落葉松亭・表紙へ / (2007年3月〜4月)  / (2007年7〜8月)

落葉松亭日記(2007年5〜6月)

6月26日(火) 政権の危機

 社保庁問題で安倍政権の支持率が下がりっぱなしだそうだ。支持率などその時の気分だと思うが、参院選挙を控えている今、問題視する意見が多い。しかし、問題の本質を評論家屋山太郎氏は6月22日産経新聞「正論」で「社保庁組織の腐敗」国鉄問題とそっくりと指摘し、この中で民主党がやるべきこととして以下のように述べている。
≪民主党がやるべきこと≫
 社保庁改革法は非公務員型の「日本年金機構」を作って、6分割する主旨だ。国鉄の7分割・民営化をなぞった解決法だ。民主党の国税庁と一緒にして「歳入庁」を作れというのは米国式の発想だが、現実問題として大学に中学生を入学させるようなもので無理だ。民主党がやるべきことはまず支持母体の自治労に世間一般の常識を教育してやることだ。小沢一郎氏はこの自治労を選挙の手足にしているが、これではさながら「小沢自治労」だ。
 先日TVの爆笑問題の国会ごっこを見ていたら民主党議員が「年金データ5000万件が消えた」と繰り返していた。演芸番組でもこれまた「消えた、消えた」と連発だ。本当に消えたのなら5000万件という数値すら判らないはずではないか。
 しかし、遅まきながら社保庁が実態調査をした結果本当に消えたデータもあるにはある。
年金保険料横領、社保庁が全国で実態調査(NKKEI NET07/06/24 07:01)
 年金保険料の一部を収納担当の職員が横領している事例があるとして、社会保険庁は全国の実態調査を始めた。保険料横領は発覚している分だけで2002年までに1億1000万円を超すと判明、未発覚のケースもあると見られる。社保庁は市区町村職員を調査する方針だが、同庁の地方出先機関も対象になる可能性がある。保険料横領は、払ったはずの保険料納付記録がなくなっている「消えた年金」などの一因とみられる。調査と情報公開を急ぐ必要がありそうだ。
 会計検査院の調査資料によると、1989―02年までの公的保険料の横領額は発覚した分だけで約1億1000万円。4年間にわたり加入者から受け取った保険料を国庫に納付せずに着服していたケース(東京・蒲田)、架空の被保険者記録を職員が作り自ら開設した金融機関口座に年金を振り込ませていたケース(愛知県・半田)など計7件。
 氷山の一角でないことを願う。

花岡信昭氏の政権の危機管理能力を問うという記事の提案は大賛成。
【花岡信昭の政論探求】政権の危機管理は万全か(産経新聞客員編集委員 花岡信昭 2007/06/26 08:23)
 安倍内閣の支持率が立ち直らない。「年金5000万件」問題への対応に国民の多くが満足していないということだろう。政権の危機管理能力が問われている。
 年金の納付記録5000万件が宙に浮いていたという問題は、関係者の間では周知の事実だったものが、国民には寝耳に水というかたちで噴出した。銀行で積立預金の記録がなくなったなどということが起きれば、その銀行は倒産する以外にない。今の状況は取り付け騒ぎが起きているようなものである。
 だから、社会保険庁という親方日の丸の典型的役所と職員組合・自治労に第一義的な責任がある。自治労を強力な支持母体とする民主党にも責任を感じてもらわなくてはならないのだが、なにやら完全に「正義の騎士」となっており、「悪玉は政府・自民党、善玉は民主党」という不可思議な構図がまかり通っている。
 もっとも政治の世界のことだから、そういう構図をつくり出す政治的巧みさも備えている点では、民主党が勝っている。このテレビ時代に、ワイドショーに出てくる政府・自民党のスポークスマン役が「人間のやることだから間違いもある」などと口走るようではいかんともしがたい。
 危機への対処は、まずスピーディーに、そして国民に「そこまでやるか」と思わせるダイナミックなものでなくてはだめだ。

 そこで、筆者の考える危機乗り切りを−。
 第1に社保庁長官の更迭。不祥事を起こした企業の再生にはトップの即刻辞任が最も効果的だ。後任には経済界の大物を充てる。
 第2に、社保庁が全国民に向けて年金の加入記録、今後の支給見通しを送付する。社会保険事務所に来てくれとか電話で問い合わせをというのは話が逆だ。いっぺんにはできないというのなら、スケジュールを予告し世代別に順を追って出せばいい。ミスをしてしまった人のところには職員が出向いて謝罪・釈明するのが当然だ。
 第3に、そうした人員確保策として、厚生労働省の職員の半分を投入する。残りの職員がいままでの2倍働けば、厚労省の機能は停止しない。職員は休日返上、手当てなしで連日残業とする。アルバイトを大量投入しているようでは、反省の色など見られないではないか。
 第4 歴代長官の私財没収(残りの人生は生活保護で過ごしてもらう)、関係省庁幹部や議員らの給与・歳費の一定割合を返上させて一連の対策費用の一部に充てる。首相や厚労相らがボーナスを返上したぐらいでは、国民は納得しない。
 第5 自治労解散を求める。この騒ぎを招く要因をつくった責任は取ってもらわないといけない。

 国の基幹政策である年金システムという「公への信頼」が根本から揺らぐ国家的危機なのだから、強烈なインパクトのある対応が迫られている。
 このまま、野党やマスコミのあおりを食っていると参院が保革逆転し、安倍政権の戦後レジームからの脱却が頓挫するといった事になりかねない。事の本質、何が悪玉なのかを見極めるべきと思う。

6月23日(土) リセット

 1年ぐらい前からガス全自動風呂の着火が悪くなっていた。とくに強風の吹いた後など顕著な気がしていた。先に水を張ってみたり、洗面台で試してみたりだましだまし使ってきたがいよいよ何をしてもエラーコードが表示されるばかりになった。もう10年近くたったので寿命かな。思いあまってフリーダイヤルにかけた。
 型番や状況や表示のエラーコードを説明する。
 「コンセントを入れ直してみてください」
 「コンセントは専用で常時入ったままです、だからこそ着火には至らないけれどエラーも表示されるのでしょう」と私。 電源が抜けているのではないかと云われているように思ったのだ。
 なおも、女性は「コンセントを入れ直してみてください」と繰り返すので電話を持ったまま風呂場に行き電源コンセントを入れ直してみた。そして操作盤のスイッチを入れてみると、なんとあっさり着火インジケータが点灯したのだ。
 「点きました」
 「点きましたか、それでリセットされるんです」
 「・・・、そうでしたか・・ありがとう」といって電話を切った。
 説明書にはエラーコードが点いたときはお問い合わせくださいと書いてあり、いよいよ部品交換かと観念したのだがいとも簡単に直った。そう、そうなんだよな、これはマイコンプログラムが入っていたんだ。30年ほど前、マイコンをやっていたのを思い出した。プログラムが暴走すると電源を入れ直してリセットしたよな。
 しかし、説明書にはこの原始的復帰方法は書かれていなかった。

6月20日(水) 【山】今日の菊水山

 梅雨空が午後きれいに晴れ渡ってきた。久しぶりに菊水山に上がってみた。
 登山口から谷筋に沿って上がっていくと、双眼鏡を手にした年輩のバードウォッチャーがおられた。「キビタキがいるよ、写真に撮ってみたら」と私のカメラを見て声をかけてきた。木々の間に目をこらしてみると20mほど先にとまっていた。そこだけ日が当たり羽根が金色に輝いていた。リュックから望遠レンズ付きをひっぱりだしてとりあえず1枚とった。多分鳥は露出オーバーになっているはずで焦りながら2段ほど絞り構えたが飛び去ってしまった。
「後ろ姿でしたね、ありがとう」「いや、どういたしまして」
 プレビューでさっそく見てみたがやはり白っぽくとんでしまっていた。しかしファインダー画像が頭の中に鮮明に残った。ここを通るときは小鳥の声がいつもしているのだが望遠を出しておけばよかったと悔やまれた。
(堰堤のかさ上げ工事が終わり新しくなった登山口)

6月18日(月) 朝鮮総連スキャンダル

 借りたものは返す。朝鮮総連はそれをせずして「回収機構には日本政府の意向に沿って朝鮮総連から中央本部を奪って解散に追い込む政治的なねらいがあり、請求は不当だ」と主張していたそうだ。盗人猛々しいとはこのことだろう。
 差し押さえを回避するために日弁連元会長の土屋某やあろうことか公安庁元長官の緒方某が不動産仮装売買を行っていたというから驚きだ。この二人はれっきとした司法関係者だ。北朝鮮の情報を得るために公安庁で働くうち、いつしかズブズブの癒着関係になり、北朝鮮の工作員になってしまったのだろうか。総連が解散に追い込まれても自業自得ではないか。

6月17日(日) 参院選挙争点いつの間にか「年金」に

 社会保険庁のずさんな事務処理で5000万件という途方もない年金データが消えてしまったかのような印象を持ったが、よくよく追ってみると基礎年金番号に統合されていないだけの話らしい。それならば何年かかろうが調査し国民に周知徹底すればいい。システムの不備は改善し、職員のモラル向上を早急にやればいいのではないか。安倍首相はこの件に関して「謝罪」している。
「年金制度改革が争点に」首相、記録漏れを謝罪(2007年6月16日22時4分 読売新聞)
 安倍首相は16日、遊説先の佐賀市で記者会見し、年金記録漏れ問題に関連し、「参院選では年金制度の仕組みについて、大きな争点になる」と述べ、年金制度の改革を参院選で積極的に訴える考えを示した。
 首相は「多くの方々が不安を持っている。こういう状況が生まれてしまったことは、私も政府の行政の長として大変申し訳ない」と改めて謝罪した。
 さらに、「今までの社会保険庁には大きな問題があった。自民党は社保庁を廃止、解体し、信頼できる社保庁に変えることを選挙を通じて訴えたい」と述べ、年金記録漏れ問題で批判された社保庁の改革を前面に掲げる意向を明らかにした。
 支持率の急速な低下を慮って発言とも受け取れるが、これまで歴代政府の責任で、ひとり安倍内閣の責任ではない。先の「従軍慰安婦」問題で関係のないアメリカに謝罪していたが、簡単にお詫びするのもどうかと思う。
 当初参院選では憲法改正が争点になるだろうという話だったがどこかにいってしまった感がする。社保庁改革はやらなければいけないのは自明の理でこんなものが争点になるのだろうか。それとも野党は社保庁改革に反対なのか。

6月12日(火) 【山】朝来市 青倉山(811m)、粟鹿山(962m)

 梅雨入りを前に最後の快晴のようだ。
 前回の三国岳の北にある青倉山、粟鹿山を目指して出かけた。

 写真:伊由峠から粟鹿山を望む

 バイク走行 228km  帰宅 21:40








6月11日(月) 中国の凄い格差

激流中国 北京の水を確保せよ 〜しのびよる水危機〜 NHK 6/10放送
 中国の首都・北京。現在、最も大きな課題の一つが、水の確保だ。2008年オリンピック開催が決まって都市の発展が急速に進み、建設ラッシュ、洗車場の増加、街の緑化などにより、必要な水の量は圧倒的に増えた。ところが、主要なダムの貯水量は、ここ5年で、3分の1に減っているのだ。こうした中で、今、北京の水を確保するため、様々な対策が打ち出されている。今回は、北京市水務局の取締官の活動に密着した。取締官は、日々、水の浪費が目立つ建設現場や飲食店などを抜き打ち検査している。また、公共用水が盗まれる事件なども頻発しており、摘発に向かうこともたびたびだ。一方、上流の村では、北京に水を供給するため必死の取り組みが行われている。水不足解消の願いを込め、人工降雨ロケットも打ち上げられる。暮らしや産業の要とも言うべき、水の問題に迫る。
 一説によると年間神奈川県に匹敵する面積が砂漠化しているという。映像では地方に建設したダムの周囲には森が見えなかった。森がないから雲も発生せず雨も降らないという悪循環なのだろう。干ばつに見舞われたり、降れば豪雨と洪水が容赦なく襲う。ダム建設が環境を変えてしまったともいわれる。

 ダムの貯水は北京オリンピックを控えた都市用で、近くの農村では目前の貯水を使えずスイカも作れない。炊事も細々とした井戸水を使い回して行う状態だ。一方都市の高級マンションでは2つもバスタブを備えた部屋もあるという。都市の緑化にははるばると送られてきた水が使われたりする。日本向け食品の小豆「あん」工場が節水しているか検査されていたが、材料や機械の洗浄に水をふんだんに使う工場なのに大丈夫かと心配になる。

 番組では節水の啓蒙や盗水の取り締まりの様子が主で、先富論とやらで都市部と地方の格差が異常に拡大し暴動や汚職が頻発している問題などの核心に迫るものではなかった。軍備拡張、五輪開催などやっている場合ではなく優先順位が狂っているとしか思えない。

6月9日(土) 李登輝氏 帰国

李登輝前総統 訪日終え台湾へ  6月9日 17時27分 NHK
日本を訪れていた台湾の李登輝前総統は11日間の日程を終え、9日夕方、成田空港から台湾に戻りました。李前総統は、滞在中は、愛読している松尾芭蕉の『奥の細道』ゆかりの東北地方を訪ねたほか、3回にわたって世界情勢などについての講演も行いました。
台湾の李登輝前総統は、文化と学術の交流のためとして先月30日から日本を訪れていたもので、滞在中は、愛読している松尾芭蕉の『奥の細道』ゆかりの東北地方を訪ねたほか、3回にわたって世界情勢などについての講演も行いました。李前総統は、成田空港で台北に向かう飛行機に乗り込み、9日午後5時前、日本を離れました。ところで、成田空港の出発ロビーには、李前総統の活動を支持する人たち100人余りが見送りのために集まりましたが、近くにいた男が李前総統に向かって液体の入ったペットボトル2本を投げる事件がありました。男はすぐに警察官に取り押さえられ、空港のロビーは一時騒然となりましたが、関係者によりますと、李前総統や同行している夫人らに投げられたペットボトルは当たらず、けがはなかったということです。李前総統は、飛行機に乗り込む前、報道陣に対して「大丈夫です」と答えていました。

李前総統 訪日は非常に成功 6月9日 15時1分 NHK
台湾の李登輝前総統が日本訪問の最終日の9日、都内で記者会見し、今回の訪問について「非常に成功だった」と述べ、来年以降に再び日本を旅行したいという考えを示しました。
先月30日から11日間にわたって日本を訪れていた台湾の李登輝前総統は、9日、日本を離れるのを前に都内で記者会見しました。このなかで、李前総統は、今回の訪問では、長い間望んでいた松尾芭蕉の奥の細道をたどることができたうえに初めて講演することもできたとして、「非常に成功だったと思う」と述べました。そして、来年以降も再び奥の細道をたどる旅行をしたいという考えを示しました。また、7日に靖国神社に参拝したことについては、旧日本軍の兵士として戦死した兄のめい福を祈るための個人的なものだったと強調し、中国政府などの靖国神社参拝に対する批判には理由がない、と反論しました。さらに、中国と台湾の関係については、「台湾はすでに独立した自由な民主的な国だと強く主張することはあたりまえのことだ」と述べ、台湾は独立した国だというみずからの考え方を説明しました。
「中国と台湾の関係については、「台湾はすでに独立した自由な民主的な国だと強く主張することはあたりまえのことだ」と述べ、台湾は独立した国だというみずからの考え方を説明した。」
 貴重なチャンスを活かし大いに台湾の存在感をアピールされた。ネット上では氏の講演内容など報告され、日本と台湾は運命共同体の感が強まった。日本政府も外交上にこれを反映してほしいものだ。

   雨のち晴れ


 午前中、いっとき激しい雷雨があった。

 午後3時を過ぎると雲が切れてきて、まぶしいほどの日が射してきた。

 夕飯を食べながら外を見ると鍋蓋山の上空に夕日を浴びた積乱雲が輝いていた。

6月7日(木) 李登輝氏靖国参拝

 台湾の李登輝元総統が来日し、念願の奥の細道を探訪し兄上が眠る靖国神社を参拝された。
李登輝前総統 靖国神社を参拝 2007/06/07 NHK
日本を訪問している台湾の李登輝前総統が7日、旧日本軍の兵士として戦死した兄がまつられている靖国神社に参拝しました。参拝を終えた李前総統は「涙が出ます。60年間会っていなかった兄を参拝したのですから」と話していました。
台湾の李登輝前総統は、7日午前10時ごろ、車で夫人や孫らとともに靖国神社を訪れました。李前総統の兄の李登欽氏は、台湾が日本の統治下にあった1945年、第2次世界大戦で旧日本軍の兵士としてフィリピンのマニラ沖で戦死したとされ、靖国神社にまつられています。
靖国神社に到着した李前総統は、控え室のある到着殿から本殿へと入っていきました。そして、およそ40分後に靖国神社を出発しました。靖国神社側や関係者の話によりますと、李前総統は本殿に昇殿し、参拝したということです。参拝を終えた李前総統は「涙が出ます。60年間会っていなかった兄を参拝したのですから」と話していました。中国政府は、これまでのところ李前総統の靖国神社訪問について公式にコメントしていませんが、今回の日本訪問については、政治的なねらいがあるのではないかとして反発する姿勢を示しています。
 李登輝氏は台湾の政治を民主的体制に変革した偉人だが、これまで日本政府は冷淡であった。今回の来日でも中共は「日本が台湾問題をめぐり(中国側と)交わした約束を実際の行動で示すよう、強烈に要求する」と述べ、李氏を受け入れる日本政府を強く牽制(けんせい)したという。しかし安倍内閣で日中関係が改善する中、中共も「抗議」を抑制したようだ。

 各地で歓迎行事や講演会が行われた。1日の後藤新平賞(日本の近代化に献身した後藤新平の生誕150周年を記念して創設された)の第一回受賞者に選ばれ、その日の講演会で「(自身が)総統時代、一滴の血も流さずに、台湾の政治体制を軍事的独裁体制から民主的体制に変革したことは一生の誇りだ」と述べ、後藤を「偉大な精神的導師」と位置付けてながら、指導者として信念を持つことの重要性を訴えた。(2007/06/01 産経)

 しかし奥の細道クライマックスと云われる中尊寺では、寺側が中共の圧力により李登輝氏を一般観光客扱いし出迎えも解説もなく拝観切符を購入して参観されたそうだ。あの名刹がそのような見識とは情けない限りだ。

 2008年には台湾総統選挙が行われる。その結果によっては台湾は中共に呑み込まれる可能性もある。親日国台湾がそういうことになれば否が応でも中共の軍事脅威は増すだろう。

6月5日(火) らっきょう

 きのう冷凍食品の安い遠方(歩いて15分)のスーパーに行った。野菜コーナーに土付きのらっきょうが1kgパック(¥680)になったものが並んでいるのが目に付いた。鳥取の砂丘でとれたものという。

 食品も中国製が席捲しているがらっきょう漬けもご多分に漏れず幅をきかしている。農薬や保存料が不安なので隅の方に置いている中国産の倍以上もする国産品を普段買っている。よし自分でつくるべしと買って帰り、インターネットで検索した手順で処理した。

 今日は仕上げにつかう唐辛子がないのに気がつき近所のスーパーに行った。ところが生鮮野菜コーナーに同じ1kgパックのらっきょうが¥500であるではないか。(しもたぁ、野菜はこっちのほうがやはり安いわなぁ、浮気したバチや)とつぶやく。(ついでや、もう1セットつくっておこう)と買って帰った。
 らっきょう漬けの作り方はこちらを参考にした。

6月1日(金) 【山】多可町加美区 三国岳(855m)

  天気予報は晴れ降水確率は0%だが、現地では雲の多い天気だった。気温は低めで歩くにはちょうどよかった。

 行程
 三国岳・鳥羽コース駐車場(9:00)〜林道終点8合目(9:10)〜山寄上コース出会い(9:45)〜三国峠(10:05)〜播磨おどり場(10:25)〜三国ヶ岳山頂(10:35)休憩〜三国峠(11:20)〜4等三角点北つばくろ(12:05)〜梅ヶ畑峠(12:25)〜梅ヶ畑(13:30)〜(林道梅ヶ畑線)〜鳥羽コース駐車場(14:20)

 前回竜ヶ岳に続き多可町加美を再訪した。三国岳は加美区の一番北にあり、丹波市、朝来市の境界にある。
 427号線を杉原川に沿って北上する。道の駅「かみ」、青玉神社に三国岳登山口の標識があり指示通り左折する。林道を1kmほど走ると小さな空き地がありバイクを駐める。

 林業が盛んで、麓から山上まで杉や桧の美林が広がる。駐車し準備をしていると一台の軽トラックが林道をさらに奧へと消えていった。
 標識に沿って林道を辿るとやがて山道になり、そこが8合目(上に行くほど数字は少なくなる)だった。沢の石も木の幹も緑の苔に覆われている。
 前日の雨で山道の落ち葉はしっとりと濡れている。軟らかい土の所々にまだ新しい鹿の足跡が見受けられた。
 三国峠から山頂までさらに美林が続き道も広い。両側の展望はないが杉や桧の林の中を鶯などの鳴き声を聞きながら山道が続くのは気持ちがよい。(写真:三国岳3合目付近)

 バイク走行 159km  帰宅 18:00

5月28日(月) 【山】多可町加美区 竜ヶ岳(817m)

 ようやく風邪も抜けてやる気が出てきた。多可町・丹波市境界の竜ヶ岳を歩いた。
 昨日までの黄砂で霞んでいた空が北の高気圧が降りてきて空気が入れ替わりすっかりきれいになった。
 気温も低めで、竜ヶ岳山頂の気温は15℃だった。山道を歩いていても汗はすぐ引いて爽やか 。眺望もよく、西側には以前歩いた千ヶ峰が眼前に聳え、そこから南へ飯森山、笠形山、そして遠く姫路の山々へと連なっていた。遠くの眺望もよく、神戸西の雄岡山・雌岡山や明石海峡大橋のタワーがかすかに見えた。

 行程
 427号線沿い西宮神社・駐車場(9:20)ー(一般道)ー鳥羽集落・登山口(10:15)〜鳥羽峠(10:40)〜竜ヶ岳・山頂(12:10)昼食休憩(13:10)〜清水(きよみず)坂(14:00)〜林道終点登山口(14:25)〜清水集落(15:00)ー(一般道)ー西宮神社・駐車場(15:25)

 帰路近くの春蘭荘(老人福祉センター)の温泉に立ち寄って汗を流し着替えた。丹治谷川上流の山懐に抱かれるような大変よい場所にあった。小さいけれど温泉は300円で一般にも解放されている。
 (写真:竜ヶ岳山頂から南側の眺望、多可町加美区 セルフタイマーで)
 バイク走行 155km  帰宅 18:40

5月27日(日) 大相撲5月場所 千秋楽

全勝  白鵬
3敗  琴光喜、朝赤龍(技能賞)、出島(敢闘賞・8年ぶり)
5敗  朝青龍、魁皇、千代大海、若の里、露鵬、普天王、龍皇
殊勲賞:安美錦

白鵬(上手出し投げ)朝青龍
 千秋楽にふさわしい一番。がっぷりの引きつけ会い、白鵬が力をつけていることをまざまざと見せた。
 北の湖理事長は横綱審議委員会に白鵬の横綱昇進を諮問したとのこと。来場所からはいよいよ2横綱の対決が始まる。ご両親も嬉しそうだったなぁ。

琴光喜(送り出し)千代大海
 琴光喜も突き押しで応酬。千代大海を捕まえると琴光喜に分があった。
 琴光喜は次の名古屋場所で地元に帰り大関昇進を賭けることになった。

 琴奨菊、稀勢の里、豊真将、栃煌山などの若手が課題を残した様に思う。豊ノ島、膝の怪我で残念な場所になった。場所前の稽古で怪我をする力士が目立つのが気になる。本場所でファンの前で力を発揮してほしい。そして、なにより日本人横綱の誕生が待たれる。

5月26日(土) 「古代天皇はなぜ殺されたのか」

 邪馬台国はどこにあったのか・・・とネット散策をしているとこの本が目に入ってきた。早速注文してこの2日ほど引き込まれて読んでしまった。

 八木荘司著「古代天皇はなぜ殺されたのか」角川書店(H16.9.30)
 「なぜ殺されたのか」というのは穏やかでないが、「実在しているはずの古代天皇を歴史学会はなぜ神話にしてしまったのか」というのがテーマになっている。
 神武天皇やヤマトタケル、神功皇后は神話と習ってきたが実在するのである。また神武天皇即位の年がBC660年(縄文時代)となっており、今も歴代天皇一覧などを見るとそうなっている。歴史に疎い私は習ったとおりそんなものかと思っていたが、よく考えてみると矛盾に満ちている。なぜこんな事になっているのか、著者はオーソドックスに古事記、日本書紀を検証し物証をあげ、中国、朝鮮の歴史書、碑文などを照合しひとつひとつ解き明かしている。目からウロコで大変面白かった。読まなければ我が日本の古代の姿を知ることなくあの世に行くところであった。

 なぜこんな事になっているのか著者は最後にこう書いていた(概略)。
・・・ 戦後の古代史学会がことごとく日本書紀を否定してきたのは、なぜだったのか。おそらくそこに、学問的なこととは異なる次元の問題が、入り込んできているからだろうと考えられる。
 「一億総ざんげ」といわれたように、敗戦後は戦時中のすべてを否定して出直さなければならなかった。戦前の価値観は軍国主義として断罪され、一掃された。皇国史観の聖典といわれるような歴史書は、いっさいこれを認めてはならず、神武天皇や神功皇后は軍国主義の象徴とみなされ、史上から抹殺されなければならなかった。・・・そしてそれが古代史学会の主流となっていく。・・・
 近代の戦争は、当然ながら日本書紀のせいではない。古代において大和民族が大陸に進出した事実が、近代と似たかたちで日本書紀に記録されているからと云って、日本書紀を否定しなければならない理由はまったくない。・・・
 神武天皇も神功皇后も、純粋に実在の証拠があるなら、時流におもねることなく堂々と現代によみがえらせるべきである。昭和の大戦が終わって約60年、民族の歴史に新たな光をあてるときがきている。
 曲解したまま、あるいは捏造した歴史をそのまま継承するというのでは今の韓国や中国のしていることを嗤えない。
 近現代史も戦後60年以上も経つと、非公開期限が過ぎあらたな史実がでたり、調査によって史実が明らかになったりする。そのつど修正し教科書に反映するなどなぜできないのだろうか。南京大虐殺や従軍慰安婦問題のようにプロパガンダでいじめられることもなかろうに思うのだが。

 大相撲5月場所 14日目

全勝  白鵬(優勝
2敗  朝赤龍
3敗  琴光喜、出島

 白鵬(寄り切り)千代大海
 千代大海の激しい突き押しにも下半身はぴたっと安定していた。まわしに手がかかると白鵬の相撲。いったん吊り落としを見せた後、冷静に寄り切った。これでほぼ横綱昇進を手中にした。
 6年前来日し入門先を探したがお呼びかかからず、諦めて帰国しようとした最後の夜、宮城野部屋からお声がかかった。167cm68Kgだったそうだ。それから精進を重ね夢を実現した。たいしたものだ。

 琴欧州(上手投げ)朝青龍
 朝青龍は気持ちが切れてしまったようだ。琴欧州に難なくまわしを許し上手投げを喫し4敗目となった。

5月25日(金) 大相撲5月場所 13日目

全勝  白鵬
2敗  朝赤龍、出島
3敗 朝青龍、千代大海、琴光喜

 魁皇(上手出し投げ)朝青龍
 朝青龍の信条とするスピードのある立ち会いは見られなかった。これがなかったら魁皇は恐れることはない。魁皇は右上手を取ると怪力を発揮した。朝青龍、2場所連続で優勝から遠のくことになった。

 白鵬(寄り切り)琴光喜
 白鵬の落ち着きは素晴らしい。琴光喜完敗。

5月24日(木) 大相撲5月場所 12日目

全勝  白鵬
2敗  朝青龍、千代大海、琴光喜、朝赤龍、出島
3敗  普天王

 千代大海(押し出し)朝青龍
 昨日、おとといの千代大海の威力ある突き押し相撲からひょっとすると一波乱あるのではと思っていると、当たった。
 千代大海が意地を見せ、朝青龍を2敗に引きづり降ろした。朝青龍は自力優勝がなくなった。
 賞金を受け取るとき千代大海は右頬に座布団の洗礼を受けた。

 白鵬(とったり)琴欧州
 琴欧州、一度は白鵬のまわしに手がかかるが突き放される。二度目がっぷりになるかと思いきやとったりで琴欧州を下した。白鵬は冷静にしかも身体がよく動き、風格さえ感じさせた。

  「事態を重く見て・・」動く

エレベーターのロープまた破断 シンドラー社管理 産経(2007/05/23 18:59)
国交省、緊急点検を全国の自治体に指示
 国土交通省は、都市再生機構(横浜市)の賃貸マンション「プロムナード荻窪2号棟」(14階建て、東京都杉並区桃井)のエレベーターをつるす金属製ロープの一部が破断していたことを23日、明らかにした。シンドラーエレベータ社(東京都江東区)が管理していた。
 定期検査は昨年6月19日に行ったが、「A判定」(特記事項なし)と同社は報告していた。国交省は事態を重くみて、シンドラー社が保守点検しているすべてのエレベーターに関し、全国の自治体に緊急点検を行うよう通知した。
 エレベーターは金属製のメーンロープ3本でつるしているが、1本のロープを構成するストランドと呼ばれる金属製の束8つのうち1つが破断していた。一部は機械室の滑車に接触していた。
 3月25日午後7時ごろ、同マンションの住人からエレベーターの外から異音がある、とシンドラー社に苦情があり、同社が調査した結果、ストランドの破断が分かった。同社はロープを同月31日に交換し、復旧した。しかし今月22日に機構が原因をシンドラー社に確認するまで報告をしていなかった。
 今年4月には東京都港区の「六本木ヒルズ」森タワーで、今回と同様にストランドが破断して一部が滑車に接触、火花が飛んで火災を起こし、850人が避難する騒ぎになったばかり。
 以前、高校生が挟まれ死亡したが、あの会社のエレベーターだわな。言わば札付きの会社のエレベータが今もテキトーな検査でごまかし動かされている。生活用施設がこれでは不安でしようがない。
24%のコースターが過去1度も探傷試験をせず 国交省調査 産経(2007/05/23 11:24)
 エキスポランド(大阪府吹田市)のジェットコースター脱線事故を受け、全国の遊園地に緊急点検を指示していた国土交通省は23日、全国のジェットコースター306基のうち、過去に1度も探傷試験をしていなかったコースターが約24%にあたる72基あったことを明らかにした。また7基のコースターで車輪などに亀裂などが見つかり、うち6基で部品交換をした。1基は今も交換作業中。また年に1回は探傷試験を行うという日本工業規格(JIS)の基準に違反していたコースターも119基(約39%)にのぼった。同省では「4割がJIS基準に従っていなかった事実を重く受け止めている」としている。
 同省はレールの勾配が5度以上ある全国のコースターを対象に緊急点検を指示していた。
 亀裂などが見つかったコースターは浅草花やしき(東京都台東区)のコースター▽多摩テック(東京都日野市)の「でんでん虫」とジェットコースターの「ガリオン」▽日本モンキーパーク(愛知県犬山市)の「ハイウェイコースター」と「モンキーコースター」▽ワンダーラクテンチ(大分県別府市)のジェットコースター▽尾道千光寺グリーンランド(広島県尾道市)のコースターの計5施設7基。うち尾道千光寺グリーンランドを除く6基で部品交換を済ませた。多摩テックの2つのコースターとワンダーラクテンチのコースターはコースターの営業開始以降、一度も探傷試験をしていなかった。特にワンダーラクテンチは昭和47年の創業以降、35年間実施していない。
 近畿地方で営業開始以降、一度も探傷試験を行っていない施設は次のとおり。ワンダーパーク彦根店(滋賀県彦根市)▽関西サイクルスポーツセンター(大阪府河内長野市)▽みさき公園(大阪府岬町)▽スカイシティ泉南ナムコランド(大阪府泉南市)▽ひらかたパーク(大阪府枚方市)▽グリーンピア三木(兵庫県三木市)▽姫路セントラルパーク(同県姫路市)▽ダイヤモンドシティーテラス(同県伊丹市)▽生駒山上遊園地(奈良県生駒市)▽パームシティ和歌山ナムコランド(和歌山市)
 同省は50基については未だ調査中としており、今後もJIS違反の状態の遊園地は増える見込み。
 点検対象のうち、エキスポランドの事故機「風神雷神II」と同型のコースター4基はすでに調査結果を報告済み。鷲羽山ハイランド(岡山県倉敷市)は昭和61年の設置以来、探傷試験を一度も行っていないことが分かっている。
 35年間も探傷試験を行っていなかったコースターが2つ見つかり、一度も探傷試験を行っていない施設もたくさんあるのだな。さらに50基は調査中という。スリルはあるけれども安全が不確定、自己責任でということか。
 機械はいつか壊れるものということで定めたルールは守らなければなんにもならない。責任はいずこにあるのだろうか。

5月22日(火) 大相撲5月場所 10日目

 朝青龍1敗

 全勝  白鵬
 1敗  朝青龍、琴光喜、朝赤龍、普天王
 2敗  魁皇、千代大海、出島

 安美錦(寄り倒し)朝青龍
 解説の音羽山(貴ノ浪)さんが、「朝青龍はここまで快調のように見えますが、必ずしもそうではない。左の使い方がいつもと違い・・・」と仰っていた。やはり専門家の見方というものはすごいなと思いながら見ていると、相撲巧者の安美錦は、その朝青龍の弱点を見事について寄り倒した。座布団乱舞。朝青龍は引き揚げるときその座布団を蹴り上げているのがちらっと映った。

 千代大海(突き落とし)魁皇
 昨日に続き、気迫の突き押し。魁皇は防戦一方だった。

 安馬(上手投げ)琴欧州
 身体の大きい琴欧州は、安馬に合わせて小さい立ち会いをしている。大きく受けて立てばこんなことはなかろうにと素人は思うのだが。

5月21日(月) 中国人団体旅行ビザ発給拡大

 冬柴国交大臣(公明党)が外務省に圧力?
団体旅行ビザ発給 在中国全公館に拡大 見切り発車懸念 不法残留温床に? 産経新聞 2007年5月21日(月)02:54
 外務省は中国人に対する団体観光査証(ビザ)について、今月末から在瀋陽総領事館と在大連出張駐在官事務所でも取り扱いを始め、ビザ発給拠点を中国本土の全6公館に拡大する。ただ、この決定の背景には冬柴鉄三国土交通相から外務省への「強い働きかけ」(同省関係者)があったといい、ビザ発給事務にかかわる公館の態勢整備や不法残留対策などはなおざりにされたまま。「見切り発車」的な決定に政府部内から懸念の声が漏れている。
 政府は平成12年、日中両国の交流拡大を目的に、両政府が指定する旅行会社が日本への団体旅行を組織する場合、日本側に身元保証人を立てることなく、15日以内の短期滞在ビザを発給する制度を導入した。
 当初は北京市など2市1省に発給対象地域を限定していたが、17年には中国全土に拡大。瀋陽、大連両地域の在住者は16年9月からビザ発給を受けられるようになったが、北京の日本大使館に出向かなければならなかった。今年が日中国交正常化35周年の節目にあたることもあり、与党幹部らからは、両地域をカバーする公館での発給を求める「圧力」が強まっていた。
 複数の政府関係者によると、冬柴氏は昨年12月に中国国家観光局の招きで訪中した際、北京の日本大使館に「訪日観光客を増やすためにビザ発給の事務を瀋陽、大連でもできるよう検討してほしい」と要請。しかし、大使館サイドは「ビザ発給事務のためには両公館の人員増が必要」と難色を示し、冬柴氏は帰国直後、麻生太郎外相に直談判。外務省の担当部局にも電話し、増員の状況を確認していた。冬柴氏側は産経新聞の取材に対し、こうした事実を認めている。
 外務省が在瀋陽、大連の両公館でビザ発給を行っていなかったのは「人員不足が原因」(幹部)だったが、冬柴氏の働きかけを「与党有力政治家からの強い要請と受け止めた」(同省筋)として、両公館でのビザ発給取り扱いに踏み切る方向に傾いた。同省では方針決定を受けて急遽(きゅうきょ)、「関連機械の導入や人員強化を準備する」ことになった。

 18年の中国人の出身地域別のビザ申請件数は北京、上海、広東省に続き、瀋陽が4位、大連が5位を占める。一方で、両地域については「経済的に豊かな地域の旅行者に比べ、不法残留発生率が高い」(外務省筋)とされ、同省幹部は「解禁後の不法残留の統計を慎重にみる必要がある」としている。
                   ◇
【用語解説】中国人の査証発給と不法残留者
 中国での査証(ビザ)の発給件数は平成18年、前年比25.1%増の約51万件で、韓国を抜いて各国・地域中最多となった。団体観光を含む短期滞在ビザは17年の対象地域拡大後に急増し、このうち約39万件に上っている。
 一方、法務省によると、19年1月現在の中国人の不法残留者数は2万7698人で、韓国人、フィリピン人に次ぐ。中国人の不法残留者の約2割は、短期滞在資格での入国者で、団体観光ビザの発給拡大が新たな温床となる恐れも否定できない。不法残留者が日本国内で犯罪に関与するケースも少なくなく、政府は在外公館でのビザ発給審査の強化などにより、16年から不法滞在者を半減させる5カ年計画を実施している。
 中国人犯罪、朝鮮人犯罪が増加し社会不安を招いている。外務省も問題ありと認識しながら了承するとはどういうことなのか。そんなに急ぐ必要があるのだろうか。

5月20日(日) 大相撲5月場所・中日

 ようやく風邪も退散し、TVの相撲を少し見た。

 全勝  朝青龍、白鵬、出島、普天王
 1敗  琴欧洲、魁皇、千代大海、琴光喜、朝赤龍
 2敗  高見盛、龍皇、北勝力

 白鵬(押し出し)稀勢の里
 白鵬の表情が先場所と違い清々しく、視線もしっかりして精神的にぐっと安定感が増したように見受けた。稀勢の里のなんとか食らいついてやろうという攻めに冷静に対処したように思う。
 白鵬の大ファンという橋幸夫さんの解説によると白鵬は日本語も書けるそうだ。相撲だけでく日本文化面への理解を深めようという姿勢はたいしたもの。橋さんは相撲の世界的な普及を強調されていたが全く同感。シラク氏に代わって新しく就任したサルコジ仏大統領が「相撲は知的なスポーツではない」と仰ったそうだが、そんなことを云わず国際放送でも見て親しんでもらいたいものだ。

 千代大海(押し出し)垣添
 昨日の豊ノ島戦での1敗を吹っ切るかのような回転のよい突き押し。

 前半戦、珍しく(?)普天王、北勝力が快調。明日からの後半が楽しみ。

5月15日(火) 【山】西脇市黒田庄町 白山(510m)、妙見山(622m)

 快晴。しかし、鼻水がやたら出る、風邪かな? ま、熱もないようだし大丈夫だろうと出かけた。だが帰ってから2,3日寝込むことになった。(2007/05/19記)

 村中・住吉神社(8:55)〜妙見登山口分岐(9:05)〜かぎかけ岩(10:10)〜つえたて(10:15)〜妙見堂(10:25)〜まばを展望所(10:45)〜妙見山622m頂上(11:00)〜十字路(11:15)〜途中で昼食〜白山510m頂上(12:30-12:40)〜門柳分岐(13:12)〜門柳・白山登山口(13:55)〜村中・住吉神社(14:05)

 白山、妙見山は先日登った西光寺山の北側になる(間には同じぐらいの高さの峰が一つ入る)。
 丹波、篠山、西脇方面も度々走ったのでおぼろげながら道路網も頭に入り、スムーズに現場に到着した。黒田庄でR559線に入るとますます端正な田園風景になってきた。この道はやがて行き止まりになる。その北側に目的の山があるが登山口の標識は県道からは見えない。バイクを駐めて、草刈り機をおいて悠然と一服しているご主人(80前後にお見受け)に「あれが白山ですね、登山口は・・」と尋ねてみた。「・・・と行きなさったらええ」と親切丁寧な答えが返ってきた。

 「村の鎮守の神様の」住吉神社はすぐに見つかった。すぐ前にある小さな空き地に駐めさせていただき、行動を開始した。ゴミ一つ落ちていないきれいな村、時折郵便配達のバイクが通るくらいでとても静かだ。ここから妙見山、白山と巡回し帰ってくる。
 神社脇から登ると妙見山登山口があった。獣害防止の電柵をくぐってゆく。高度が上がると妙見山の後に辿る白山が見えてきた。山道はシダの若葉に覆われていた。汗が滴ってくるが、今日は鼻水もしきりに出る。首から提げた手ぬぐいの左で鼻水、右で汗と使い分けていたがしまいにはどちらでもよくなってしまった。ときどきくしゃみも出る。誰もいないので思い切り大きくやる。

 山道がひんやりした桧林になるころ妙見堂に付いた。辺りはマムシ草(ホソバテンナンショウ)が目立って多い。妙見堂にお参りし、周辺を撮った。
 「まばを」は、白山までの唯一の展望所である。そこからは三角点山が望まれた。その山が先日登った西光寺山によく似ていたので西光寺山と思いこみ、白山頂上で出会った4人パーティーに指摘されるまで勘違いしたままであった。西光寺山は713mありそれより低い山から眼下に見えるはずがないし、方角も違うのだがどうかしていた。これも風邪のせいか。
 妙見山頂上は尾根の一部のような感じで、標識と三角点が静かな林の中にある。登山者記録箱が備えてあり中を見ると5月連休以降の記録はなかった。
 白山頂上までは桧林や自然林の間を行き、たまに木々の間から下界が見える程度であった。
 白山頂上手前で一組の夫婦が降りてくるのに出会った。頂上は広い岩が露出して見晴らしがよい。5月の日射しは強くまぶしい。写真を撮っていると、前坂ルートから二組の夫婦のパーティーが上がってきた。「こんにちは」と賑やかになる。自分の門柳(もんりゅう)妙見、白山周回コースを説明したりする。「前坂からの尾根歩きはいいよ、今度は是非歩いてみて」などと薦められた。例によって今まで歩いた兵庫の山々を話あったりする。私の靴を指して「相当年季が入った靴ですね、もう何年も履いているの?」「いえいえ、まだ1年余りですがあちこち登っているとこうなりました」と答えると「ほう、すごいね」と感心された。話の中で若い方のご主人はは3歳上であることが分かった。もう一人のご主人はさらに上のようだ。今日はここで弁当にしてまた引き返すとのこと。「ではお先に」「お気を付けてね」とお別れして白山を後にした。

 門柳への下りはなかなか急斜面で完全に回復していない膝にはこたえた。ストックを使い休み々々根気よく降りることにした。

 元の住吉神社には午後2時頃帰ってきた。やはり風邪気味のためか疲労度がいつもと違う。アンダーシャツを着替えベンチでぐったりしていると一輪車を押しながら小柄なお婆さんが通りかかった。背中の曲がり具合からみると80歳前後だろうか。きっちりと日よけ帽を被り午後の作業に出かけるところらしい。会釈すると
 「こんにちは、どちらから」上品なお顔で美人だ。
 「神戸からです」
 「ほう、そりゃ遠いところから来なさった」
 「遠いと云っても1時間半ぐらいでこれるんですよ」
 「なんにもないところでしょう」
 「いえ、今日は妙見山と白山に登ってきたところです」
 「そうでしたか・・ 私の娘が神戸の水道筋におります。孫がちいさい頃はキャンプなどといってよく来てくれましたが最近はとんと」
 「そうですね、中学生以上になるとクラブ活動やなんかでもう遊んではくれませんねぇ」
 「ほんとにね」
 「夜は静かでしょう」
 「そう、これからは蛙の声、昼は蝉の声」
 「まだこんな農作業のまねごとをしてるんですよ」
 「いやいや、それがいいんですよ」・・・
 神社の前でごま塩頭爺さんとお婆さんの会話がしばらく続いた。

 午前に登山口を教えてもらったお爺さんといい、このお婆さんといい悠々と落ち着いた表情、この静かな村のたたずまいが素晴らしかった。

 バイク走行 130km  帰宅 16:00

5月13日(日) 日本海呼称

 韓国は「日本海」という名前を「東海(トンヘ)」に変えたいらしい。
議長提案の不表記案は表決されず 日本海呼称問題 産経(2007/05/11 20:49)
 塩崎恭久官房長官は11日午後の記者会見で、日本と韓国が対立している日本海の呼称問題をめぐり、モナコでの国際水路機関(IHO)総会で、海図の改訂版策定作業について「日本海」の表記を含まない形で当面進める議長提案がいったん出されたが、日本の反対を受けて表決されなかったことを明らかにした。
 韓国は日本海の呼称を「東海(トンヘ)」と主張し、日韓間で呼称に関する同意が成立するまで併記すべきだと主張、北朝鮮も同調している。
 塩崎氏は総会の状況に関し「韓国に有利な展開になっていない」と強調した。
 既に竹島を乗っ取り、日本海呼称を変えることによって既成事実化しようとしている意図が丸見えだ。次は対馬が危ないというまことしやかな噂も聞く。
 Wikipediaによれば、長崎県対馬は韓国と姉妹都市提携や姉妹校縁組みをしたりして交流が盛んで、韓国の観光客も多いらしい。反面、その一部の観光客のマナーの悪さが目立っているという。
 大統領自ら日本の歴史認識を改めよと反日発言をするお国柄だ。NHKの韓流ドラマに端を発したブームは去ったようだが、まだまだ韓国に対する日本国民の認識は甘いのではないか。経済交流は結構だがそれなりの付き合い方があるはずだ。

5月8日(火) 【山】篠山市 西光寺山(713m)

 GWも終わりすっかり初夏の陽気になった。
 膝の調子はイマイチだが、出かけることにした。西光寺山は篠山市今田町本荘から入っていった。山頂は西脇市との市境になる。

 webで知人がブログでサギソウの花を紹介されていた。西光寺山の登山口にサギソウの自生地がある。暖かいこともあってひょっとしたら見られるかと思ったが、残念ながら場所の確認だけに終わった。通りかかった地元のおじさんの話では8月頃とのことだった。自然環境と園芸ではやはり違うのだろう。自生地のサギソウはだんだん数が減っている。復活のため3年ほど前、小学生がみんなで苗を植え込む作業をしたが今はそれもしなくなったとのこと。掘って持ち去る不心得者が後を絶たないそうである。残念なことだ。

 山頂までは展望がきかず、新緑の下を汗をかき鶯の鳴き声を聞きながらひたすら登り、降りるだけであった。山頂では東から南にかけて眺望が開けている。以前登った虚空蔵山も確認できた。北側の畑谷川の俯瞰は立木で見えなかった。4月に登った氷上町の向山からこの西光寺山が見えていたが、向山も視界が遮られは確認できなかった。
 下山は寺坂道を通った。山中の寺屋敷跡は僅かに礎石らしきものがあった。登山口には13時頃帰ってきた。

 今日は大失敗をやらかした。登山口の西光寺池の畔に小さな空き地がある。そこにバイクを駐めようとして足を着きながら回り込むときゴロゴロ石に乗り上げバイクを倒してしまった。危ないと思いながら足を踏ん張ったが寄り倒され、肘と膝小僧を擦りむいた。バイクのマフラーが少しへこんだ。緊急にエンジンを止めるボタンを今回初めて使った。やや傾斜している下側から130kgのバイクを起こすのはなかなか重く一苦労した。
 血が滲んだところにばんそこうを貼っているとき、さきほどのおじさんが通りかかった。バイクと相撲という格好の悪いところは見られずにすんだ。話をしながら手当をしていたが気に留める風でもなくサギソウの話を聞かせていただいた。

 帰りはのどかな西光寺池で一服した後、どこにも寄らず早々に帰宅した。
 まだ日の高い時間だが風呂を沸かし汗を流した。昼寝をしたがまだ明るく、随分日が長くなったものだ。

 バイク走行 130km  帰宅 14:45
(写真:本荘付近の代掻きの終わった水田から西光寺山を望む)

5月7日月 栃東引退

 横綱朝青龍を脅かす存在だった栃東が引退を発表した。
大関栃東が引退表明 優勝3回、けがにも苦しむ 産経(2007/05/07 11:28)
記者会見で引退を表明する大関栃東=7日午前、東京都足立区の玉ノ井部屋  大相撲の大関栃東(30)=本名志賀太祐、東京都出身、玉ノ井部屋=が7日、東京都足立区の玉ノ井部屋で記者会見し、「気力がなくなった」と正式に引退を表明した。
 栃東は3月の春場所で頭痛を訴え、途中休場。精密検査で過去に脳梗塞を患っていたことが判明し、医師から引退を勧められたという。「(現役を)やりたい気持ちもすごくあったが、頭のことがあって前向きな気持ちになれなかった」と語った。今後は年寄「栃東」として玉ノ井部屋で後進を指導し、父で師匠の玉ノ井親方(元関脇栃東)の定年退職後に部屋を継承する。
 栃東はおっつけ、はず押しを武器に2001年九州場所後に大関に昇進した。新大関の02年初場所で初優勝し、序ノ口から各段すべてで優勝。肩や両ひざのけがに苦しみ大関から関脇に2度落ちたが、史上初めて2度とも復帰した。春場所まで大関を30場所務め、優勝3回を記録した。
 ■栃東の話 医師から相撲を続けることは考えられないと言われた。こればかりは仕方ない。今まで一生懸命やってきたので悔いはない。いい方たちに恵まれて相撲人生が送れた。
 ■栃東の父で師匠の玉ノ井親方(元関脇栃東)の話 入門したときは不安だったが、小さい体で精いっぱいやった。病気が分かったのは不幸中の幸いだった。本人も悔いはないと思う。
 栃東 大裕(とちあずま・だいすけ=本名志賀太祐) 東京都足立区出身、玉ノ井部屋。師匠の玉ノ井親方(元関脇栃東)の二男。94年九州場所で初土俵を踏み、96年九州場所新入幕。新大関の02年初場所で初優勝した。けがで2度大関から関脇に転落したが、2度とも復帰した。優勝3回。三賞受賞12回(殊勲3、敢闘2、技能7)は史上9位。得意は左右のおっつけ、押し。180センチ、155キロ。30歳。
 先場所は膝をかばいながらも勝ち越し、休みはしたものの再起をかけてのことと5月場所を期待していたのだが残念。
 無理をして脳梗塞になったりしては元も子もない、こんどは後進の指導で玉ノ井部屋から素晴らしい横綱の輩出に期待しよう。

5月5日(土) アルバムの子供達

 我が団地(200所帯)内は鯉のぼりは見ない。一昨年自治会役員をしたときは小学生は20人にも満たなかった。赤ちゃんも見かけるので今もその程度と思われる。
 子供の成長は小さい間は早く大きくなれ、まだかまだかと思っているが済んでみるとあっというまだ。次男はこの連休に母親のもとを離れ大学の近くのアパートに引越し完全にバラバラ家族になった。
 他人様に迷惑をかけず、他人様のお役に立てるようになってくれればそれでいい。
 (写真:1991年)

 倅達の世代は生まれたときからTVがあり、パソコンがある。自分の子供の頃とは格段に情報量が違う。多分良いことなんだろう。
 (私の古いPCの簡単なゲームで遊ぶ 1991年頃)
 
 1993年 父子3人で芦屋から有馬まで六甲山を歩いた。

5月3日(木) 憲法記念日

 GHQによって押しつけられたという憲法も昭和25年の朝鮮戦争当時、そのアメリカから再軍備と改憲を迫られたが、社会党勢力によって阻まれた。北朝鮮の核実験、韓国の竹島占拠、中共の衛星破壊実験や領海侵犯などで今日ようやく近隣諸国の軍事脅威が増していることが国民の共通認識になってきているのではないだろうか。平和々々と唱えているだけでは国の安全を確保できないということに気づき始めたのだと思う。改憲を目指す与党でも公明党は9条の変更は不可としている。野党民主党の中には自衛隊を認めようという意見も多い。面白いことに共産党は今でこそ護憲派だが、GHQ憲法の「戦争放棄」「軍隊を持たない」の条項に猛反対だったそうだ(半藤一利著「昭和史」)。

 参議院選挙では争点になるだろう。国論が二分し、政党再編成が起きるぐらいでないと戦後体制からの脱却は難しいのではないだろうか。

  NHKスペシャル「プラネット・アース」

 昨夜と今晩、厳しくも美しい大自然の映像に見とれた。微速度撮影、高速度撮影、空中撮影、水中撮影、映像技術の粋を尽くし地球上のあらゆるところで展開する生命の営みが捉えられていて素晴らしかった。

5月1日(火) NHKの歌詞改竄

 以前にも書いたことがあるが、「正論」に久米粲氏「NHKウォッチング」という記事があって毎号驚かされるのだ。
 6月号では「正論」読者(高校一年)から提供された記事が紹介されていた。(部分要約)
 『今年元旦にBSで安田姉妹の動揺コンサートが放映された。その中で「冬の夜」という僕の好きな唱歌が歌われた。 その二番の歌詞に
   いろりのはたに 縄なう父は 過ぎし戦の手柄をかたる
 というくだりがあるのだが、この「戦」を「昔」と歌っていた。』
 (中略)
 平成11年2月にも歌謡コンサートでも原作と異なる歌詞だった。その時も視聴者から怒りの電話やFAXなどが相次いだ。この時の改竄は
   「過ぎし昔の思いで語る」だった。
 これでは後に続く
   「居並ぶ子供は 眠さ忘れて 耳を傾けこぶしを握る」の歌詞がまったく意味を失ってしまうことにNHKは気がつかないのだろうか・・・

 古い文部省唱歌だから改竄しても誰からも文句は付けられまい、しかもBSなら気も付くまいと高を括っているところにNHK一流の計算された図々しさが感じられ、嫌らしく卑小だ。・・・
 NHKの安っぽい反戦主義のなせる小細工が、今や国語文化への破壊的蛮行や文化冒涜まで敢えてするほど傍若無人なものになりつつあることを視聴者は知って欲しい。
 我々の受信料で成り立っているハズのNHKで行われていることだが、些細なことだろうか。しかも我々が習い親しんだ懐かしい文部省唱歌、国民の財産だ。
 毎号指摘されるほどネタには事欠かないところをみると、番組制作をする中枢の人間が何かに侵されているとしか思えない。指摘した若い高校生に恥ずかしくないか。