露首脳会談に言及し、「メドベージェフ大統領は前向きな姿勢をみせて、ロシアも仲良くしたいんだと強く感じた。私たちも努力する。皆さんもがんばって一緒にやりましょう」と語った。

毒餃子事件もうやむや、長野五輪聖火リレーでの支那留学生の狼藉にも抗議せず、洞爺湖サミットも当たり障りのない結果で、相も変わらず相手の嫌がることは主張しない姿勢丸出しである。福田首相になってなにかいいことあったのか、自民党には国思う人材はもういないのだろうか。

7月24日(木) 盛夏

大暑も過ぎ、今日は土用の丑の日だったとか。先日ウナギの蒲焼きでも産地偽装騒ぎがあったがスーパーでの売上はどうだったのか。
当方は買い出しにも行かずあるもので済ませた。
昨日、先輩から「田舎からトマトを送ってきたので取りに来ないか」と連絡を頂く。早速バイクで頂戴に上がる。当地は精々31度ぐらいに収まっているので、町はこんなにも暑かったのかと思い知る。

母の日課の雑巾縫いは終り、今は私の下着縫いになった。かつては和裁の先生をしたことがあるので「もっと高尚な刺繍などの手芸はどう」と勧めるのだが、母は「これは簡単でいい」といっている。
老母に縫って貰うのは20代の頃以来で、ここに来てまた縫って貰うことにになろうとは思わなかった。すでに5,6年分たまり、「あんた、それまで生きているかな」と云う。「それぐらいでは死なんつもりやけど」と言い返すが、このペースでゆくと、褌だけは生涯不自由せずにすむ気配だ。
今はする人も殆どいないのでどこにでも売っているわけではなく、有り難いことではある。大した材料費でもないのでお年寄りの暇つぶしにしてもらおう。
先日は朝の涼しい内にベランダ下の草むしりもやった。
ベッドで本を読むのに飽きると、こういった成果がはっきりと見える手仕事や作業が楽しいらしく、表情もしっかりしている。にもかかわらず、翌日になると「昨日何をしとったかな」と思い出せないのが不思議だ。
先輩にいただいた、ほうき草とニチニチソウの寄せ植え。ほうき草の実は「とんぶり」と云って美味らしい。
ヒグラシやアブラゼミの鳴き声、キリギリスなど虫の音が賑やかな庭。

老母のペースに合わせ、なんだか自分でも爺さんになってきたなぁと感じる今日この頃。

7月20日(日) 猛暑到来

暑い!愛媛で38・2度、西日本中心に猛暑日続く 2008.7.20 19:08 web産経新聞
 夏休みに入って最初の日曜日となった20日、中四国から東海地方を中心に高気圧に覆われて強い日差しが照り付けた。愛媛県の大洲でこの地点としては過去最高タイとなる38・2度を記録するなど、各地で最高気温が35度を超す「猛暑日」となった。
 気象庁の観測によると、岐阜県の多治見で37・8度、京都で37・4度、大阪府の豊中と愛知県の愛西で37・1度を記録。和歌山市の友ケ島と山口県の下松では35・4度と、両地点の7月としては観測史上最高となった。
 同庁は、中四国と近畿地方は8月1日ごろにかけ、高気圧に覆われて気温がかなり高い状態が続く恐れがあるとして、「異常天候早期警戒情報」を出し、熱中症などへの注意を呼び掛けた。

梅雨が明けたと思ったら、早速猛暑がやってきた。
我が部屋も31度になったが、緑が近いせいか、この程度に収まっている。団地のはずれで、庭先を通る人もなく無礼講で過ごせるのは有り難い。

夏休みに入った学校も多く、痛ましい水の事故も報じられていた。我々の子供の頃は池や川で泳いでいたが、事故も希であった。なんとなく今の方が子供達は危険を予知する能力が弱くなっているような気がする。

7月18日(金) 梅雨明け

近畿梅雨明け、平年より3日早く(2008年7月16日 読売新聞)
 気象庁は16日、近畿、中国地方が梅雨明けしたとみられる、と発表した。平年に比べて近畿は3日、中国は4日早く、昨年と比べると、近畿は8日、中国は7日早い。
 大阪市では、今月に入ってから30度以上の真夏日が続き、まとまった雨は2日間しか観測されていなかった。ただ、大気の状態が不安定だったため、気象庁は判断を見送っていた。
 この日は、朝方に雲が多かったが、昼前から強い日差しが照りつけ、大阪市の気温は正午過ぎに32度を記録。同市東住吉区の市立田辺小学校では、青空の下、児童たちがプールで気持ちよさそうに水しぶきを上げていた。


昨日(17日)森の上空高く鳶が弧を描いていた。ついつい見とれてしまう。
久しぶりに市街まで用事で出かけたが、さすがに真夏の暑さ。台風7号の影響だろうか爽やかな風が吹き見通しがよく遠方の山々に入道雲がまぶしい。

今日未明雨音がしていた。明けると霧が立ちこめていたが、9時には薄日が射し、蒸し暑くなってきた。

7月15日(火) 文科・外務両省対立で指導力なき福田政府

「韓国は竹島に警備部隊を駐留させ、電話線を引き、住所を確定し、ご丁寧に郵便番号まで作って、自国化を図っている」なか、文部科学省は中学校学習指導要領の解説書の改定版で、「竹島が我が国固有の領土」であることを明記すると云っていたので、日本も主張し始めたかと期待していた。しかし福田政府・外務省の「外交配慮?」圧力で文科省は14日これを断念した。
支那毒餃子事件も結局ウヤムヤ、相変わらず、中韓におどおど、おずおずと情けない外交姿勢が続く。
竹島は「我が国固有の領土」…新指導要領解説書に明記へ 5月18日3時2分配信 読売新聞
 文部科学省は17日、中学校社会科の新学習指導要領の解説書に、韓国と領有権を巡って争いのある竹島を「我が国固有の領土」として新たに明記する方針を固めた。
 これまで指導要領や解説書には北方領土に関する記述はあったが、竹島の記述は日韓関係への配慮などで見送られてきた。民間の出版社は指導要領や解説書に沿って教科書を作成、竹島の記述の有無も出版社で異なっており、今回の措置は、今後の教科書作りに影響しそうだ。
 解説書は、10年に1度程度の指導要領改定に合わせて文科省が編集、小中高校の各教科ごとに作成し、指導要領の内容を補足する。
 同省は「教科書検定の基準として拘束力を持つのは指導要領だが、解説書も指導要領の解釈に関する記述には実質的拘束力を持つ」としている。指導要領同様、教師が授業を行う際の指針ともなる。
 同省は今年3月の小中学校の新指導要領の官報告示を受け、新解説書を6〜7月に完成させる。新指導要領は小学校では11年度、中学では12年度から全面実施される。

禍根残す外交配慮 竹島記述  2008.7.14 23:06 web産経新聞
 せっかくの北海道でのサミットで北方領土問題を取り上げないとか、東シナ海のガス田を中国に掘られたままなすすべがないとか、この国の政府にはとかく驚かされることが多いが、今回も思いっきり驚かされた。それは教科書の竹島をめぐる記述についてである。
 文部科学省は14日発表した中学校の学習指導要領の解説書の改定版で、「竹島が我が国固有の領土」であることを明記することを断念した。「日韓関係をぎくしゃくさせてはいけない意図のあらわれ」(町村官房長官)だという。  改定版では初めて竹島について触れられることになった。その際に問題になったのが「固有の領土」という文言をいれるかどうかであった。
 この話が韓国に伝わると、韓国政府も、議会もマスコミも「独島(竹島の韓国名)は韓国の固有の領土、日本が固有の領土というのは許せない」と声を張り上げた。その結果、政府部内では閣僚間の話し合いが行われ、解説書の内容は高度な政治判断の場と化し、結局、「固有の領土」の記述を見送ることになったのである。
 韓国は竹島に警備部隊を駐留させ、電話線を引き、住所を確定し、ご丁寧に郵便番号まで作って、自国化を図っている。であればなおのこと、日本は固有の領土であることを主張して、争うべきなのである。現に日本は国際司法裁判所に提訴をすることを韓国に提案している。しかし、韓国は応じていない。その理由は「独島が韓国の領土であることは争うことのないほど自明」というのがその理由だ。しかし、日本にとっても「自国領であることは自明」であり、であればこそ、国際司法裁判所で争おうといっているのだ。同裁判所は当事国双方の提訴の同意がなければ、裁判を受け付けないので、裁判所の判断を得られないままである。提訴の同意をしないというのは、自国の主張に自信がないからだと思わざるを得ない。

 改定版では北方領土に関して「北方領土が我が国の固有の領土であることなど、我が国の領域をめぐる問題にも着目させるようにすること」と書きながら、竹島に関しては「我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどにも触れ」とまるでよそごとである。
 領土、領空、領海、そして国民の生命、身体、財産を守れない政府は、もはや政府ではない。相手が主張したら、こっちも主張してこそ政府なのである。
 ある韓国人外交官が私にささやいた言葉を思い出す。「領土問題は一歩でも譲ったら、取り返しのないことになりますよ。日本は経験がないでしょうが」。かつて国を奪われた民族の声は、いまわれわれの胸に響く。
(産経新聞東京本社編集長 大野敏明)

【主張】竹島 明確に「日本領」と教えよ 2008.7.15 03:26 web産経新聞
 竹島に関する新学習指導要領の解説書の内容が公表された。日韓両国の領有権をめぐる争いを踏まえ、「北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせる」としている。だが、竹島が日本固有の領土であることがはっきりと書かれておらず、大いに不満が残る。
 文部科学省は当初、竹島を「我が国固有の領土」と明記する方針だった。しかし、外務省や首相官邸と調整した結果、最終的には福田康夫首相の判断で、このような表現になったとされる。町村信孝官房長官は「日韓関係をできるだけぎくしゃくしないようにしたいとの意図の表れだ」と韓国側に配慮したことを認めた。
 領土問題は日本の主権にかかわる問題である。その指導のあり方を示す解説書に外交的配慮を加えたことは、日本の公教育の将来に禍根を残したといえる。
 韓国はこの日本政府の対応にも「深い失望と遺憾」の意を示し、駐日大使の召還を発表した。韓国側の不満は理解に苦しむ。
 解説書は教科書編集の参考とされる重要な資料である。最近の検定では、竹島について「日韓両国が領有権を主張」といった申請図書(白表紙本)の記述に意見が付き、日本の領土であるとする記述が少しずつ増えていた。今回の福田内閣の対応は、こうした検定方針とも矛盾している。
 ただ、解説書は領土問題について「我が国が正当に主張している立場」に基づくべきだとも書いている。外務省のホームページによれば、竹島は日本の領土でありながら、韓国に不法占拠されている。解説書の竹島に関する表現は曖昧(あいまい)だが、学校では、この日本の立場を踏まえて指導すべきだ。
 竹島は江戸時代から日本の中継基地として利用され、明治38(1905)年の閣議決定と島根県告示で日本領に編入された。戦後の昭和27(1952)年、韓国の当時の李承晩政権が一方的に竹島を韓国領とする「李ライン」を設定した。サンフランシスコ講和条約の起草過程で、韓国は日本が放棄すべき領土に含めるよう要請したが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否した。
 実際の社会科の授業では、こうした歴史的経緯を含め、竹島が歴史的にも法的にもまぎれもない日本領土であることをきちんと教える必要がある。それが公教育というものである。

領有の明記見送り「理由は特にない」 福田首相 2008.7.15 00:10 web産経新聞
 福田康夫首相は14日夕、都内で記者団に対し「我が国の領土問題に、しっかりとした考え方を持たないといけないのは当然だ」と強調した。しかし、拉致や核問題を抱える対北朝鮮政策の上で、対韓関係をこじらせたくないという「配慮」もあり、結果として竹島に対して「日本固有の領土」という領有権をめぐる記述を見送る判断をした。
 首相は、竹島に関する記述を新学習指導要領の解説書に初めて盛り込んだことは「成果だと思っているようだ」(文相経験者)という。9日の日韓首脳会談でも、「深刻な憂慮」を示す李明博大統領に日本の立場を伝え、理解を求めた。
 しかし、領有権明記を求める文部科学省に対し、外務省はホームページ上に「韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法な占拠」と明示しているにもかかわらず、北朝鮮問題への影響を懸念し「主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)開催前から高村正彦外相らが文科省サイドに穏便な対応を求めてきた」(文相経験者)という。
 両省が対立する中、首相は、文相と外相の両方を経験した町村信孝官房長官に「手柄」を与える形で調整を委ねた。結果は町村氏が14日午後の記者会見で公表。領有権の明記見送りの理由を(1)日韓関係頓挫への懸念(2)6カ国協議や日本人拉致問題解決への悪影響(3)韓国の政治状況-と指摘し、韓国側に「冷静な対応を期待したい」と述べた。一方の首相は「理由は特にない。関係部署でいろいろ相談して決めたことだ」とはぐらかした。
 せっかくの「成果」も中途半端な対応によって、政府の立場をあいまいにした。同日、首相が韓国側を刺激しないよう「竹島は日本固有の領土」との言葉を一度も口にしなかったことも、首相の指導力をかすませる逆効果になった。

7月13日(日) 梅雨の中休み?

靄のかかった空が今日は夏の青空になった。例年の近畿の梅雨明けは7月19日だそうで、もう間もなく梅雨も明けるだろう。

公団の1階に転居し母との二人暮らしを始めて1ヶ月になった。
20代で両親の元を離れて以来、40年ぶりの同居である。

母は「何故自分たちが建てた家を離れなければならなかったのか」という疑問が2,3日置きに去来し、沈んだ表情になっている。そのたんびに30分あまりを費やして答えるのだが、今日はそれを文章にして渡しておいた。

これが認知症というものであろうか、数時間前にしたことも記憶には残らない。「90にもなると、こうなるで、あんたもその時が来たらわかるさ」と笑っている。「誰でもそうなるとは限らないよ、100歳近くになってもスキーをやる人もあれば、絵を描く人もいる。この間は90代のお爺さんが雪下ろしをしている写真を見たよ」とやりかえす。もっとも私自身は「そんなに長生きする気はしないなぁ」と云っている。

生活に支障はないというものの、叔父などから電話やはがきが来てもきれいさっぱり翌日には忘れているのだ。毎日の生活を締めくくる意味で日記を書いてもらうことを始めた。字を書くこともおっくうになっているが、なんとか続いている。
翌日になると、気になるのだろう、自分の書いたことを読み返しているところみると、作戦は成功しているようである。

市街地よりやや涼しいところに来たためか、季節の感覚もなぜか2ヶ月先行し、9月と思っている。「涼しなったなぁ」「なんの、これから暑い暑い夏がくるんやで」と毎朝の会話だ。

足が弱くなり散歩もままならなくなったが、私のワンパターンのヘタな男料理も美味しいと云って食べてくれ、身の回りの事も出来る。読書に飽きれば、簡単な雑巾などの裁縫もやっている。
この調子で過ごしてくれればと願っている。

7月7日(月) ヨット「空海」父島着

兄のヨット「空海」は好天に恵まれ予定通り今朝9:30小笠原父島に着岸しました。
2日目、3日目は久しぶりの乗船で、黒潮に乗ったとき船酔いになったとのことです。
父島からはまた携帯電話で連絡が入りました。今は体調も戻り、1週間休養して次の目的地ポンペイ島を目指します。

行程表から描いた往路、島での滞在日程

7月4日(金) 蒸し暑い一日

山歩きも当分休止、日記に書くことも少なくなりました。

7月1日から兄が単独ヨットで泉大津からサモアを目指し出港しました。イリジウム衛星電話経由で毎正午位置がメールで入ってくるようになりました。こちらからは気象庁のアジア天気図を見て、台風が発生していないか報告することになっています。
その天気図によれば、南海上はひろく高気圧におおわれ、台風もなく、梅雨前線も見えません。

最初の寄港地小笠原父島までの約半分の距離の所を帆走中で、南の向かい風であまり稼げないようです。
好天に恵まれ安心です。夜は大海原のまっただ中、満天の星空が望めるのではないかと想像しています。

当地の向こう1週間は晴れたり曇ったりの予報です。今日は晴れて蒸し暑く、気温27度(15:00)。市街地は30度越しているのではないでしょうか。このまま梅雨が明けそうな感じさえします。

(こんなヨットです)

7月1日(火) 無題

梅雨の中休み、さわやかな天気のもと草刈りが行われ、むさ苦しかった庭(共有地)がすっきりした。前住者がベランダ前にちょっとした生け垣を作っている。その内側は刈ってくれそうにないので自分で刈り取る。
イヤガ谷尾根の上空には鳶が2,3羽高く低く舞っていてのどかな声が聞こえてくる。
老母の物忘れは日々強くなるようで、午前中にあったことも夕方には忘れる。今何月かもわからない。しかもそのことを気にしているようで長い間途絶えている日記を書くことを勧めるが、なかなか自ら進んではしない。「あまり無理強いをしては悪いかな」と本人に聞くと「呆けてとんでもないことをしていないか、云ってくれ」とも云うのである。小学生に向かっていうように懇々と説得し、夜寝る前にその日記に付き合うことにした。
「何しろ90やからなぁ」と本人はとぼけるのだが、なんとか日課にしてほしいもの。