◆ごあいさつ 〜御猟野乃杜牧場について〜

たまには、日本の馬に、日本の馬具、日本の騎乗方法で乗ってみませんか?
「日本の馬 御猟野乃杜牧場」は、こんな思いから生まれました。





写真1 : 賀茂神社内馬場における和式乗馬演武の様子


日本の馬:「日本在来馬(にほんざいらいば)」とは、
日本の国土と歴史の中で独自に生み出されてきた馬の品種のことです。
「木曽馬(きそうま)」や「北海道和種(ほっかいどうわしゅ)」などをはじめとした8種が知られていますが、
そのいずれも数が少なく、種の存続の危機に立たされています。

かつて、この日本在来馬たちは、人々の生活を支える重要なパートナーでした。 
しかし、機械化による馬の担ってきた仕事の激減と、
西洋からきた大型馬の生産が増えた事情などから身近な存在ではなくなってしまい、
日本に在来馬という馬がいること自体、知らない人の方が多くなってしまったというのが現状です。

しかも、かつての武士が乗っていた馬が、日本在来馬の中でも特に「乗系(じょうけい)」と呼ばれる
騎乗に適した特性を選りすぐられた存在であること、荷物を運ぶ荷駄馬とは選抜基準や飼育方法などが
明確に違っていたことなどは、馬術家だけでなく在来馬を扱う専門家にすらあまり知られていません。

そしてさらには、馬たちとともに、先人たちが知恵と努力を積み重ねて作り上げた
優れた機能の馬具と、それに伴う騎乗技術も、現代ではそのほとんどが失われてしまいました。

事実、当牧場主は「日本の武士はどんな風に馬に乗って戦っていたのか?」という子どもの頃に持った疑問を解決するために、
様々な本を読み、論文を探し、乗馬クラブや飼養施設を回り、日本の馬具を使っている神事の見学や資料集めも行いました。
しかし、日本在来馬を日本の馬具を用いて自在に操れる人物も施設もついぞ見つからず、
紅葉台木曽馬牧場で現在の師匠に出会い、日本在来馬の本来の姿と実態を正しく知るまでに、実に20年近くの歳月を費やしました。
知りたいと思った人間が探して見つからないのですから、一般の人々が忘れ去ってしまうのも致し方ないといえます。



写真2:日本の馬具と日本の馬(紅葉台木曽馬牧場にて)

古くから、日本の気候風土と日本人の生活になじみ暮らしてきた日本在来馬たちは、
小柄ながらも、丈夫で扱いやすく、日本人が乗るのに最適な体格と、
学習と経験を積むことでより多くの仕事をこなせるようになる適応力や判断力など、優れた特性をたくさん持っています。
元々持っているこれらの特性から、さらに各個体の得意不得意に応じた「乗系」「駄系」といった用途ごとの使い分けがなされ、
それらが各地域土着の種として定着していったのです。

乗系馬の能力をもとに、鞍(くら)や鐙(あぶみ)といった道具にも工夫が凝らされ、
馬と人が互いに最大限の能力を発揮できるよう、日本ならではの形状に発達しています。
特に鐙は、世界でも類をみない形へと進化し、乗り手の、馬上での自在な動きを可能にしました。

これらの馬具の実践使用や絵巻等古書の記録を参考にして日本古来の騎乗法を考察していくと、
日本の馬に合わせて作られていた馬具は、やはり日本の馬、中でも乗系の馬たちとセットで使ってこそ、
本来の能力を発揮できるものであることがわかります。

また、馬具とともに、日本の騎乗法における馬に対しての考え方、精神性も特徴的です。

日本には荒馬を乗りこなしてこそ一人前、という「悍馬(かんば)思想」があります。
武士が理想とする騎馬武者は、馬をただ力でねじ伏せて無理矢理従わせたり、やる気のない馬を機械的に操るのではありません。
力尽くで従わせた馬はいずれ裏切るし、いくら従順でも生きる気力の乏しい馬に命を預ければ、人馬双方が共倒れになるからです。

「悍馬」とは、気性が荒々しく、御しにくい馬のことを指しますが、それはすなわち身体能力や判断力に優れ、
野性味と生命力にあふれた、生き物として強い「個」を持つ存在であることを意味します。
悍馬と相対した時、その者の知力・体力・技術力、精神力のすべてをもって挑み、もしその存在を圧倒することができたならば、
馬は強制されるのではなく自然と人に敬意を払い、乗り手のために自らの意思で一緒に戦ってくれる唯一無二の相棒となるのです。

悍馬を御せる者には、人間より力ある別種族の生き物に「この者になら自分の命を預けてやってもいい」と思わせるだけの器があるということ。
こうして日本では、悍馬を乗りこなすこと自体が優れた実力の生きた証左となり、武士として、人間としての誉れであるという発想が生まれました。

ヨーロッパ諸国では、徹底した品種改良による従順性や能力特化の追求が行われましたが、
日本では用途に応じて馬自体を作り変える血統管理よりも、本来持つ生命力や野性味を残した馬を、人間側がいかに乗りこなすかが重視されました。
いっそ扱いにくいとまで言われるまま、馬の「個」を丸ごと生かして戦力にする方向に発達したのです。

人間と馬がそれぞれ「個」として最大限の力を発揮しつつ同調することで、双方の力の「加算」を越えた、「乗算」へと昇華できるという点において、
かつての武士の騎乗法は、世界に名だたる各国の馬術にひけをとらないほど高度なものたりえたのです。
知れば知るほど、日本生まれの「一騎当千」という言葉が、単なる例えや誇張ではなかったのかもしれないと思えてなりません。

このように、馬たちの存在だけでなく、先人の知恵と技術の結晶である馬具など、日本人として誇るべきものであるはずの文化の一端が、
時代の流れとはいえ、はじめからなかったかのように忘れ去られてしまうのは大変残念なことです。
日本人にこそ、日本の馬と日本の馬具、日本の騎乗法について知ってほしいというのは、そういった理由からです。



写真3:日本の馬文化普及活動として、賀茂神社での練習会実施や
古典に倣った馬の生産、乗馬法研究に取り組んでいます



この御猟野乃杜牧場は、馬の神社として名高い「御猟野乃杜 賀茂神社(みかりののもり かもじんじゃ)」にご縁をいただき、晴れて開設の運びとなりました。
まだまだ規模も規模も小さく小さな拠点ではありますが、今後、日本在来馬の優れた能力とともに日本の馬具や乗馬法などについて広く知ってもらい、
絶滅の危機に瀕している日本の馬の活躍の場を増やしつつ、「日本の馬文化」を未来に伝えていく役割を担えたら、と考えています。

古来の乗馬法とか古典馬術とかいうと、なんだかとても難しく感じるかもしれませんが、
その根本は、日本の気候風土に適応した馬たちの自然な姿をそのまま最大限活用できるよう配慮し、
日本人の体型や体格に合った、双方にとって最も合理的な乗り方をしようというシンプルな発想です。

現代の日本では、武士が乗っていたような「悍馬」を日常的に扱うことは難しいことかもしれませんが、
その精神性は人と馬の「個」を最大に生かすという点で、日本式のホースマンシップとして現代にも十分に通じるものであると考えます。
日本の乗馬法は、「乗馬」というジャンルのスポーツの選択肢として、諸外国の優れた馬術に劣ることなく、十分共存しうる余地があるのです。


当牧場は設備も簡素で、日本の馬と馬文化が大好きな牧場主の趣味の延長とも言える程度の小さな施設ですが、
賀茂神社にご参拝くださいました折、もし足を運んでいただく機会がありましたら、
古くから馬との関わり深いこの「御猟野(みかりの)」という土地において、
これまで馬とふれあう機会がなかった方も、本格的に和式乗馬法を体験してみたいという方も、
日本の馬と馬文化を通して、かつて日本で、人々が馬たちと共に見てきた景色を感じてくだされば幸いです。


日本の馬 御猟野乃杜牧場
代表 磯部 育実



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