落葉松亭・表紙へ / 過去日記(2006年11月〜12月)  / (2007年3〜4月)

落葉松亭日記(2007年1〜2月)

2月27日(火) 「従軍慰安婦」安易な謝罪がとことん尾を引く

 昨年秋、「米下院国際関係委員会を通過していた慰安婦問題に関する対日非難決議案は、本会議では議案にならないまま、採択されない見通しが強まっている。米議会関係者に対する日本側の説得が功を奏した格好だ。」というニュースがあった。しかし、またぞろ「日系3世のマイク・ホンダ議員らが中心となって1月31日、再上程にもちこんだ。」という。
 「報道2001」でも取り上げられ、映像がネット上にもアップされている。
 黒岩キャスターの質問にホンダ氏はそのなかで「真実でないのになぜ謝罪したのか」とも云っている。最近、米の公式な文書でもこれは事実でないとのことである。村山、河野発言は事実誤認であったが、安倍内閣はまたしてもこれを踏襲するといってしまった。麻生外相は「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と19日に述べ、政府と閣僚の意見が異なりスッキリしない。
 決議案は法的拘束力はないらしいが、番組の中で山本一太議員は反対はしているものの「まぁまぁ」といったニュアンスの発言だった。しかし、このような問題は逐一毅然として否定すべきで、放っておくことは韓国中共の対日工作の思うつぼになるのではないか。現在日本の外交で一番弱い部分という気がする。

 「河野洋平、強制の根拠を説明しろ!!」という映像もあった。全く同感だ。

2月21日(水) 【山】篠山市 御嶽(793m)、小金ヶ嶽(725m)

 関西地方は高気圧帯にすっぽり入り、素晴らしい天気になった。
 三田市の三国ヶ岳から多紀アルプスを眺めて、よし次はあそこに登ってみようと課題にしていた。アルプスを付けた連山はこれで三つ目だが、「大たわ」から小金ヶ嶽に至る岩峰を歩いて納得した。地形図では三嶽となっているが現場では御嶽と表記されているのでこちらをとらせていただいた。

 火打岩・御嶽登山口(9:55)〜御嶽道口出会い(10:20)〜鳥居堂跡(10:40)〜大岳寺跡(11:00)〜展望岩(11:30)〜御嶽頂上(11:45-昼食-12:15)〜大たわ(13:05)〜小金ヶ嶽頂上(14:10ー14:20)〜峠(14:50)〜福泉寺跡(15:25)〜小金口登山口(15:35)=車道=火打岩・御嶽登山口(15:55)

 神戸市北区淡河から北上し372号線に出た。暖冬だが風は冷たい。176号線をまたぎさらに東へ向かう。高城山付近で左折し火打岩に向かった。
 この付近では乗り合いタクシーなるものがあり、火打岩が終点で小さな広場があった。まだ新しい近畿自然歩道の案内板もあった。広場の隅にバイクを駐め御嶽登山口に向かった。来る途中、3月に行われる篠山マラソンの看板を見かけたが、今日は人影が見えず、ときおり北に見える御嶽から冷たい風が吹き降ろしている。

(小金ヶ嶽より見た御嶽)
 農家の間を抜けるとすぐに裏山に続く山道に入った。木々の間から冬日が射し、上空は真っ青だ。時折鋭い野鳥の声がし、遠くから選挙カーのアナウンスも聞こえる。尾根に上がると遮るものがないので意外に遠くまで届くものだ。
 多紀アルプスは訪れる人も多いためか道もよく整備されてわかりやすかった。説明に寄れば昔は修験道場の山であったらしく、お堂の後や祠が点在している。御嶽頂上には「西の覗き」へ700mという標識があった。あの大峰山のような岩場だろうか。展望岩や御嶽頂上の眺望は素晴らしかった。南側に先日登った三国ヶ岳や愛宕山が見えているはずだが余りに山並みが多く初心者の自分には確信が持てなかった。この後行く小金ヶ嶽頂上の方位版と同じデザインのものがあったが、壊れていて山名を知ることが出来なかった。
 御嶽頂上では風もなく穏やかな日射しの下で弁当をとった。

 御嶽から大たわへは、明るい尾根で急な木階段が整備されていた。猪だろうか熊笹や木の根っこが大きく掘り返された跡があった。大たわは本郷篠山線が多紀アルプスをまたぐ峠で、ちょっとした公園広場になっている。大きな案内板の横で車を止めて弁当を食べているおじさんがいて会釈をされ、「いいお天気ですね」と返したが、今日の山中での唯一の会話だった。
 余力がなければこのまま車道を火打岩まで降りることを考えていたが、時間も体力も行けそうなので小金ヶ嶽に向かった。

 間伐した材木が夥しく横たわる杉林を登りつめるとピークに出た。眼前に御嶽とは対照的な荒々しい小金ヶ嶽が現れた。山肌に所々岩がむき出しになっている。「おーっ、これか」と気持ちを引き締めて向かう。立体感ある風景、スリリングな岩尾根が続く。急なところ、回り込むところなど鎖が整備されていた。両足の間に鎖をまたぎ踏ん張って登るなど子供の頃以来の感覚だ。
 頂上にたどり着くとホッとする空間があった。さらに東へ四八滝方面へ続く標識もあった。

 小金ヶ嶽頂上から山中の「峠」まではえらく急峻な下りだった。テープ標識通りに歩いたつもりだが、鎖もロープもない。躄ったり、四つんばいになったりして降りる。なんとか「小金ヶ嶽へ」という標識のある道に出た。「では、今降りてきたのは何だったのか・・・」と今日の山歩き唯一の疑問点だ。
 そこからは、はっきりした山道になった。福泉寺跡をへて杉林になり沢音も大きくなっていった。杉林は間伐材が放置され苔むしているものもある。林業の不振がうかがえる。杉林を抜けると明るい空の下、小金口登山口に出た。
 今日は高度計を持参した。初めての山でもどの程度まで上り下りしたのかよくわかり行程を確認できよかった。

 帰路、篠山市内王地山公園ささやま荘に立ち寄り汗を流した。昔の国民宿舎だろうか来たような記憶がある。
 水曜日で特別料金300円ですとのこと。こじんまりした浴場で露天風呂もあった。まだ苗木の紅梅が咲いていた。塀の向こう側から桜の大木が被さっており、花の下の入浴を想像して温まる。こうなると帰ってから食事の支度も大儀になってくる。安価なお風呂を頂戴したことだし、食べて帰ろうという気になった。
 食堂は閑散としていた。南に向いた一面のガラス戸の向こうに篠山盆地が広がり形のよい高城山の背後に三田の山並みが見える。麓のデカンショ街道を小さく見える自動車が夕日のなかを流れている。
 注文した田舎定食はうまかった。季節の料理が小鉢に少しずつ供されて、蕗の薹の天ぷらなど、自分ですることはないだろうなと思いながら味わった。

 バイク走行 138km  帰宅 20:00

2月16日(金) 事勿れ主義・奪われる竹島

 竹島に韓国民が移住するというニュースがあった。
独島に10世帯20人が暮らせる村造成へ 2007/02/15 朝鮮日報/朝鮮日報JNS
 独島(日本名竹島)に10世帯20人が暮らすことができる「多世帯村」が誕生する見通しだ。
 慶尚北道鬱陵郡の独島管理事務所は14日、領有権を主張する日本の挑発を一蹴し、独島の実効的支配を強化するため、独島に10世帯程度が暮らせる多世帯村を作る計画だと明らかにした。
 鬱陵郡は村を独島のどこに作るか、1カ所にまとめるか分散させるかなど、位置や規模を専門機関とともに決定する予定だ。また郡庁に「独島漁村係」を新設し、漁業免許権を与え、実質的な領有権を強化する方針だ。
 鬱陵郡はこのため、来年までに6億5000万ウォン(約8361万円)を投入し、西島の古いコンクリートの階段を親環境的な木材で作り直し、船を陸に引き揚げる施設も拡張することにした。
 鄭胤烈(チョン・ユンヨル)鬱陵郡守は「日本の島根県が領有権の挑発を続けている状況の中で、実質的な領有権を確保するためには住民が居住する村を作る必要がある」と話した。
大邱=チェ・ジェフン記者
 島根県は竹島100周年を迎えるにあたって「竹島の日」条例を制定した。しかし肝心の外務省が批判的な見解を示したという。
 久間防衛大臣はインタビューで朝鮮日報の記者に「独島(日本名竹島)をめぐる韓日両国の武力衝突が起こる可能性はあると思うか?」との問いに以下のように答えていた。
 「自衛隊が発足した時、既に韓国が実効支配していた。これを武力で取り戻すということは、日本にとって憲法を改正しても不可能なことだ。従って外交努力によって解決方法を探らねばならない。現在の国際司法裁判所が国内での裁判のように決定する権限を持っているわけでもないし、国連にも解決する力はないのではないか」
東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員 朝鮮日報/朝鮮日報JNS 2007/01/24
 下條正男拓殖大学教授がこの問題で以下のように指摘している。
 山陰中央新報 特集記事より一部
 日本政府が真剣に模索しないのはなぜか。
 「日本政府は口を開けば『冷静な話し合いで解決を』と言うが、実際には話し合いの準備すらしていない。日韓基本条約締結後に少なくとも2回、竹島の領有権問題を解決する機会があった。最初が、既に述べた1990年代の新日韓漁業協定の協議の場だったが、逃げ腰で、何の進展も得られなかった」
議会や島根県が『竹島の日』条例を制定したことで世論の関心が高まり、今までなら言い出しにくい雰囲気すらあった竹島の領有権を堂々と主張できる環境が整っていた。ところが、小泉純一郎首相は議題に挙げないどころか、一言も触れかった」

 何が背景にあるのか。
 「事なかれ主義だ。両国政府は今年を日韓友情年と位置付けるが、日本政府は竹島の領有権問題を棚上げすることが、友好であるかのように勘違いし、墓穴を掘っている。一方、韓国は着々と理論武装を進めている。予算をつぎ込み、青瓦台(韓国大統領官邸)のホームページで、竹島を自国領とする根拠や日本の横暴さを世界に発信するなどしている。また、北朝鮮との南北統一旗にも、竹島をデザインしている」
 「竹島問題は日韓関係の入り口だ。日本側が領有権を主張するから、親善が深まらないのではなく、主張しないから、韓国側の誤った歴史認識が広がり、いつまでも過去が問題とされ、うわべの友好にとどまっている。日本がアジア社会の中で、従来通りに表面的な交流を続けるのか、真の交流を築くのか。竹島問題への対応は、日本外交のリトマス試験紙と言える」
 日本固有の領土が唯々諾々と略奪される瞬間だ。

2月13日(火) 中共解放軍の強硬言論

 中共解放軍部の強硬発言が目立ち、胡錦涛書記の制御が必ずしも十分でない。
中国解放軍部が強硬言論、胡総書記の制御に反発か (07/02/12 09:15)大紀元
 【大紀元日本2月12日】中共解放軍軍事戦略専門家の彭光謙氏は最近、「中国国防報」で発表した文章で、中国の最新武器装備が戦闘力を形成している中、国防政策はすでにトウ小平氏が80年代に主張した「軍隊の忍耐期」を過ぎたと述べ、中国は地域の安定および世界平和に対してさらなる貢献を捧げるべきだと主張した。また、6カ国協議が行われる中、中共軍備制御・制裁委員会責任者の滕建群氏は、北朝鮮の核問題を巡る議論で、もし最終的に米朝間の戦争が起きた場合、中共当局は北朝鮮側に立つと発言した。両者の発言は、今秋に開催予定の中共17回代表大会を控え、中共上層部の激しい派閥闘争の現れであり、江沢民前国家主席の勢力が強く占める中共軍部が、胡総書記の制御を受けないとの表明であると見られている。
 先月11日に中国のミサイル発射による気象衛星を破壊した事件で、関連国家の強い関心が寄せられ、中共の脅威論が再び浮上した。米政府はこれに対して、米中宇宙協力計画を一時中止することを発表した。衛星破壊事件で米・カナダ・豪・日・韓・英など各国から非難を受けて長い間に沈黙した中共はのち、ミサイル発射は如何なる国家も対象にしておらず、脅威になることはないとし、北京政府は決して国際間での宇宙兵器競争には関与しないと発表した。
 しかし、その後、中共軍部の彭光謙氏が突然強硬な言論発表を出し、中国の防衛力整備はトウ小平氏が唱えた「忍耐期」をすでに過ぎ、国家安全戦略の指導は、国際環境に見合った、時勢に適った相応しい調整を行うべきだと強調、これまでの生存利益の維持から発展利益への転向を主張した。この言論が、胡総書記のアフリカ外遊中に発表されたことから、外部から多くの憶測が寄せられた。
 「軍隊は忍耐すべき」とは、トウ小平・当時総書記が80年代半ばに提出した、防衛力整備の綱領だ。トウ小平氏は改革開放を主張し、「世界大戦はありえない、平和と発展が時代の主題だ」等の情勢判断に基づいて、外交は「目立たないよう、出過ぎないよう」にし、防衛力の整備より経済成長を優先させるべきだと提唱した。しかし、90年代半ばに入ると、中共上層部では、「軍事的覇権の強化」が唱えられ始め、解放軍は大幅に増強された。
 胡総書記は「調和社会」「平和躍進」を提唱しているが、一昨年の朱成虎少将の核戦争脅威から衛星破壊の示威行為まで、解放軍幹部は終始強硬な態度を示しており、胡総書記の国際的イメージにマイナスの影響を与えている。中共高官らの「沈黙は金」といった態度からして、外部メディアと有識者らは、今回のミサイル発射には胡総書記トップの認可はなく、中共の内部闘争が単に表に現れたに過ぎないと分析している。
 評論家らはさらに、「江沢民・派閥」が上層部を占める解放軍部は、胡総書記の統制を受けにくいと分析。実際、胡総書記は20日間の内で公文書5件を下達し、「解放軍は党の指揮に絶対的に服従すべきだ」と強調した。言い換えれば、軍部は胡総書記の指揮に従っていないを示唆している。
 また、1月末の胡・総書記外遊中には、曾慶紅副首相が、軍政部委のトップ180人を召集し、「江沢民・文選」を学習させたことは記憶に新しい。胡・総書記に対するこういった明らかな一連の挑発は、中共十七大前の権力闘争の一幕とみてもいいだろう。
 中共軍拡に対する最近の分析記事
中国 海軍力の大幅増強 狙いは日本…領有権争いに布石 (2007/02/09 08:01)産経
 【ワシントン=古森義久】中国海軍の研究では米国でも有数の権威とされる米国防大学のバーナード・コール教授は「中国の膨張する海軍パワー」と題する論文をこのほど発表し、中国の海軍力の大幅増強の目的は台湾海峡での紛争に備えることとともに、東シナ海での尖閣諸島などをめぐる日本との領有権争いに軍事的に対処することだという見解を明らかにした。
 同論文は国立ウッドローウィルソン国際学術研究センターの特別報告書最新号で公表された。
 コール教授は同論文でまず、中国当局が目覚ましい経済成長の成果を軍事増強に投入するなかで、人民解放軍全体では海軍の強化が最も顕著だとしている。
 同論文によると、海軍のなかでも潜水艦の増強が最優先され、すでにロシアから購入したディーゼル機動では世界でも最高性能とされるキロ級が12隻、国産の「宋」級10隻がすでに配備されたほか、2004年夏には新鋭の「元」級潜水艦が開発された。原子力潜水艦では従来の「漢」級5隻に加えて「093」級が少なくとも2隻、配備された。
 さらに注目されるのは、中国海軍がこれまで長距離弾道ミサイル発射能力を持つ潜水艦の「夏」級の実戦配備に成功していなかったのに対し、いまやロシアの支援を得て「094」級の弾道ミサイル原潜の建造を始めたことだという。
 コール論文はこのほか中国海軍が海上艦艇や海軍航空部隊、海陸両用戦闘部隊などを増強する実態を報告している。
 同論文はさらに中国軍がなぜこの種の海軍力の大幅増強を図るのか、その目的や動機について(1)台湾が独立への動きをとった場合、武力で台湾を制圧し、米軍の介入を阻むための能力を保持すること(2)東シナ海での尖閣諸島などに対する中国主権の主張への日本側の動きに軍事的に対処する能力を保持すること(3)中国自身に不可欠なエネルギー資源を輸入するための海上輸送路の安全を確保する能力を保持すること−などを主要点としてあげている。
 同論文は以上を「中国海軍の近代化」という大幅な増強の主要な理由だと述べ、なかでも日本への対応は中国にとって「ほぼ台湾有事への対処と変わりのない重要性を持つ戦略的な海上案件への懸念」と位置づけている。東シナ海で実際に中国が日本と軍事紛争を起こす場合のシナリオについて同論文は、「日本側は日米安保条約に基づき米軍の支援を求めるだろうから、中国側は台湾有事への対応と同様に米海軍の介入を抑止し、阻止し、場合によっては戦闘をも辞さない態勢をとらねばならない」と述べている。
 しかし同論文は、その種の日中軍事衝突で中国側が米軍の介入を阻むことは台湾有事の際よりもずっと困難だろうとして、「米軍基地が日本の国内や至近の位置にあり、日米安保条約での明白な共同防衛規定に加え、米側の日本防衛への責務感が台湾に対するよりもはるかに強い」などという諸点を理由としてあげている。
 すでに中共は東シナ海日中境界線上で堂々と天然ガスを盗掘しはじめた。
 中共が尖閣列島を一方的に占領し、日本側が口先だけで、何の行動も起こさない場合は、はたしてアメリカが介入して尖閣列島を日本のために取り戻してくれるだろうか。
「尖閣諸島が日本固有の領土であると強く主張し、防衛の態勢を行動として強くとってこそ、いざという場合に、アメリカ軍は同盟の任を果す為に出動し、協力してくれる。中共の脅威が日本の目前にせまっていても、アメリカが助けに駆け付けてくれるとは限らない。日米安保条約によって、アメリカは自動的に日本を助けに来てくれると、あてにすべきではない。」と評論家諸氏は警鐘を鳴らしている。

2月9日(金) 中共が尖閣諸島を「中国固有の領土」と指摘

「尖閣近海は通報必要なし」中国、初めて対応表明 産経(2007/02/06 19:51)
 中国外務省は6日、中国の海洋調査船が尖閣諸島(中国名・釣魚島)近海の日本の排他的経済水域(EEZ)で調査を行ったと日本政府が抗議したことについて、調査は「正当な権利の行使」と反論した上で「日本政府が事をあおり立てている」として「強い不満」を表明する談話を発表した。
 中国側がこの問題で対応を公式に明らかにしたのは初めて。日本政府は中国側の調査が相互事前通報の枠組みに反するとしているが、中国外務省の姜瑜報道官は6日の記者会見で、尖閣諸島を「中国固有の領土」と指摘した上で、尖閣諸島近海は中国が日本に事前通報すべき対象海域に当たらないとの認識を表明した。
 中国外務省は談話で、同省アジア局担当官が5日、北京の日本大使館当局者を外務省に呼び、尖閣諸島での中国の「科学調査」に関する日本側の対応に抗議したことを明らかにした。
 日本外務省は4日、在日中国大使館に抗議、中国側は「至急事実関係を確認する」と返答していた。
 日中は2001年、東シナ海での海洋調査活動に関し、相互に事前通報することで合意。中国側が事前通報すべき対象海域については「日本側が関心を有する水域である日本国の近海」と明記している。(共同)
 西に東に侵略著しい中共。取り決めも平気で反故にする。次は沖縄か。
 北京五輪などボイコットすればいい。

2月6日(火) 【山】南あわじ市 灘黒岩・水仙郷 諭鶴羽山(608m)

 しばしば元康さんから頂戴している絵手紙に水仙の絵があった。そうだ、淡路島の水仙がちょうど見頃を迎えているはず、ついでに諭鶴羽山にも上がってこようと思いついた。

 黒岩水仙郷は若い頃に訪れたことがある。その頃は高速道路もなく3,4時間かかった。
 今回は、近所の「しあわせの村」から阪神高速にのり布施畑ジャンクションから「神戸淡路鳴門自動車道」入った。明石海峡大橋はバスで通過したことはあるが、バイクで渡るのは初めてだ。海は早春の陽光にうらうらと輝きはるか下を通過するタンカーや漁船がのどかに見える。高い鉄塔と巨大なワイヤーで吊られた片側三車線の広い道路、雄大な景色の中を疾走するのはなかなか気持ちがいい。残念なことに駐停車厳禁で写真に撮ることは出来ない。

 西淡三原で高速道を降り灘に向かった。一般道に入りようやく身体に温みが戻ってきた。
 灘は淡路島の南部、大阪湾に面する。断崖沿いの海を見下ろす道路沿いにも水仙やパンジーが植えられている。沖の沼島は霞んでいた。

 黒岩水仙郷には10時頃到着した。昔来たときとは違い、駐車場も整備され、断崖の斜面には歩きやすい遊歩道が出来ていた。観光バスも何台かやってきて歩道も賑やかになった。辺りは水仙の香りが漂い、上に登るにつれ春霞の海が広がり素晴らしい景色になった。

 黒岩水仙郷から少し戻り諭鶴羽山に向かった。山塊の斜面を縫うように林道が山頂まで付けられている。途中からは地道になった。腰で重心をとり、大きな石ころにハンドルをとられないよう、尖った石を踏まないよう気を使う。ガードレールはなく緊張のひとときだった。途中大きな鹿に出会った。バイクの音に気付いた鹿は身を翻すとさっと崖に駆け上がっていった。

 山頂のNTTのアンテナ設備が見えてくる頃、簡易舗装になった。山頂のすぐ下に駐車し付近を散策した。やや南にアカガシのうっそうとした群落があった。頂上からの眺望は東の海側だけであった。弁当の休憩をしようとしていると西側の牛内ダムから年輩夫婦が登ってこられた。一緒に弁当をとった。その後、水仙郷まで諭鶴羽神社を経由する古道を降りるとのこと。水仙郷にはバスが待っており、そのようなツアーだそうだ。

 諭鶴羽山から北に向かって林道を走った。軽自動車が通れる程度で、一部地道もあった。落石が多く尖った石が散乱していた。カーブが多くガードレールもない。ガードレールがあっても当たるわけでもないのだが、ないと心細いものだ。
 いつしか分水嶺を越え上田池(こうだいけ)に出た。満々と水をたたえ、堰堤の向こうに町が見えてき、ほっとする。
 帰りは島の西側を北上し、北淡から高速道路に乗った。往復で数千円かかったが、時間の節約と安全を買ったと思えばありがたいことだ。
 バイク走行 200km  帰宅 16:30

2月5日(月) ガス田、日本の声は届かず

EEZ内に中国調査船 海保の警告に応じず 産経(2007/02/04 19:04)
 4日午前9時半ごろ、尖閣諸島・魚釣島西北西約30キロの日本の排他的経済水域(EEZ)内で、中国の海洋調査船「東方紅2号」(3235トン)が調査活動を実施しているのを第11管区海上保安本部(那覇)の巡視船が発見、調査を中止するよう警告した。調査船は応答せず、調査を継続している。
 11管本部によると、調査船はEEZ内を南へ航行しながら網や筒状の器具を海中に投入。海水などを採取する科学的調査とみられる。
 東方紅2号は昨年7月にも日本のEEZ内に進入し、同様の調査活動を行った。
 柳沢厚労大臣の発言問題にすったもんだしているうちに中共は着々と東シナ海を侵しつつある感がある。
以下web産経新聞より

 2006年3月19日 麻生外相の対抗措置を検討しなければいけないとする発言に対し、当時の二階経産相は「外相は慎重にやらなければならない。もし、強硬にやるのが好きなら、どうぞ中国へ行って強硬にやったらいい」と麻生外相を批判」

 2006年7月9日 日中両国は9日、東シナ海ガス田開発に関する政府間協議を北京で前日に続き開催、日本側は「白樺」(中国名・春暁)ガス田の生産を自制するよう求めたが、中国側は拒否。中国側は尖閣諸島(中国名・釣魚島)周辺の共同開発案を固持。

 2006年2月17日 中国訪問中の甘利明経済産業相は17日、中国でエネルギー政策を担当する馬凱・国家発展改革委員会主任と会談、日中のエネルギー担当相対話を年1回程度、定期開催することで合意した。

 2007年1月23日  自民党の中川昭一政調会長は23日、党本部で記者団に、東シナ海のガス田開発をめぐる日中協議について「球は中国側にあるが、日本政府が催促しているのかよく分からない。政府は本当に交渉をやる気があるのか」と政府の姿勢を批判。日本が日中中間線の日本側で試掘などの対抗措置をとらないことには「(日本側海域での共同開発を求める)中国側の主張を認めることになる」と強調。帝国石油は平成17年7月に試掘権を設定しながら試掘せず「(監督官庁の)資源エネルギー庁が消極的な意味でストップをかけていると思わざるを得ない」と述べた。

 2007年2月1日 東シナ海の日中中間線付近にある天然ガス田「白樺」(中国名・春暁)について、中国系香港紙「大公報」は31日、同ガス田から浙江省に向け、供給が昨年9月から開始されていたと伝えた。報道が事実なら、中国側の開発が、供給段階にまで進んだ可能性がある。
 同紙によると、浙江省発展改革委員会が経済発展に関する報告書の中で明らかにした。昨年までに同省の寧波市から紹興市までのパイプラインが開通、「両都市などでは東シナ海のガスを使用し始めた」とされているという。同紙は、あいまいながらも初めて政府側が春暁の供給開始の情報を認めたと指摘している。

  塩崎恭久官房長官は1日午前の記者会見で、東シナ海の日中中間線付近にある天然ガス田「白樺」(中国名・春暁)から中国への供給が開始されたとする中国系香港紙の報道について、中国側が「関係部局に確認したが、東シナ海で新たな状況が生じているわけではない」と否定する説明を日本側にしていることを明らかにした。
 無為無策の二階氏、甘利氏、外務省、資源エネルギー庁。
 侵犯を止めさせることも出来ない国防。
 ガス田問題では後手々々にまわりなんら進展はなく、中共の時間稼ぎと領土拡大への既成事実化が著しい。
 審議拒否で騒ぐ野党、中共に屈する議員、この現状をどう見ているのだろうか。

2月3日(土) 【山】神戸市北区 丹生山系縦走

 神鉄箕谷(9:30)〜柏尾台北端(10:10)〜肘曲り(10:35)〜稚児墓山596m(11:15)〜岩谷峠(12:05)〜(13:00)帝釈山586m(昼食)(13:20)〜丹生山515m(14:00)〜(15:10)衝原(15:49)=(バス)=神鉄箕谷

 天気は快晴、風はやはり冷たい。山道には昨日の雪が残っているところもあった。葉っぱの雪が溶けてぽたりぽたりと滴が落ちてくる。山中ではその音が夕立の降り始めのように聞こえた。
 昨年初夏に同じコースを丹生山から稚児墓山に向かって歩いた。その時は羽虫に見舞われ、目や耳に飛び込んできて落ち着いて歩けなかった。今回はそれもなく冬日和の明るい雑木林の中をさくさくと歩くことができた。遠くには六甲山、須磨連山、明石海峡大橋が霞んで見えた。

 帝釈山への登り付近で降りてくる2,3組の登山者に会った。頂上では青年が一人いて一緒に少し遅い弁当を広げた。押部谷から歩いてやってきたそうで、これは大変な距離だ。夏は昆虫採集でこの辺にもよく来るとのこと。さすが若者、携帯電話で帰りに節分のお寿司を買って帰る相談などをしている。こんな辺鄙な山の上でも町の中と同じように会話できるのが私には奇妙な感じだ。

 衝原(つくはら)でバス待ちの間に「箱木の千年家」を見学しようと訪れたが、茅葺き屋根の葺き替え工事らしく見学できなかった。庭の一角に大量の茅が積まれていた。

2月2日(金) NHK受信料

 菅総務相がNHKに早急に受信料値下げの検討を行うよう促した。
総務相、NHK受信料値下げもっと早く 産経(2007/02/02 10:34)
 菅義偉総務相は2日午前の閣議後会見で、NHKの橋本元一会長が値下げを含めた受信料制度の見直し案を今年9月までにまとめる意向を示していることについて「もっと早く結論を出してほしい」と述べ、NHKが早急に受信料値下げの検討を行うよう促した。
 受信料をめぐっては、菅総務相が約2割値下げを前提に平成20年度から支払いを義務化する放送法改正案を通常国会に提出する方針を表明しているのに対し、橋本会長は「少なくとも20年度は無理」として否定。橋本会長は将来的な料金体系や徴収方法の抜本的見直し案を9月までにまとめる方針を示しているが、菅総務相は会見で「なぜ9月なのか。そんなに時間をかける必要はまったくない」と批判した。
 また橋本会長が受信料収納率アップに向け、転居情報などを把握するため住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)を活用できるよう求めていることについて菅総務相は「そう簡単な問題ではない。住民票の写しで対応できる」と否定的な考えを述べ、「もっと内部的な取り組みをしてほしい」とさらなるNHKの経営努力を求めた。
 NHKの偏向報道について雑誌「正論」で連載されているのでお読みの方も多いと思う。毎号読んで呆れているが、3月号では「見た分だけ支払う受信料メータの設置を望む」という提案が掲載されていた。電話も光熱費も水道も使用した分だけ支払っている。メータをTVに付ければ済むことで、NHKの技術をもってすれば簡単ではないかという趣旨だった。大賛成。

 インターネットでは音楽やソフトのダウンロード販売、ムービーなどはPPV(ペイ・パー・ビュー)が普及してきている。NHKには過去の番組をアーカイブ(それだって国民の受信料で制作されたものだが)で持っているので現行番組以外に収入源がいくらでもあると思う。是非実現していただきたい。
 今や受信料をまともに払っているのは6割だとか。銀行口座から有無を云わさず引き落とされるのがだんだんアホらしくなっている。

2月1日(木) 野党欠席審議拒否

 柳沢厚生労働大臣の発言が物議を醸し、衆院予算委に野党が欠席するという事態になっている。
 その発言内容
 なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15〜50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。
(2007年1月30日06時00分 スポーツ報知)
 わかりやすく説明するために機械に例え、申し訳ないがと断っているではないか。
 野党第一党の小沢氏までがあげ足をとって攻撃し、参院選挙に向けてのアピールのつもりの様に見える。TVでは会議場の空席がしっかり映っていた。仕事をしない議員、政党にどれだけ支持があるのか見守らなければ。

 それにしても「貧乏人の子だくさん」「律儀者の子だくさん」という言葉も今は懐かしくさえある。

1月30日(火) 【山】三田市・三国ヶ岳(648m) 篠山市・愛宕山(648m)

 雲一つなく抜けるような青空が広がった。
 18日に登った千丈寺山のさらに北にある三国が岳、愛宕山に登った。峠を越えれば篠山市になる。
 三田市志手原三叉路を左にとって49号線を北上する。通る車も少なく真っ青な空の下を快適に走る。但し空気は冷たく指先がしんしんと冷えてくる。峠を越えると花菖蒲の名所永沢寺がある。道は下りになり母子の里に入った。
 さらに篠山方面に向かうと美濃坂峠手前に三国ヶ岳登山口「ふきのとう休憩所」がある。付近は茶畑が広がっている。注意書きがあって、2月15日までは狩猟期間中で危険ですと書かれていた。引き返すわけにもいかないのでリュックにクマよけ鈴を付けて行くことにする。のどかな景色が広がっており、ため池には薄氷がまだ溶けていなかった。野良に出ている人は見かけない。茶畑を過ぎるとすぐに山道になった。昼近いのに日陰には霜柱が残っていた。鉄砲の音がしないか緊張したが、それもなく斜面を登り切ると頂上についた。峠はすでに標高が500m位あるので汗をかくまでもなく25,6分で到着した。

 北側、南側の眺望は開けている。北側には多紀アルプス、篠山の町並みが一望できた。その向こうには福知山の高い山も頭を出していた。東側には木立の間から弥十郎嶽、大野山が見えた。南側は千丈寺山、遠くには羽束山の丸い頭がのぞいていた。西側も木々の間から遠くに笠形山や千ヶ峰とおぼしき山々が望まれた。このあと登るつもりの愛宕山は木の陰になり確認できなかった。
 空はあくまでも青く、空気は冷たいが真上にある陽光の下、眺望を満喫しながら弁当を広げた。





 愛宕山は三国ヶ岳の西側(直線距離で約3km)にある。母子の里からは三国ヶ岳同様にすぐに往復できるはずであった。近畿自然歩道の立派な標識があり、愛宕山の方向を示してはいたが登山口がわからなかった(帰宅して落ち着いて地図を眺めたら、やや北寄りの所を右往左往していたようだ)。仕方なく北側の竜蔵寺から登ることにした。美濃坂峠を越え372号線(デカンショ街道)に出る。真南条から竜蔵寺参道に入る。竜蔵寺は標高が300m位の山奥にある。寺の奥まったところに愛宕山登山口があった。大きな古い石段が山中のお堂まで続いた。途中住職さんが書かれたものだろう、箴言が貼ってあった。

 無人の古いお堂から本格の山道になった。急斜面で100m位のロープで登るところもあった。太陽が大分西に傾き、焦りを感じながら汗だくで登ること30分ようやく頂上に着いた。展望はなくわずかに北側だけが開け、西の斜光線を浴びた篠山の町や山が見えた。
 登山口に引き返すと16:20、空は明るいが周りは夕暮れて冷え込んできた。汗のシャツを着替え帰路についた。

 ふきのとう休憩所(11:30)〜三国ヶ岳(11:50)昼食〜ふきのとう休憩所(13:00)
 竜蔵寺・愛宕山登山口(14:40)〜お堂(15:05)〜愛宕山頂(15:35)休憩〜登山口(16:20)

 帰宅 18:15  バイク走行 110km

1月28日(日) 【山】神鉄丸山・高取山〜須磨アルプス〜山陽電鉄・塩屋

 神鉄丸山駅から山陽電鉄塩屋まで六甲縦走路の逆を歩いた。
 昨年初歩きのコースのおさらいだ。その時は須磨旗振山で足が痛くなり1時間もかかって須磨浦公園駅に降りた。町中で道を間違えたとはいえ7時間もかかった。膝の痛みはたしか1週間続き、食料の買い出しにも不自由し、日記には「年は取りたくないものだ」などと泣き言を書いていた。
 昨年一年間あちらこちら歩いたが、果たして本当に足は丈夫になったのだろうか。今日はその確認の意味で歩いた。

 神鉄丸山駅(8:50)〜高取山登山口(9:10)〜高取山頂(9:45)〜妙法寺(10:30)〜東山・横尾山登山口(11:00)〜東山(11:45)昼食〜馬の背(12:05)〜横尾山(12:15)〜栂尾山(12:30)〜高倉台団地(12:40)〜高倉山頂(13:05)〜鉄拐山頂(13:20)〜旗振山頂(13:40)・鉢伏山往復(14:00)〜塩屋登山口(14:20)〜山陽電鉄塩屋駅(14:45)

 約6時間足らずで歩くことが出来た。脳みそは衰えるばかりだが、筋肉は高齢でも鍛えることは出来るという説は本当かも知れない。足は疲れたものの階段が上れないということはなく通常の疲労なのだ。誰かの台詞ではないが自分を褒めてやろうと思った。(写真:須磨アルプス・馬の背)

1月27日(土) 首相施政方針演説

 昨年9月末、安倍内閣が発足し4ヶ月が経過しようとしている。TVでは支持率が低下したとか、顔が見えないとか批判が多い。しかし、所信表明演説、今回の施政方針演説を見ると従来の首相とは違っている。外交面では村山談話を踏襲するといい歯切れの悪さもあったが、戦後体制からの脱出、改憲と教育改革を柱にしていることでこれからの日本のあり方、道筋を示しているものと受取り期待している。

 いじめ虐待、子殺し親殺しが頻発し、先生の質の低下も指摘されている。支払能力があるにもかかわらず給食費を払わない親がいることは驚きであった。公務員の贈収賄、飲酒運転、一般企業でも当然守るべき職業上の信義がおろそかになったり社会規範が崩れてきている。すべて教育制度が悪いためとは云えないだろうが、一因にはなっているのではないだろうか。学校、家庭、社会の教育力を上げるような施策を「内閣の最重要課題」と位置づけて取り組むというのはもっともだと思う。

 先日中共が人工衛星破壊実験を行い、経済大国を目指しつつ軍拡も怠りない。北朝鮮も核実験を行いそれを脅しに無理難題を押しつけている。拉致問題も膠着状態だ。従来の安全保障の考えが通用しない時代になった。

 あれこれ盛りだくさんな事を云うより、「改憲」と「教育改革」これを中心に邁進されることを期待する。

1月26日(金) 街頭宣伝車

 「毎度おさがわせしております・・・」と断りの入るものから、ただただラウドスピーカーでがなり立てるものなど、喧しい。前者は灯油移動販売、バイク、家電品の引き取りが多い。特に灯油の移動販売はこの地区には夕食時TVのニュースにダブりはなはだ迷惑している。まぁ、これがお仕事なのだと思うので我慢もしよう。

 後者は、略して街宣車(日本語変換も間違いなくできるなぁ)が昨日一日中喧しかった。当地区に何かあったのだろうか。任侠系の名前にデカデカと日の丸が貼り付けてあった。そして軍歌や古い演歌をボリューム一杯に流す。ちょうど交差点で止まっているのを上から眺めていると、運転席の兄ちゃんは週刊誌を広げながらハンドルを操作していた。右翼を標榜しながら保守系のイメージダウンを企図しているのははっきりしている。しかし、日教組の大会があったりすると繰り出してくる街宣車もあるから色々あるのだろう。今日は共産党の宣伝カーが喧しかった。こちらはほぼ毎日である(ただし昨日の街宣車とはダブっていない)。プロのアナウンサーのテープだろう。女性の声で言葉はやさしいが音量は大きい。団地のコンクリートに反響し倍増する。
 いずれも結構な費用だと思うが、マイナーな団体にもかかわらず資金があるのだなと不思議に思う。

 参議院選挙を控え先が思いやられるが、もう少し音量を下げてもらえないか。

1月24日(水) 「南京の真実」映画製作・良識人立ち上がる

 昨年暮れ、中共の反日工作がその裏にあると思われるが、アイリス・チャン著の反日史観で史実誤認の多い「レイプ・オブ・南京」を下敷きにした映画「南京」が公開されるというニュースがあった。
 このほど日本でそれに反論する映画の制作発表があった。心強くもあり、素晴らしい事だ。

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成19年(2007年)1月25日(木曜日)通巻第1690号より引用
 ついに良識人が立ち上がった。
 嘘放送はもう許せない!!  「南京の真実」を映画化
 南京大虐殺なる政治プロパガンダの嘘を世界に向けて発信


 今朝(1月23日)、都内のホテルで歴史的な記者会見が開催された。
 日本の保守陣営が大同団結し、誤謬だらけの戦後の歴史認識と中国がばらまくインチキ歴史解釈の訂正のために、映像というもっとも効果的な方法での反撃が開始されたのである。
 南京攻略戦の真実を伝え、中国と米国の政治謀略「南京大虐殺」の嘘を暴くドキュメンタアリー映画「南京の真実」の制作発表と記者会見が開かれた。

 この映画は情報戦でもあり、英語版、中国語版がつくられ世界同時公開を目指す。
 またインターネットの動画による配信も計画されている。公開は南京70周年の12月を目処としている。

 記者会見は超満員となった。
まずプロジューサー兼監督の水島総氏が挨拶、ひきつづき上智大学名誉教授の渡部昇一氏が「田中上奏文のインチキを当時、だれも真剣に反論しなかった。情報戦にやぶれることはかくも凄まじい結果をまねく。メディアにはメディアで、情報戦には情報戦で闘おう」。

 南京学会会長でもある東中野修道教授は、
 「おととしニュー・オーリンズを襲ったハリケーンのときに、強盗、強姦、放火,暴行が蔓延していると言う噂が拡がった。調べてみるとデマであった。
 南京の報道は陥落(1937年12月13日)から三日後に米国の新聞にでたが、爾後、東京裁判まで一切語られることが無かった。
 突如、1946年からの東京裁判で浮上し、1972年本多勝一の『中国の旅』で、中国側の宣伝キャンペーンが開始された。そこで南京に派遣された、生き残りの将校に数知れずインタビューしたが、誰もが「このまま(嘘の不名誉がばらまかれたまま)では死ねない」と言った。
 南京陥落から蒋介石軍は、漢口から重慶まで逃げて、その間、じつに300回も外人記者団との会見を開いたが、ただの一回も南京問題がでてこなかった。
また当時の国民党中央宣伝部の用意したプレス・リリースにも一切現れていない。国民党報告には、一件の殺人事件さえ報告されていない」。

 ▼国会議員も超党派で支援に駆けつけた
 記者会見には国会議員も多数が詰めかけ心底からの熱弁を振るった。

 まず西村真悟(衆議院)議員は、「いよいよ日本側の反撃が開始される。これまで日本の議会は中国の工作に屈服してきた。虐殺は1927年の国民党の南京入城のさいに起きた。あれこそが南京の真実である」。

 松原仁(衆議院)議員は、
「当時、外国人が居住したのは『安全区』で、しかし国民党は『安全区』のなかにさえ砲台をつくった」。

戸井田徹(衆議院)議員。
「選挙区の講演会で挙手を求めると、じつに90%の日本人は『南京大虐殺があったか、どうか、知らない』と答えるほど、関心がない。我々の先輩は少なくともいまの日本人よりは立派だった。あんな事件を日本人が起こすわけはないのに、たとえば国会図書館関係筋ではBC級の裁判資料さえ、公開を憚ってきたのである。ようやく公開される運びとなって、行動はこれからだ」。

渡部郎(衆議院)議員。
「ティンパリーの嘘放送は蒋介石国民党の宣伝だったが、あれは米国を参戦させるための謀略文書。ところが、いまの日本人は歴史をしらず、大学入試どころか、高校で日本史が選択科目、日本人が自国の歴史を知らない。超党派で、この問題に取り組まなければならない」。

赤池誠章(衆議院)議員。
「中国社会科学院の学者らと議論したが、彼我の差は大きく、歴史認識が縮まることはない、と確信した。中国の歴史解釈とはときの権力者に正当性を付与するのが目的であり、政府の正当性を喧伝する武器。その道具に日本が使われているのだ」。

鷲尾英一朗(衆議院)議員。
「若いひとに歴史の真実を残しておかなければならない。全世界を相手に、この情報戦を闘わなければならない。大変な作業となるが、ともに闘いましょう」。

笠浩史(衆議院)議員。
「教科書問題、歴史認識問題は、国会でさえ、過去の難しい問題は好い加減にせよという意見を聞く。このどうでもいいさというムードに危機感を抱く」。

松本洋平(衆議院)議員。
「歴史の真実を明らかにすることは、国の名誉と誇りの回復であり、これからの日本人が世界に胸をはっていきていくためにも是非とも必要である。

稲田朋美(衆議院)議員。
「愛国暴走は中国人にとっては正義、偉い人を庇うのも中国人の正義。真実を追究してやまない日本人と天地のへだたりがある。先日も百人斬り訴訟で、我が国の最高裁判所が、百人斬るという嘘は、限りなく嘘に近いが、一部灰色である限りは個人の名誉云々は争えない、として不当判決をだした。
国家の名誉を守るのは裁判所ではない、政治家である」。

松下新平(参議院)議員は、
「宮崎県選出だが、歴史の真実を伝えるのは政治家の責務であると認識している」。

大江康弘(参議院)議員は、
「国会の議論の虚ろなこと、多くの議員は、この歴史問題に関心が薄い。台湾のことでも、本質議論に関心がうすく、たとえば関空第二滑走路を早めに完成することが決まったのも、理由は「華僑大会」が関西で行われるからというではないか」と現状のひどさを訴えた。

▼米国でも常識と扱われている南京
 さて、会場には加瀬英明、藤岡信勝、佐藤和男、中村アキラ、大高美貴、井尻千男、小山和伸、日下公人、勝岡寛次、佐藤克己、篠沢秀夫、田中英道、高森明勅、西尾幹二、西村幸祐、水間政憲、三輪和雄、八木秀次、山際澄夫氏ら、列挙できないほど夥しい有識者、大学教授、ジャーナリストが集合した。
それぞれが、この映画への期待と所信を連続的に表明した。
このため、記者会見は質疑応答を含め、じつに二時間にも及んだ。

 映画『プライド』をつくった経験もある外交評論家の加瀬英明氏は、「米国では南京とナチスが同列におかれて南京虐殺は常識となっている。日本の国益を守るべきである」

 教科書問題の偏向と闘う藤岡信勝氏は、「アイリス・チャンの考証もされていない本が基礎となっているが、アイリスの翻訳さえ日本では左翼系出版社も、あまりに誤りが多いので出さなかった。
こんな出鱈目本を基礎に、あのアメリカが映画を作ったのだが、日本でさえ文部省検定では南京事件があったことを書かないと検定が通らないという惨状を呈している」

 国際法に詳しい佐藤和男名誉教授は、「東京裁判は日本人に罪悪感を抱かせるための政治ショーに過ぎない。原爆投下は史上最悪の犯罪だが、南京は米国の原爆犯罪のすり替えだ」。

 大東亜戦争の研究で知られる中村アキラ教授は、「政府が何もしないので民間が立ち上がったのである。南京に参加した多くの将校にインタビューしたビデオもたくさんある。南京は完全なフィクションである」。

 歴史に詳しい勝岡寛次(明星大学教授)は、「日中共同歴史研究はなりたつまい。中国は最初から、侵略戦争という政治用語、プロパガンダ語彙を持ち出してきている。之では議論が成立しない」。

▼日本人いがいに日本人の不名誉は回復できない
 機密文書を連続的にすっぱ抜くジャーナリストの水間政憲氏は、「世界の反日ネット網が完成しており、こうした歴史解釈の偏向ぶりの嚆矢となったのは中国帰国者連盟だ。およそ1000人が洗脳され、命と引き替えに出鱈目な証言を72年からなしてきたからだ。82年から中国の歴史教科書に南京事件が掲載されるようになったのだ」。

 評論家の西尾幹二氏。
「サダム・フセインの処刑を東条英樹とならべて朝日は、日本の保守派に言いがかりをつける戦術にでてきた。勝利者が負者を裁くという意味で、拙速だったという点で、ニュールンベルグ裁判と東京裁判は似ているが、これは保守の反論を防ぐ目的もあった。もとより人道の罪などと東京裁判はナチス裁判の側杖を食った形である」。

東北大学名誉教授の田中英道氏。
「ナチ、原爆、そして文革。この三つが二十世紀の歴史的犯罪だ。文革へのすり替えが、中国にとって南京大虐殺だった」。

 篠沢秀夫(作家、学習院大学名誉教授)は、「電車内で足を踏まれたら、足を踏んでますよ、くらいは言っても良い」

 ジャーナリストの山際澄夫氏、「日本人の名誉を回復させるのは日本人しかいない」

 大高美貴(ジャーナリスト)さんは、「恐れを知らない中国の行為は、死者への冒涜である。チベットも蒙古もウィグルも、日本が立ち上がることに大いに期待しており、そしてアジアに幸せがくる。
この映画作製による思想戦は、日本の崇高な使命だ」。

▼ふりかかる火の粉は取り払わなければならない
 多摩大学教授もつとめたエコノミストの日下公人氏。
「中国の反日プロバガンダは米国に主舞台。理由は日米離間。であれば日本側の反撃も米国に焦点を当てて、狙いを米中離間におくべきだろう。

 歴史学者の高森明勅氏。
「インテリジェンスがいかに国益にとって重要であるか」

 さて会場に小生も出向いたので一言つぎのように述べた。
 (宮崎正弘)「田中上奏文が嘘であることは昨今ようやく世界的にばれてきたが、南京は、いってみれば日本にふりかかった『シオンの議定書』だ。
帝政時代のロシア秘密警察のつくった偽造文書『シオンの議定書』がユダヤ人虐殺に正当性の口実をあたえ、やがてナチスが援用した。ユダヤ人は本当に虐殺された。
もし“南京大虐殺”なる偽造文書まがいの嘘放送、政治プロパガンダを、このまま日本が放置してしまったならば、やがて日本人をまちうける運命はいかなるものになるのか? ふりかかる炎は取り払わなければならない」。

 なお、詳しくは「映画「南京の真実」制作委員会 電話(5464)1937
 http://www.nankinnoshinjitsu.com/

1月22日(月) 【山】藍那〜西区「ふるさと散策の道」〜太山寺(温泉)

 2006年2月10日に歩いたコースのバリエーションだ。その時は木見峠から太山寺まで延々車道歩きをしてしんどかったが、今回は、西区のサイトに「ふるさと散策の道」というのが紹介されていたのでそこを歩いた。
 また、藍那から木見峠は前回のやや北側、丘陵地帯の中央部を歩いた。丘陵地帯の北半分は国営明石海峡公園の整備中ですっかり伐り開かれ立ち入り禁止となっている。

 道は雑木林のアップダウンが続く。かつての林道や農道があって枝道も多い。そこで中央部を東西に走る送電線を目印に歩いた。雑木林の上高く走る送電線につかず離れず、地形図を見ながら進路を決めていく。
 9:30から歩き、太山寺温泉に15:30に到着した。足腰が痛くなり、最後は頭の中に温泉がちらちらして止まなかった。





1月21日(日) 納豆騒動 その後

 ここ数日納豆を食べられず寂しいので昨日スーパーをのぞいてみた。量は少ないが並んでいたので早速買って帰った。
 ニュースではTV番組で放送された納豆ダイエット効果は誇張であるとのこと。データが捏造だったそうだ。
「やっぱりな、TVで云うことはそんなもの」という風潮が増幅するだろう。
 ダイエットで納豆を買いに走った人々のがっかりする様子が目に浮かぶようだ。
 納豆が栄養食品であることは信じている。安定供給をお願いしたい。
納豆ダイエット効果を誇張 「発掘!あるある大事典II」 (2007/01/20 19:35)産経
 関西テレビ放送(大阪市)は20日、納豆のダイエット効果を取り上げた7日放送の情報番組「発掘!あるある大事典II」で、実際には行っていない実験データを放送し、効果を誇張していたと発表した。
 同社は「納豆にダイエット効果があるという学説があるのは事実。どうして実際と異なる放送を行ったかは現在調査中」としている。
 同番組の放送直後から全国で納豆の品切れが相次いでいた。
 同社は調査委員会を立ち上げ、原因究明を急ぐ。21日の番組放送は休止する。
 千草宗一郎社長はデータのねつ造を認め「視聴者の皆さまの信頼を裏切ることとなり誠に申し訳ない。2度とないよう対策を講じる所存です」と謝罪した。
 同社によると、「中性脂肪値が正常値になった」などと放送した被験者の数値測定は実際には行っておらず、朝に納豆を2パックまとめて食べた場合と、朝晩に分けて食べた場合の血液比較検査結果も架空だった。
 また米テンプル大のアーサー・ショーツ教授が「(ダイエット効果のある)DHEAを増やす食材がある」などと発言していないのに日本語訳コメントを勝手に付けた。
 さらに、被験者がやせたことを示す比較写真は無関係の写真だった。
 12日に一部報道機関から取材があり、調査して不正が発覚した。

1月18日(木) 【山】三田市 千丈寺山(589.6m)

 2日も曇天が続くと永遠に続くような気がして滅入ってくる。昨晩気象予報をみると晴れ時々曇りとなっていた。予て用意していた地図とガイド情報、リュックを用意して寝た。

 夜明け前に目が覚めて外を見ると、オリオンが真上に来ていた。そういえば月が変わればもう立春なのだ。
 バイクで三田に近づくと霧が立ちこめてきた。武庫川水系の川霧だろう。千丈寺山西側の千丈寺湖(青野川)に近づくさらに濃くなってきた。どうしよう引き返そうかと空を見上げると所々青空がのぞいている。登山口の田園地帯になると霧が晴れてきたが山肌や遠方には靄がかかっていた。

 下青野公園に駐車
 感神社(10:45) 〜 尾根・北浦天満宮コース出会い(11:30) 〜 頂上手前展望岩(11:55) 〜 千丈寺山頂(12:5)昼食・休憩(12:50) 〜 祠(13:10) 〜 峠(13:55) 〜 上青野登山口(14:15) =(車道)= 下青野公園(14:45)

 感神社の石の鳥居をくぐり突き当たり右から登山道が始まる。特に標識はないが、青テープで示されている。急なところはロープもあった。迷いやすいと思われるところはビニール荷造り紐で遮断してあった。
 登山道は昨日までの雨で露が多量に残っていた。うっかり木につかまるとバラバラと降り注ぐ。
 尾根筋に上がると穏やかな冬の日が射していた。時折小鳥の声がする。下界はベール越しに見るよう。先日登った羽束山もぼんやりとしか見えなかった。
 今日はおそらく誰にも会わないだろうと思っていたが、なんと頂上で単独登山者がおられた。京都からで、山の東側の乙原から登って来られたとのことだった。この後、私とは反対に南に向かって行かれる。

 昼食、しばらくの歓談のあと北に向かった。祠を過ぎてから峠までは急斜面が続いた。落ち葉は濡れ、地面も湿っているため2,3度尻餅をついた。谷の向こう側には峯ヶ畑(659.8m別名:乙原岳、峰山)が雄大に懐を広げていた。
 峠から上青野はしばらく荒れた感じだがやがて苔むした舗装林道になった。降りたところは池の畔で、とくに標識もない。
 そこからは午後の日射しの中、青野川の土手を歩いたり交通量の少ない車道を歩いて駐車場に帰った。
 (写真:千丈寺山(右奧) 帰路、千丈寺湖から)

 帰宅 16:30  バイク走行 74km

1月17日(水) 

 参議院選に向けて街宣車が繰り出されるようになった。やはり宣伝し売り出したいところが喧しい。当地では共産党、公明党、民主党、自民党の順だろうか。

 堅実に売れているものはCMは少ない。洋菓子メーカーの不二家は品質もよく美味しいというイメージを持っていたが重大ミスを犯した。雪印もそうだったが立ち直りは難しい。売り場ではただただ値段を下げて端の方に並べてもらう状況になってしまう。

 小沢代表は「・・・と決意しております」などと云っていたが、小沢神話は崩れてしまっており、鳩山氏、菅氏ともども魅力に乏しい。
 2007年の活動方針では新聞各社の社説でその矛盾を突かれた。これでは政権交代はおろか二大政党も難しいのではないか。
1月17日付・読売社説(1)
 [民主党大会]「『対決』だけでは信頼は得られない」 (2007年1月17日1時36分 読売新聞)
 7月の参院選で与野党逆転を実現する――。民主党大会は、これを「唯一最大の目標」とし、通常国会を主戦場と位置づけた。安倍政権との対決姿勢を鮮明にするという。
 どれだけ民主党への共感と信頼を得られるかが、問われることになろう。
 だが、民主党の姿勢に疑問もある。たとえば、2007年度活動計画が、「参院選後をも展望し、他の野党との協力を進める」と明記していることだ。
 来賓として出席した社民党の福島党首は、自民党政治の打倒を呼びかけ、とくに憲法改正の手続きを定める国民投票法案に「断固反対」を求めた。
 しかし、民主党は独自の国民投票法案を国会に提出している。法案そのものに反対の社民党とはまるで立場が違う。
 活動計画は、自民党との対立軸を示し、民主党の政策、主張をわかりやすく伝える、としている。だが、参院選での選挙協力を重視すればするほど、自らの政策を貫けなくなるのではないか。
 先の臨時国会で民主党は、沖縄県知事選で共産、社民両党と統一候補を立てたことから、両党に足並みをそろえる形で教育基本法改正案、防衛庁の省昇格法案などに対する審議拒否戦術に走った。
 だが、民主党は、教育基本法改正案の対案を提出していた。省昇格法案には、最終的に賛成に回った。両法案に反対の共産、社民両党との共闘自体に無理があった。結局、民主党の国会対応が迷走するはめになったことを反省すべきだ。
 国の基本にかかわる国民投票法案を、党利党略でもてあそぶべきではない。
 党がまとめた「政権政策の基本方針」についても、地方代表の側から、疑問の声が少なくなかった。一つは、消費税を5%に据え置いたまま全額年金財源(基礎部分)に充当するとした点だ。
 2004年の参院選で民主党は、基礎年金部分の財源確保のため、消費税の3%程度の増税を含む年金制度改革を訴えて勝利した。なのに、なぜ方針転換するのか、財源はまかなえるのか、納得できる説明がないからだろう。
 執行部は、党内にさえ、基本方針を十分に説明できていない。これで、広く有権者の理解を得られるだろうか。
 自民党の中川幹事長は、公務員制度改革、教育改革、社会保険庁改革を「3本の矢」と呼び、民主党との争点としている。自治労や日教組を支持基盤とする民主党を揺さぶろうとするものだ。
 民主党は、国会で、具体的な対案を提示し、論戦で応えるべきだ。それが、政権を目指す責任政党として、有権者の信頼を得ることにつながる。
【主張】民主党大会 野党共闘優先でよいのか (2007/01/17 05:02)産経
 民主党大会は、参院選で与野党逆転を果たすことを「唯一最大の目標」と明記した平成19年度活動計画や、政権公約の土台となる「政権政策の基本方針」などを採択して閉幕した。
 小沢一郎代表は「国民に負担を強いる法案を、参院で一本たりとも通さない状況をつくらなければならない」とあいさつで強調した。
 二大政党が競い合い、政治に緊張感を与えることは必要だ。民主党には議会制民主主義がよりよく機能するための役割を果たしてもらいたい。だが、小沢民主党は、政権交代をして日本をどうするのかについて説得力ある具体像を示しているとは言い難い。
 一例は憲法改正の手続きを定める国民投票法案だ。小沢氏は記者会見で「結果として(安倍政権に)協力する形は良くないかもしれない」と慎重に対応する考えを示したが、自由党党首時代、他党に先駆けて国民投票法案を提示したのではなかったか。
 国の根幹を形作る法的整備より、社民党などとの野党共闘を優先するというのなら、政権政党たりえない。
 負担の問題もある。民主党はこれまで、基礎年金部分の財源確保のため、消費税の3%アップを打ち出していたが、「政権政策の基本方針」では据え置きとした。国民の負担増ではなく、補助金の廃止と一括交付などによって財源をまかなう考えだ。
 これに対し、党大会で地方代表が「もう少し詰めて示してほしい」と注文を付けたが、負担増をあえて打ち出していた民主党はどうなってしまったのだろう。自民党も参院選後まで消費税増税論議を封印するが、民主党は独自性を発揮できたのではないか。
 一方、小沢氏は党大会で、自身の資金管理団体が平成17年の政治資金収支報告書に事務所費約4億1500万円を計上していたことに触れ、「使途不明や他の経費との付け替えなどの不正や虚偽記載は一切ない」と述べた。その後の記者会見でも透明さを強調した。秘書の宿舎の建設費用などを事務所費に計上したとの説明であり、現行法では問題ないとされている。
 ただ、国庫からの政党助成金は合計で年間300億円以上にのぼる。政治家は政治資金の「出」についても道義的な説明責任を果たしてほしい。

1月16日(火) 納豆

 いつも食べている納豆が品薄でおかしいなと思っていたら、TVでダイエット食材として紹介されたらしい。
 しょうがないので3つ130円のを買って帰った。トイレットペーパー騒動とまでは行かないが、TVの影響は大きい。
「あるある大事典」で紹介 納豆が品薄に (2007/01/11 17:37)産経
ダイエット食材として放映
 フジテレビ系の情報番組「発掘あるある大事典II」(関西テレビ制作)が納豆をダイエット食材として放映した影響で、全国のスーパーなどで納豆が品薄になった。増産が間に合わないメーカー各社は、11日付の全国紙朝刊に「おわび」の広告を掲載し、生産態勢を強化するなど対策に追われている。
 騒動のきっかけは7日放映の「食べてヤセる!!!食材Xの新事実」。納豆をダイエット食材として、1日2パックを朝晩に分けて食べるだけで効果があると紹介、番組の出演者が2週間で数キロやせたと報じた。翌8日からスーパーなどで納豆を大量に買い求める人が相次ぎ、品薄状態になったという。
 ミツカン(愛知県半田市)には、小売店から通常の約3倍にのぼる注文が殺到。全3工場で増産態勢を敷いたが追いつかず、11日、全国紙5紙に広告を掲載した。
 広報担当者は「これまでも情報番組で紹介されると売れ行きが伸びることもあったが、今回は異例。納豆をあまり食べない関西からも引き合いが相次いでいる」と話す。
 通常の約2倍の注文が殺到している旭松食品(大阪市淀川区)は、納品先1店当たりの供給を減らし、全店に行き渡るようにするなどの対策をとった。担当者は「ありがたいというのが一番。予想を大幅に超える反応だった」。
 納豆は、仕込みや豆の発酵などで製造に3〜4日かかるとされ、増産分が店頭に並ぶまでには時間がかかる見通し。スーパーのダイエーは「12日ごろには入荷が7〜8割回復するだろう」とみている。
 ついでに納豆について注文だが、あのパック毎にちまちまと付いているタレと芥子はいらないと思うがどうか。納豆そのものはどのメーカーが作ろうと大差がない(と思う)ので差別化を図るためタレに工夫をしているものと思われる。いちいち鋏で切り出すのがじゃまくさいといつも思う。そしてその鋏にタレが付いて錆びるのだ。あのビニール袋は小さいがコストのうちだし、すぐにゴミになってしまう。醤油と芥子ぐらいは手元にあるし、自分で加減する楽しみも奪われている。付属品なしの納豆はないものか。
 (COOPの納豆はタレなしがあったが、最近見かけなくなった。世の奥様方はタレ付きがお好きらしい)

   大相撲初場所10日目

 朝青龍(寄り倒し)琴光喜
 23連敗中の琴光喜、解説の北の富士さんは「もう諦めてるんじゃないですか」、北陣さんは「打つ手無し」と仰っていた。しかし琴光喜はそれなりに考えていたと思う。やや右に回って上手をとり横綱にはまわしを取らせなかった。よしこうなったら琴光喜のものと思うが、そこからは横綱のじわじわと反撃が始まり、有利と思われる琴光喜に二の矢を出させない。
 7日目の安馬戦でも目まぐるしい攻防があったが、一瞬の隙があったのか「とったり」で安馬を下した。観ている方も何が起きたのか分からないぐらいで、気がつくと安馬の髷から背中にべっとりと土が付いていた。
 朝青龍は後半になると安定感が増しいつものように優勝モードに入ってくる。天才的としか云いようがない。

 白鵬(下手投げ)琴奨菊
 琴奨菊は昨日ライバルの稀勢の里に惜敗した。将来両雄並び立つ姿が浮かぶような一番だった。
 昨日の悔しさをバネに白鵬に臨んだろうが空回りしたように思う。さすが大関白鵬、琴奨菊の両まわしを取ってしまうと、左右に揺さぶり下手投げで下した。

 稀勢の里(寄り切り)安美錦
 文句なしの寄り切り、安美錦は何も出来なかった。2連勝で星を五分にした。残り全部勝って二桁を狙って欲しい。

 時天空(引き落とし)豊真将
 豊真将は場所毎に大きくなる感じで楽しみ。今日は追い詰めながら時天空に上手く回り込まれ左足が俵を割ってしまった。悔しい一番。

 安馬(内無双)高見盛
 安馬は先場所当たりから身体がふっくらしてきたように思う。力も増したのではないだろうか。
 高見盛は身体が柔らかいのか固いのかわからないが、今場所は好調。この一番も見応えあった。モンゴル系はスピードがある。思ってもみない安馬の「内無双」が決まった。

1月15日(月) 500円映画劇場

 最近懐かしの名画DVDが大型ホームセンターやスーパーマーケットに行ったとき並んでいるのに気がつき、ポツポツ買って10本ほどたまってしまった。
 若い頃TVの日曜洋画劇場でも放映されたかも知れないが、もうすっかり忘れてしまっているのがほとんどだ。
 今日は午後、「怒りの葡萄」を鑑賞した。1940年ジョン・フォード監督によるものでアカデミー賞もとっている。
 同監督は西部劇で有名だが、こんな社会派ドラマも残しているのだなと改めて感動した。

 DVD売り場には少ないが邦画もあった。溝口健二監督の雨月物語もあって買おうと思ったが、なぜかハングル表記になっておりあきらめた。小津安二郎監督など巨匠の作品で観たい映画はたくさんある。ちゃんと日本人の手でデジタル化して欲しいものだ。




1月13日(土) 左義長(とんど)

 早いもので正月も半ばになった。うららかなとでも云ってよいような日射しの中、近所の小学校で左義長が行われた。子供の頃、尼崎の北部では「とんど(焼き)」と云っていたが、この地(神戸市北区)にきて初めて「左義長」という言葉を聞いた。wikipediaを見ると全国色々な呼び方をしているらしい。
 正月飾りをする家も少なくなり、燃えているのはベースの笹竹のようだった。行事も11時から始まり12時半に終わってしまった。

 懐古談になってしまうが、子供の頃のそれは規模が大きく一大行事だった。近所のお寺の境内に古木が組まれる。三々五々村人が持ち寄った正月のしめ縄や門松、古いえべっさんの縁起物などが昼頃にはうずたかく積み上げられる。大勢が見守る中、消防団の人によって点火された。子供達は習字練習の反故を持ってきて燃やしたりした。そうすれば字が上手になるといわれた。子供は背が低いので炎の熱気を顔にまともに受け真っ赤になった。
 夜になって下火になると、黴だらけになったお鏡餅を金槌で割ったものを持っていって焼いた。

1月9日(火) 【山】播磨アルプス・高御位山(300m)、桶居山(248m)

 昨夜はあれこれと山サイトを眺め、播磨南部の山を歩くことにした。
 天気図は西高東低の典型的な冬型だが、関西地方の等圧線は広がっている。風も収まって来ている。
 夜明け前に目覚めたが、東の空は茜色、上空に残り星が輝いていた。どうやら日だまりハイクが出来そうだ。
 JR山陽線で加古川から姫路にかけて北側に樹木もまばらな低い山並みが見えていた。その中の一つに高御位山があった。今回は登山口近くに駅があり電車で行くことにした。
 久しぶりに通勤サラリーマン諸氏に混じって電車に乗った。

 JR曽根駅=車道歩き=豆崎登山口(9:00)〜経塚山古墳(9:20)〜156mピーク(9:40)〜鹿嶋神社分岐(10:20)〜百間岩通過〜鉄塔下(10:45)〜鷹ノ巣山(11:15)〜桶居山分岐(11:25)〜高御位山(12:05)昼食・休憩(12:35)〜桶居山分岐(13:15)〜獅子岩(13:30)〜鉄塔下(14:15)〜桶居山(15:00)〜達磨落とし岩(15:10)〜桶居山下(15:25)〜深志野登山口(16:15)=車道歩き=JR御着駅
(獅子岩、達磨落とし岩 という名前は公称ではなく、私の印象)

 一般的なコースは馬蹄形になった峰を東たは西の端から登るのが多いらしいが、少し欲張って、高御位山を往復したあと桶居山へ向かうコースにした。高御位山の頂上には神社があり、そこで昼食にした。しんどければそこで降りようとも思っていたが、弁当を食べ休憩し近くにいる人たちと話をしているうち元気も回復し初期の計画通り引き返し桶居山へ向かった。

 鷹ノ巣山から東に少し下りた所に桶居山への分岐がある。そこから北に行くにつれても周囲は同じような石山が累々と横たわっており、植林された緑の山々を見慣れてきた自分には、こんな風景もあるのかと面白かった。また向かって行く山、通過した山々がいつも見渡せるのが楽しい。

 途中、年輩の夫婦に追いついた。「まぁ、めずらしい!」と仰っていた。たしかに行き交う人もすっかり少なくなっていた。お気に入りの山なのだろう、何度か来られているという。急斜面では先に降りたご主人が下から奥さんに指示を出している麗しい様子を拝見した。夫婦は桶居山には登らず途中から姫路別所に抜けるコースを行くとのことだった。

 簡素な円錐状の桶居山に近づくにつれ頂上に至る40度を超えそうな急斜面が露わになってきた。高度差7、80mはあるだろうか。
 その山からくる同年輩の人にコル付近で行き交わした。
 「山の向こう側もあんな調子ですか」と至極あたりまえのこと聞いてしまった。
 「ええ、そうですね、はじめてですか、でも、どうってことありません・・・気を付けて」とにこやかな返事。
 午後の時間帯に向こうから来るというのは近隣の人かも知れない。不安そうな表情が出ていたに違いない私にそう答えると去っていった。

 来てしまったものは致し方ない。あまり下を見ないように慎重に登り始めた。
 20分あまりだが頂上に立ったときはホッとした。頂上から南側遙か下の尾根を降りていく夫婦の姿が小さく見えた。

 北側は大きな岩の間を降りていく感じで比較的楽な気分。途中には崩壊し残った達磨落としのような大きな岩があった。
 深志野登山口まではいくつもの小さなアップダウンがありなかなか下に降ろしてくれない。太陽は大分傾き遠くに見える海が光り始めた。
 飼い犬の声や自動車の音、列車の音が近づき最後の急斜面になった。下の風景と地図で御着駅の方向を確認した。

 降りたところには登山口の標識もなく、路地の奧と云ったところだった。

1月7日(日) 初雪

 昨日6日二十四節気の小寒だった。今朝8時頃雪が降り始め、わずか10数分で雪化粧。

 

正午過ぎ、西の方から急速に明るくなり、早くも雪が溶け始めた。

 

14時を過ぎて日が射してきた。雪はすっかり跡形もなく消えた。幻のような数時間だった。

1月6日(土) チキンラーメン

 即席麺の元祖、安藤百福さんが亡くなられた。
日清食品創業者の安藤百福氏が死去 「即席めん」生みの親 (2007/01/06 01:06)産経
 即席めん(インスタントラーメン)の生みの親として知られ、日清食品創業者会長の安藤百福(あんどう・ももふく)氏が5日、急性心筋梗塞(こうそく)のため大阪府池田市の病院で死去した。96歳。通夜・告別式は近親者のみで営む予定。社葬の日程は未定。喪主は妻、仁子(まさこ)さん。
 戦前、故郷の台湾から大阪に出て繊維問屋を営んだが、敗戦で無一文に。戦後の闇市で屋台に群がる人々を見て食品事業を志し、昭和33年、世界初の即席めん「チキンラーメン」を世に送り出した。これが大ヒットして“ラーメン文化”の基礎を築いた。46年には「カップヌードル」、その後インスタントの焼きそば、うどんなどを相次ぎ発売。即席めんを「国民食」に定着させた。
 60年に二男の宏基氏にバトンタッチし、会長に。その後長期にわたり増収増益を記録、日清食品を無借金経営の優良企業に育て上げた。昭和39年から平成元年まで日本即席食品工業協会理事長。58年紺綬褒章を受章。
 「昭和33年(1958年)8月25日に販売開始。これを記念して8月25日は『チキンラーメン誕生の日』とされている。チキンラーメンの発売により、それまでの「支那そば」「中華そば」にかわり、「ラーメン」という呼び名が全国的に広まった。」(Wikipedia)

 チキンラーメンのデザインは今も変わらずスーパーに並んでおり、50年近くのロングセラーだ。その後各社から発売され食文化の一分野を形成し、宇宙食にもなるぐらいだ。日清食品が無借金経営というのもすごいことだ。

 自分の昼食も、便利な即席麺を利用することが多い。栄養が偏らないよう野菜を追加し、粉末スープは塩分を加減して2/3程度にしている。

1月4日(木) 【山】三田市 羽束山(524m)

 初歩きに出かけた。曇りがちだがまずまずの天気だった。
 12月23日に登った大船山の南に、らくだの瘤のように見えていた山である。
 頂上には羽束神社や観音堂があり、初詣を兼ねて登る人たちも見受けられた。毎日登山をする人もいるのか、登山口には竹の杖が沢山置かれていた。
 羽束山の峰続き、すぐ南には甚五郎山、北側には宰相ヶ岳(500.6m)があり、ついでに足を延ばした。

 香下寺登山口(10:25)ー六丁峠(10:40)ー甚五郎山・往復ー六丁峠(10:55)ー(11:10)羽束山頂上(11:35)ー木器への分岐(11:50)ー(12:05)宰相ヶ岳頂上、昼食(12:35)ー木器への分岐ー香下寺登山口(13:10)

 帰路、神戸市の水源にもなっている千刈水源池に寄り羽束山全景を撮った。(写真)

 帰宅:14:50  バイク走行:76km

1月2日(火) 向こうではブタ年

 「日本の常識は世界の非常識」などと云われるが、日本では亥年だが韓国ではブタ年だそうだ。恥ずかしながら知らなかった。
【ソウルからヨボセヨ】黄金のブタ年 (2006/12/30 08:19)産経新聞
 来年の干支(えと)は「亥」で日本ではイノシシだが韓国ではブタである。イノシシが家畜化してブタになったといわれるから両者は親戚(しんせき)だ。韓国語ではブタは「テジ」でイノシシは「メッテジ」という。「メッ」は韓国の古語で「やま(山)」を意味する。だから野生のイノシシは「山ブタ」ということになる。
 干支の「亥」が日本でイノシシになったのは“猪突猛進”でも分かるように、あの野性的な勢いに好感してのことかもしれない。一方、ブタは多産で家畜として財産になったから、韓国では福を呼ぶ縁起のいい動物になっている。貯金箱も昔からブタのかたちをしている。だから来年、年男や年女になる亥年生まれは、日本では“元気”いっぱいというイメージになるが、韓国では“富”や“福”のイメージだ。
 ところで韓国では来年の「ブタ年」は600年に一度の「黄金のブタ年」といわれ、この年生まれは“金運”、“財運”に恵まれるとされている。そこで来年はベビーブームが予想され、妊婦は年末出産を遅らせたり、赤ちゃん業界は需要拡大に期待を膨らませたりしている。日本以上の出産率低下に困っていた政府も一息つきそうだとか。ソウルの街には黄金色のブタ人形があふれている。(黒田勝弘)
 中国でもそうらしく、南寧(南中国の広西チュアン自治区2006年12月30日)の動物園のアトラクションでブタのダイビング公演があったとの写真(新華社)があった。

 新華社のニュースでは、サダム・フセイン処刑直後の生々しい写真も掲載されていた。また中国のインターネット人口が1.32億人に達したとも報じている。ただし言論規制は強力とのこと。
中国:ネット利用者数1・32億人、強化される当局の監視・統制 (06/12/31 11:42)
【大紀元日本12月31日】中国のインターネット利用者は昨年より30%増加し、2006年末には1・32億人に達し、米国に次いで世界2位を占めている。その内、ブロードバンド利用戸数は5200万戸に達し、中国国内のウエブサイトは約80万サイトに上るという。中国では、ネット利用による産業の振興や教育分野での活用が進められる一方で、中国共産党(中共)当局は、体制批判につながる言論の規制を強化している。
 英BBCによると、中国におけるインターネットは単一の業種から社会と大衆に深く溶け込んだものになったとし、ネット利用者は年々増加しており、2004年の利用者数は9400万人に対し、2005年の上半期だけで、1億人を突破したという。
 中国情報産業部の王旭東・部長によると、政府は現在農村へ各種情報伝播を推進しており、2007年には中国東部地区のブロードバンドが郷・鎮・村まで広げ、東部と中部地区の行政村町もインターネットが利用できるように進めているという。
 インターネットの迅速な発展は実際、ネット・ビジネス、広告および旅行業の繁栄を促した。しかし、中国共産党(中共)当局は、人民に対してインターネットの利用によるビジネス運行と教育を推進している一方で、インターネットに掲載する内容に対して、厳しく統制しており、共産党統治を批判するまたは共産党にとって脅威であると思われる内容はすべて厳しい審査を受けるのが現状だ。実際、国際的なIT企業と協力し、それらのソフトウェアを購入して巨大な監視・統制システムを作り上げる金盾プロジェクト(Golden Shield Project)を進めており、2008年に完成するという。
 国境なき記者団は、中共がインターネットの言論自由を抑圧していると非難したが、これに対して、中共当局は否認している。

1月1日(月) 年の始め

 年の始めの 例(ためし)とて

終わりなきの世の めでたさを

松竹たてて 門ごとに

祝う今日こそ 楽しけれ

----------------------------------------------------

 昨夜は遅かったにもかかわらず暗いうちに目が覚めた。いつもバイクで前を通るだけの地元の神社にお参りすることを思いつく。5時半起床。

 この地に住んで20年以上経ったが杉尾神社にお参りするのは初めてだ。旧小部村の鎮守様のようだ。歩いてみると鈴蘭台から神社まで緩やかな丘を越えているのがわかる。2.5K早足で20分ほどかかり、冷え込んだ朝だが到着する頃には汗ばむくらいだった。

 境内は明々と電灯がともされ、傍らにテントが張ってあり白布を張った机が用意され、日中には此処で縁起物が配られるのかも知れない。2,3人すでに参拝者がいた。昨年1年の無病息災を感謝し、今年一年の家内安全、健康、平和を祈念する。

 帰路につく頃、東の菊水山の後ろが明るくなってきた。初日の出はあいにく曇っていた。
 晦日に買っておいた一人分のお節と雑煮で簡素な朝祝いをする。8時半を過ぎて日が射してきた。室温も16度まであがり暖かい穏やかな新年の幕開けとなった。