落葉松亭・表紙へ 旧・山歩記へ / (2005年7月〜8月)

落葉松亭日記(2005年3月〜6月)


6月30日 今年も半分過ぎた

 早いもので6月も今日で終わり。梅雨は何処にいったのか。
落葉松亭は落葉松林の中の庵ではなく、古い公団仕様の5階だ。今日の室温は32度をだった。最上階なので天井が熱せられ夜中まで暑い。しかし、クーラーが嫌いなので窓を開け放ち風を頼りにしている。独りの気楽さで涼しい格好(古典的クール・ビズ)で暮らしている。仕事(ソフト開発)は縮小モードで、細々とやっている。 これから盛夏に向かうが、それでも冬よりは好きだ。

談合

NHKニュースより
道路公団が発注した鋼鉄製の橋の工事をめぐってメーカー各社が談合を繰り返していたもので、東京高検は29日、道路公団の本社など30か所を独占禁止法違反容疑で捜索しました。このうち道路公団の捜索は30日午前3時半ごろまで、14時間以上にわたって行われ、ダンボールおよそ350箱分の資料が押収されました。これまでの調べによりますと、談合は横河ブリッジに天下りしていた公団の元理事を中心に行われ、元理事らがどの会社が工事を受注するかを割りふっていました。また、公団からメーカーに天下ったOBたちが、公団の現役職員からまだ公表されていない工事の発注情報を聞き出したり、予定価格を確認したりしていたということです。これまでの調べに対して公団OBらは「現役職員と頻繁に接触して、公表されていない工事の情報を入手した」などと供述しているということです。東京高検は、公団のOBらから引き続き事情を聴くとともに、今後、現役の幹部からも事情を聴いて、談合に道路公団本体がかかわっていなかったか、解明することにしています。

公団OBの暗躍で受注価格のつり上げが行われていたらしい。
OBだから社会的地位も申し分ないだろうし、経済的にも恵まれた暮らしだと思うがナゼ? 
晩節を汚し、家族や先祖に申し訳ないだろうと思うが「欲」にとりつかれるとこうなるのか。

6月28日 少子化

 先日NHKで「日本のこれから・人口減少社会」として、公開討論会が放送された。 女性たちの意見として「子供を産みづらい状況」というのが多い。
「仕事を持っているので保育園が必要で、子供を産むためには社会的な支援が必要」
「子供を産み育てる経済的な余裕がない」
なかには「仕事がおもしろく、結婚や育児に興味がない」という人もいる。
男の私でも育児ほど創造的かつ面白く、やりがいのある仕事はないと思うのだが。
そもそも専業主婦が社会参加をしていないように見たりする風潮が蔓延しているのがおかしい。戦後の教育がゆがんできているのではないか。

私自身は4人兄弟で、兄と私は戦時中、残り2人は戦後復興期に生まれた。親は「赤貧洗うがごとし」といっていた。
私も2児にめぐまれたが、家内は子供が小学生の間は家に居てやりたいというので保育園の世話になっていない。このことについては私も大賛成だった。子供が学校から帰ってきて親がいないというのはいかにも侘びしい。しかし安月給だがなんとかやれた。私は、保育園は母子家庭など特殊な状況で利用するところと思っていた。

こういうことを言うと「今は昔とちがうのよ」と一蹴されるのだろう。
しかし、中には「結婚や育児は自然の摂理に従うことよ」という若い女性もいて救われた。我が息子たちがこういう女性に巡り会わんことを願う。
2日目の放送は、ドラマからの導入だったが、なんだか息苦しくなり見るのをやめてしまった。

人口の減少の問題は、年齢構成に起因する年金財政の問題らしい。団塊の世代が定年になり年金世代になると破綻が確実と言われている。
昭和初年の人口は6000万人だから今の約半分だった。ずいぶん増えている。
人口密度で、日本は世界有数だ。人口を無理に増やさずともいいのではないか。減っていいこともたくさんあるはずだ。 将来はもっとゆったり暮らしてもらいたいと思う。
人口が減るのと、国力が落ちるのとは別と思うのだが。

「団塊の世代が通ったあとは草木も生えぬ」と言われぬよう、人口減を前提とした、何とか世代間格差をなくす政策を期待している。

6月24日 今朝の夢

 父がベランダの手すりに寄りかかりながらこちらを見ていた。いつものように私が引き戸を開けてゴミを捨てようとしていたのを待っていたらしい。

 「どうや、久しぶりやな、元気にしているか」
 「ああ、お父ちゃん。さぁ中に入って。まあまあ元気にしてるよ。昨日な、○○の就職が内定してな、やれやれと思ってたところ」
 「ほぉ、そりゃ、よかったやないか」

 あれ、おかしいな。これは夢かな。目を開けると夜が明けていなかった。昨夜長男が就職内定の知らせをくれたことが、夢の中に亡父を呼んでくれたらしい。

6月22日 日韓首脳会談

 相変わらず盧武鉉大統領は「靖国問題は日韓の歴史問題の核心だ」として靖国参拝を控えるよう求めたという。双方の溝は埋まらないものの、双方の歴史教科書の記述内容を検証する委員会の設置や、北朝鮮に対する6ヶ国協議復帰を働きかけることなどで一致したとのこと。変に妥協することなく終わったのはよい。なにかにつけ日本の歴史認識を云々するが、日清戦争から以降日本の韓国との関わりは非難されるより感謝されていいぐらいのものだ。21日の「クローズアップ現代」では第二次大戦終戦後も経済協力の形で韓国の復興に協力してきたことが報じられていた。韓国の歴史認識とはいったいどのようなものなのか。

6月18日 高校生音楽会

 おととい次男(高2)から音楽会案内のメールが来た。今日はその演奏会を聴きにいった。
会場は歩いて20分ほど近くのホールで夕方6時開演である。先日とは違い弦楽部主体のプログラムだった。

1.ヘンデル:組曲「水上の音楽」第1組曲
2.バリー:イギリス組曲
3.ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」
4.ボロディン:歌劇・イーゴリ公より「ダッタン人の踊り」
5.チャイコフスキー:序曲「1812年」
アンコールにモーツアルトの「ディベルティメント」

 以上のようにバロックあり交響曲ありで盛りだくさんだ。
 弦楽合奏はさすがにプロのように一糸乱れぬ演奏とはいかないのだが、指揮をする先生や演奏の生徒たちの音楽に対する熱意が伝わってくる。ほとんどが弦楽器を始めて1〜2年の部員だが、よくやるなぁと感心する。

 3年生は今日の演奏会が最後になり受験勉強に専念するということだ。長い人生でみると2年3ヶ月のほんの短い部活だが音楽に取り組んで幸せだったという挨拶があり、会場から大きな拍手があった。

6月10日 サツキ

 近所の先輩にいただいたサツキが咲き出した。

 サツキの懐かしくも苦い思い出。
 結婚したとき、亡父が十数鉢のサツキをくれた。夫婦の共通のたのしみにとの思いやりだったかもしれない。しかし公団仕様の狭いベランダに置いたが場所をとられ家人には不評だった。朝は朝星、夜は夜星のやや遠い通勤で私の水遣りはおろそかになり、サツキは徐々に衰えとうとう全部枯れてしまった。家人の協力もあてにならなかった。そのことを言いたかったのかも。

 大事に育てていればさらに二十数年の年輪を加えていたのだが。

6月07日 なにかと気になる

 6月7日NHKニュースより 「 小泉総理大臣と河野衆議院議長が会談し、河野議長が「靖国神社への参拝は慎重の上にも慎重に判断すべきだ」と述べ、参拝をとりやめるよう促したのに対し、小泉総理大臣は「靖国参拝問題については、中国や韓国側の理解は得られていると思っている」と答えました。 」

 中韓が外交カードのようにして小泉首相の「靖国参拝」の取りやめを言いつのっているが、靖国参拝問題は外交カードになるほどのものでないということを中韓に知らしめる必要があると思う。本質は日本の国連常任理事国入り阻止ではないのか。

 仮にやめたとして、尖閣諸島、竹島問題が解決するとは思えない。また彼の国の反日教育、指導部に都合の良い歴史教育が改められることはない。中国に対してはこれまで日本は十数回以上謝罪が行われたと欧米のマスコミも認めている。3兆3千億円のODAも行ってきた。中国はODAとは切りはなしてほしいといったが、そんなご都合主義がまかりとおるのか。そしてせっせと軍備を増強している。
極端な話、小泉首相が靖国参拝を行わなかったとしたらこれらの問題は起きなかったか。そうでないことはあきらかだ。日本は中国の反日教育に関して明確な抗議すらしていないことの方が重大だ。

 日本では一国の首相とて個人の信教の自由は保障されている。参拝記帳に個人名で書こうが役職名を書こうが自由だ。本人はそれを公約とし、国民は参拝時に役職名を書くことを期待して選んだ人も多数いるのではないか。

 先日の日曜日「報道2001」で靖国神社の宮司さんがA級戦犯の分祀は不可能と仰っていた。実体のない魂を分けて取り除くなんて出来ないのはど素人でもわかる。またこうも仰っていた。「靖国とは別の施設をつくって誰がお参りするでしょうか」。
仮に作ったとしても、それも国策で建造した宗教施設だし、そこに魂を納めるときには腑分けするなどできないはずだ。

 河野洋平氏がかつての重鎮たちを代表して小泉総理と会談したそうだが、
河野氏はかつて官房長官を勤めていたときの談話として、従軍慰安婦について政府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表。  この河野談話によって日本政府は慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めてしまったことになったという。
 この背景には、昭和58年吉田清治の著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」をもとに朝日新聞が平成3年から報道した記事があったという。後に吉田証言は全くの嘘であることが証明されて、1996年に本人も「全てフィクションである」と認めたということなのだが、以来韓国の反日感情は大いに盛り上がり陽に陰に今日に至っている。
 その河野氏が今回小泉首相に参拝はやめよと申し入れるとは・・・。

 マスコミが靖国参拝問題を取り上げるたびに、中韓に日本政府の分断ぶりを知らしめているようで、もうたいがいにしとけよと思うのだが。

6月06日 藍那古道

 梅雨入りを前に、藍那古道を歩いてみた。その昔義経が三草山の戦に勝利しこの道を通って鵯越に向かったと言われてる。神鉄藍那駅を降り、義経とは逆方向に丹生方面に歩いた。コンクリートの林道をたどっていくと田植えの終わった田んぼが所々開けていた。むっとするような草いきれと土の匂いが懐かしい。ウグイスとホトトギスの鳴き声がにぎやかにこだましている。やがてコンクリートの道は途絶え山道に分け入る。羽虫が顔の前を飛び交うので汗を拭いた手ぬぐいで払いながら歩く。ウィークデーなので行き交う人はないがよく踏み込まれた道だ。峠を越える頃、樹間から丹生連山が見えてきた。平地から見るとさほど大きな山ではないが、ここから見ると立ちはだかるように大きく見える。

 しばらく行くと、やや開けた所に出た。一服したいところだが、残念なことに廃車が捨ててあり風流心がふっとんだ。落ち葉がエンジンルームや車内にまで積もっている。ボディーの錆ぐあいから2,3年経っているようだ。それにしてもよくこんな所まで運び上げたものとあきれる。車を買うくらいだから常識を持った人間だと思うが・・・

 道は下りになり軽自動車ぐらいなら通れる広さになった。下に田んぼがあるのか人声がしてきた。

 日陰の道を抜けるといきなり丹生の里に出た。代掻きのすんだ田んぼの水面に丹生山が映っている。


6月05日 高校生ブラスバンド

 次男(高2)が兵庫高校のブラスバンドに入っている。今日はその定期演奏会があり聴きにいった。曲目は以下のようなものだった。
(1)ハンティンドン・セレブレーション
(2)ノアの方舟
(3)ミス・サイゴン
(4)管弦楽:歌劇「イーゴリ公」よりダッタン人の踊り(兵庫高校は弦楽部もある)
(5)合唱:中田喜直「こどものうた」より6曲
(6)呪文と踊り
(7)ダフニスとクロエ
ほかに創部50周年を記念してOBのプロの演奏など。

40年余り前、私が高校生のころのブラバンのレパートリといえば、スーザの曲とかスポーツショウ行進曲などだった。
今時の高校生は上述のようなレベルの高いプログラムを1つのクラブだけで2時間余り聴かせてくれた。出来は素晴らしかった。
兵庫高校は県下でもよく入賞し人気も高く、客席はほぼ満員だ。 ホールを借りるため企画やプログラムの広告取りも自分たちでやり費用を捻出している。

先生の指導力もすごいが生徒もよく応えて練習していると感心している。中間試験や期末試験以外は朝練も含めて音楽漬けの日々だといっていた。

6月04日 韓国違法漁船

 6/3読売新聞より・・
 「長崎県・対馬(対馬市)沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、対馬海上保安部の立ち入り検査を受けた韓国のアナゴ漁船「シンプン号」が海上保安官2人を乗せて逃走した事件で、対馬海保は2日、漁船の船長(36)が漁業法違反(立ち入り検査忌避)容疑を認める書類と、50万円の担保金を支払う保証書を提出したことから、同日午後5時半ごろ船長を釈放し、漁船を韓国側に引き渡した。
 日韓のにらみ合いが続いた事態は、5月31日午後11時半の韓国漁船発見以来、42時間ぶりに収束に向かった。」


 海上保安部の決死の追跡の模様が放映された。それにひきかえ、細田官房長官の談話は何とも他人事のようで政府の見解はこんなものかとあきれる。おまけにノーネクタイがよけいに印象を悪くした。

6月01日 ざんざか踊り

 但馬地方で有名なざんざか踊りの写真を掲載させていただいた。
 当時、なにか写真の題材はないかなと「兵庫県の歴史」という本をめくっていて見つけた。尼崎からバイクにカメラを積んで出かけた。大屋町若杉はもう少しで鳥取県との県境がある戸倉峠が近い山奥であった。清流と緑したたる道をたどっていった。うっそうとした杉木立の境内で行われていた。他の2つのざんざか踊りとは規模は小さかったが、衣装は一番華やかであった。写真を撮っていると、「おぅ、写真を撮りに来てくれたんか、まぁ一杯飲めや」と湯飲み茶碗になみなみと酒をついでさしだしてくれたおじさんがいた。どこの馬の骨だか分からない若造の私に声をかけてくれて、うれしかったことを覚えている。

 あれから30年以上経った今は、次世代の人たちが伝統を守って続けているのだろう。

5月26日 デジカメ修理

 撮りたいものがあってデジカメをとりだしたが、動作しなかった。「やはり故障か・・」諦めてサービスセンターに発送した。折り返し修理受付のFAXがきて、1週間程度時間をくださいとのことであった。
 長年愛用してきたフィルムカメラと同じメーカーのものにしていたのだが、購入早々の故障は裏切られたような感じであった。手ぶれ防止や自動クリーニングなどの機能がないシンプルなものを選んだつもりだった。複雑な電子回路や部品の品質が総合的にうまく組み込まれてはじめて製品になるには歩留まりも落ち、当たりはずれもあるのかも知れない。

 「もう、ものに執着するのはやめろ」と自分にいい聞かせて待つことにした。

5月21日 父の俳句

 亡父は長く俳句をやっており句集を書き残してくれた。私が家を出てから対話することが少なかったが、父親の考え方や生活ぶりを知ることができ、高齢化してきている自分に大変参考になっている。俳句が戦中戦後の過酷な体験の中で支えになったということを知り趣味を持つことは大事だなとあらためて思っている。父の俳句の上手下手は分からない。歳のせいか、最近無性に父が恋しくなるときがあるが、そんなとき句集を開き対話している。

 従軍中の句集には、生前私に「ここに吊り橋のイラストを入れたいんだが、描いてくれないか」と言った箇所がある。ジャングルに行ったこともないし、画才のない私には無理な話であった。親子の対話で「あーだ、こーだ」と言いながら描いてやればよかったかなぁと今は思うが後の祭りである。それよりも稚拙な私の画が読み手の想像を妨げるようになっては申し訳ないと思う。

 鎮魂の句集、序文や選句もすでに出来ており、いずれ公開するつもりだったのかも知れません。生きていれば喜んでくれるだろうと思いホームページに掲載させていただきました。
 たくさんありますので、少しずつでもお読みいただければ幸いです。

5月17日 映像記憶

 自分は一度撮った写真は忘れないと自負していたのだが、ホームページに展示するためネガを整理していると、「おやっ、こんな写真も撮っていたんだなぁ」「いったいこれはどこで写しんたんだろうか」というのがしばしばある。現像したときに日付や撮影場所を書いておくのだが、つい書き忘れているのがある。20、30年も経つとやはりなぁ・・・と思い知らされた。

5月11日 不安定なデジカメ

 午後から久しぶりに高山植物園に行ってみようと思い、デジカメ(1眼レフ)を準備した。試しに近くの鉢植えを写そうとしたがシャッターが降りない。物覚えが悪くなり、もう一度マニュアルを見直す。操作に間違いはない。「おかしいなぁ、なんで」と、何度やっても同じだ。マニュアル巻末の「困ったときは」を声を出して読む。取り扱いには問題なさそうだ。故障なのか、取り扱いが間違っているのか分からず、サービスセンターにきくことにする。 一発でつながった。これこれしかじかなのですが、というと受付嬢が専門担当に問い合わせている。ややあって、「すみませんが購入時の箱にいれて宅急便で送ってくれませんか」という。「えーっ、・・そうですか、わかりました」といって電話を切る。ということは故障らしい。せっかく出かける気になっていたのにがっくりだ。

 「購入して1ヶ月も経たないうちにもうこれかよ」ぶつぶつ言いながら、メモリーを抜き、電池を抜き、箱を準備する。あきらめきれずにもう一度マニュアルを眺めていると、「静電気などの影響で、まれにカメラが正しい動作をしなくなることがあります。このような場合には、いったん電池を入れ直してみてください」という一文が目に入った。ひょっとして・・・、送る前にもう一度やってみよう。

 メモリ、電池を入れ直し、試してみた。なんと、シャッターが降りた。
「おっ、いけるやないか」と思わず叫んだ。 何枚か撮ってみた。たまに1回のボタン押下でシャッターが2回切れることがあり、やや不安定だ。ま、これなら撮れないことはなさそうと思い出かけることにした。

 午後から薄雲が晴れ、真っ青な空が広がってきた。気温はやや下がり涼しい。念のためフィルムカメラもリュックに入れてバイクにまたがった。
 高山植物園は、まぶしいほどの新緑が溢れている。来て良かった。ウィークデーなので三々五々ゆったりと園内を散歩する人たちがいる。さっそくシャクナゲや躑躅、草花をカメラにおさめた。シャッターも問題なく降りた。

 いったい何の故障だったのか・・・ ようわからんなぁ

5月10日 アンスリウム

 還暦祝いに子供たちがくれたアンスリウムの鉢植えが大きくなり2つに株分けしていた。狭いので一方の鉢を寒い部屋に放置しておいたので弱ってしまったが、居間に置き換え枯れた葉を根本で剪定し様子をみていた。暖かくなりようやく新しい芽がでてきた。芽が出だすと日々大きくなるのがわかる。芽は最初何になるのか、つまり花か葉か、それとも根になるのかわからない。しばらく日がたつと花の場合は赤みがさしてくる。根の場合は下に向かってのびてゆく。  花になるか葉になるかのバランスは絶妙に計算されているようだ。細胞分裂するときに決定されるのだろうか。「そんなこと当たり前」と片づけられない精巧なしくみだ。植物が誰に指示されるわけでなく、季節にあわせて花を咲かせ、秋には葉を落として成長してゆく。植物だけでなく生きとし生けるものすべてが何らかの法則で、秩序で生き死にを繰り返してゆく仕組みを作った造物主の存在があるような気がする。

5月5日 子供の日

 黄金週間も好天が続き終盤になった。故郷や旅行先から帰る人々でターミナルや高速道路が混雑するだろう。
 当方では長男は社会人、次男も高校生になりとりたてて何もしないが、思い出せば私が子供の頃は端午の節句で五月人形を飾ってもらったりした。チマキや柏餅も楽しみだった。祭日でもあり、「○○、日の丸出しときや」と言われ何の抵抗もなく表に掲げたりした。いつからか、世の中が忙しくなり(と言い訳ではないが)五月人形も日の丸も出さなくなった。人形よりもTVゲームだったし、律儀に日の丸を掲げるのがなんとなくはばかられる。まぁそれで幸せならなにも言うことはないか。

 4月下旬から中国では反日デモが続き、抗日54運動記念日が懸念されたが抑えこまれ沈静化した。沈静化したらしたで中国政府の言論統制はすごいなと思う。いや不法デモが取り締まられたと言わなければならないだろう。一方韓国では1960〜80年代の軍人政権による人権弾圧などの真相究明を目的とした「真実、和解のための過去史整理基本法案」が可決したという。これによって抗日運動家の名誉を図るのだという。また新たな抗日運動が起きるのではと心配される。日中、日韓の統一した歴史見解など不可能と思える。じゃぁ貴国の歴史教科書はどんなですかと言い出したらきりがない。やはり未来志向にゆくべきだと思う。日本は反省がたりないといわれるが、靖国神社参拝さえやめれば反省したと理解されるならこんな簡単なことはないように思われる。首相が折にふれ言っている「参拝で不戦の誓いを新たにしている」という趣旨がいっこうに理解されていない。私などは閣僚が参拝をやめたら歯止めがなくなり、またアブナイ方向にゆくのではないかと思うのだが・・・

 ノンポリの典型のような私が親になったばかりに次世代の行方が気がかりになり、いろいろ、とりとめないことを思う日であった。

4月29日 みどりの日

 4月としては記録的な暑さとなり各地で30度を超えた。ゴールデンウィークがスタートした。お決まりのようにTVは空港や高速道路の混雑ぶりを映し出した。大惨事のあったばかり、無事故を祈る。
 窓から見える山々はまさに「山笑う」で、様々な濃度の新緑がもくもくとわき上がっている。カメラを持って出かけたい気もするが、連休中の賑わいに疲れそうで控えた。インターネットでシニア世代のホームページを見て回る。スケッチや写真のうまい人がたくさんおられ、それぞれ自分のペースで楽しんでいる。
 午後、古写真の整理をする。

4月26日 列車事故

 昨日(25日)JR福知山線尼崎付近で大惨事が起きた。車両が脱線、マンションに激突し原型をとどめぬほど大破した。実家近くでもあるし、阪神大震災の時は神戸の自宅から三田経由で尼崎まで通勤に利用していたので、「えっ、あそこで、どうして・・・」と言葉がでなかった。一瞬にして命を絶たれた犠牲者の無念さ、遺族の怒りと悲しみ、負傷者の悔しさはどんなだろう。
 大事故が起きると「もう二度とこのようなことがないように対処する」という言葉が繰り返されるがむなしい。飛行機が許可を得ずに離陸しようとしたり、遊戯施設の転落事故、回転扉に頭を挟まれる事故など、安全意識や危険予知能力が低下してきているような気がする。自身も気を付けねばと思った。

4月21日 カレイの煮付け

 夕食の買い出しにスーパーにいった。何にすべーか・・・
こぶりのカレイがあった。そういえば昨日「ガッテン」でカレイをやってたな。「これだ!」きれいに処理して背中に切り身までいれてある。1品で400円はちと高いが「たまには旬のものを食わんとなぁ」と自分に言い聞かせる。
パソコンで「ガッテン」情報をプリントアウトし、早速とりかかる。調味料の酒はないからウイスキーを薄めて代用する。砂糖もみりんにする。フライパンに調味料を入れカレイを寝かせて落としぶたをして煮た。強火で7分、余熱で5分・・・完成した。
簡単、しかも味は「最高」。ひとつレパートリが増えた。ありがとう「ガッテン」。

4月17日 管理組合新年度

 すっかり春らしい陽気になった。桜も散りはじめた。
居住している団地管理組合の総会があった。200所帯あるが出席者は40名ほどでほかは委任している。 私にも輪番制で理事がまわってきた。10年に一度回ってくるらしい。役は広報ということになった。 いままで無関心であったが、そうもいかなくなりメモをとった。 いろいろと問題点が提起された。やはり日本社会の高齢化がここにもあった。
(1)理事の輪番制では今後高齢化が進み対応できない人が出てきそう
(2)住宅設備の老朽化。築40年近くで建物自体は後50年もちそうだが、給排水設備に寿命がきているらしい。共用部分、各戸の部分を更新するとなると相当な費用になる。
(3)これらの問題を任期1年では解決できないので別途検討委員会を設定しなければならないだろう
等々である。
今年はなにか安閑としていられなさそうだ。

4月9日 散歩

 街の周辺部は立派な住宅街が連なり、それを抜けると雑木林がある。 丘陵地帯には田畑が広がり、以前と違って貸し農園が多くなった。のんびりと農作業をしている人々が見受けられる。小道を行くと向こうから年配の人がやってきた。「きょうは暑いくらいですなぁ」と声をかけてくれた。他愛ないことをしゃべりながらあるく。久しく人と口をきいていないので何となく気が晴れる。しばらくゆくと分かれ道になった。「じゃぁ、また」といって私は古くからの村里があるほうに坂を下ってゆくことにした。

 途中いやなものを目にしてしまった。道の片側が崖になっている。谷底をみると廃バイクや冷蔵庫、TV、家具などが散乱している。エンジンオイルもフロンガスも未処理だろう。いつかTVで京都嵐山の清滝川付近で廃棄物が山となっているのが映し出されていたが、ここも全く同じ状況になりつつあった。道が簡易舗装され自動車が入れると人目に付かない山や雑木林が格好の廃棄場所になってしまう。

 物は豊かになれど、心貧しき世の中 を見た思いだった。

3月26日 シボレー・コルベット

yomiuri-onlineに@carsというコーナーがある。新しい車の試乗記事があり、シボレー・コルベットについて載っていた。1953年代から歴史あるスポーツカーである。この記事を眺めていてTVドラマ「ルート66」を思い出した。マーチン・ミルナー(声:愛川欣也)、ジョージ・マハリス(声:納屋悟郎)が演じる二人の若者が米国横断道路66号線に沿って旅する社会派ドラマだった。その時使われた車がシボレー・コルベットだ。エンディングテーマにはナット・キング・コールの「ルート66」が流れていた。 一時的に企業で働いたり、今で言うホームステイしたりしていろいろな人に巡り会い人生を学んでいくといった内容であったと思う。モノクロの落ち着いた画面で、今このようなタイプのドラマは少ないのではないかと思う。すでに高速道路が発達し車社会の米国の風景をただただ憧れをもって毎週楽しみに見たことを覚えている。

3月20日 彼岸

 妙見山本瀧寺に父の墓参りをする。今年は7回忌にあたる。妙見口駅前から本瀧寺マイクロバスが連れていってくれた。遺骨は寺内の妙見廟にある。扉を開け線香をたいて、自身や家族について報告と無病息災のお礼をし、母の骨折治癒と家内安全をお願いした。午後1時から法要が始まった。10人の僧侶が読経した。妙見宗の信者が多いらしく経を唱和する人が多い。私のように経を知らぬものはなんだか恥ずかしい気もする。じっと聞き入る。中世の宗教音楽のようにも聞こえる。約1時間で法要は終わった。帰りもマイクロバスが妙見口まで送ってくれた。

 帰宅してTVをつけると、福岡に強い地震があったと報じていた。100年以上も地震とは縁のない地域であったという。長いスパンで見れば我々が生息する地面は寒天のようなものなのか。

3月16日 PCに遊ばれる

 ようやく暖かくなった。
 が、WindowsPCの調子が突然悪くなる。スパイウェアがどうのこうのというメッセージが出、コントロールできなくなる。OSの修復をやってみたが治らず、結局OSの再インストールを余儀なくされる。なにかのバチが当たったのかも知れない。
 再インストール後の作業がまたいろいろある。
 (1)各種ドライバのインストール
 (2)サービスパックの更新
 (3)ネットワークの再設定
 (4)インストール済みのプログラムのライセンスの取り直し
 (5)画面表示再設定
 等々、所要時間は5,6時間にもなる。それでも以前の状態には完全には戻らない。
年に1,2回は見舞われ、PCに遊ばれているようなものだ。

3月11日 落とし物

近所のスーパーに買い物に行った。
二階に上がって、ふと床を見ると財布が落ちていた。クレジットカードが何枚も入り、札も2,3枚はみ出している。すぐそばの休憩椅子で二人の女子高生がだべっている。「これ君の?」ときくと「いいえ」と返事があった。さては今あがってくるときにすれ違った奥さんかもしれないと階下に引き返した。まったく印象に残っていないので、この人かなと声をかけると、運良く当人だった。荷物や傘を持って両手がふさがり落としたらしい。「あっ、すみません・・ ありがとうございます」と恐縮している。「しっかりにぎっときや」といって渡してあげた。
旦那さんが一生懸命稼いだお金を落とすなんて、うっかり嫁もいいとこだ。女子高生たちも目の前に落ちた財布に目もくれずおしゃべりに夢中とはこれまたお気楽。

3月10日 勧誘電話

一頃ほどではないが勧誘電話が時々ある。
名前も告げずに「奥様いらっしゃいますか?」とくる。
こちとら男の一人暮らしだから、こういうのは「ムッ」として返事もせずに切ることにしている。どういうリストを見てかけてくるのか知らないが、縁起でもないが奥様が亡くなって葬儀の最中で泣きくれている時かもしれないではないか。奥様が入院中であるかもしれない。無神経と思うがこの電話が多い。
「お墓の案内」も多い。もうそろそろのリストによってかかってくるのか。気が沈んでいるときはあの世からのお迎え電話にも聞こえる。「いや、もうちょっと先でいいです」とお断りする。

3月8日 銭湯

昨日来てくれた先輩に早速電話してみる。 「昼から銭湯どうですか」「いいなぁ、じゃ1時にいくから」
銭湯は市が経営するスーパー銭湯だ。料金は800円、65歳以上は400円。65歳手前の私は800円だ。
「あんたが俺くらいの歳になる頃にゃ、70歳以上が400円になるかもな」
「まったくです、後ろに団塊の世代が控えてますからね、年金だってあやしくなる時代です」
天気もいいので40分ほどこんな会話をしながら歩いていった。遠くに見える明石海峡や淡路島が春霞のなかだ。

3月7日 温(ぬく)なったぁ

 鉛色の空が嘘のように晴れた。遠くの山のパラボラアンテナが光っている。眺めていると鬱々たる気分も晴れてきた。南側と北側の窓を開け放ち、はたきをかけ掃除機を転がす。風はまだまだ冷たいが日差しはすっかり春だ。そう、布団も干すぞ。寒さに弱い鉢植えも外に出して陽に当ててやった。このまま春真っ盛りになってくれ。
 夕方、近所の先輩が医者にゆく途中に寄ってくれた。 「昨日、北のほうに行ってきてな、これ土産だ」「へー、そりゃどうも、いつもすいません」 「じゃ、また来る」 めったに会わないが、忘れたころにのぞきに来てくれる。たまにはこちらからも行かなきゃな。

3月6日 マラソン

天気予報がいい方にはずれ、びわこ毎日国際マラソンがまずまずのコンディションで行われた。
昔と違い、出場者の中にペースメーカーと呼ばれる選手が存在するようになった。
30km地点ぐらいまで一定のタイムでレースを先導するとのこと。選手個人のレース構成やペース配分の手腕を発揮する部分が残り10km余りだけになってしまうように素人は思うのだが・・・ ペースメーカー本人もつまらなくないのだろうか。
いっそペースメーカー・バイクに先導してもらったら・・

アテネで観客の妨害のため2位になったデリマ選手は、不調で途中棄権した。
満を持しての参加だったろうに残念。

3月5日 芭蕉

天気予報は、午後近畿地方も大雪と言っていたが雲が切れ晴れ間がのぞいた。
SUN-tvで「芭蕉が歩いた1200里」を見た。何もかも捨て野ざらし覚悟で旅に身を置き俳句三昧。それも現代人平均寿命におきかえると60歳を超えてからの大紀行になる。偉い、エライなぁ・・・