日本の馬について

たまには、日本の馬に、日本の馬具、日本の騎乗方法で乗ってみませんか?
「日本の馬 御猟野乃杜牧場」は、こんな思いから生まれました。



写真1 : 賀茂神社内馬場における和式乗馬演武の様子


日本の馬:「日本在来馬(にほんざいらいば)」とは、
日本の国土と歴史の中で独自に生み出されてきた馬の品種のことです。
「木曽馬(きそうま)」や「北海道和種(ほっかいどうわしゅ)」などをはじめとした8種が知られていますが、
そのいずれも数が少なく、種の存続の危機に立たされています。

かつて、この日本在来馬たちは、人々の生活を支える重要なパートナーでした。 
しかし、機械化による馬の担ってきた仕事の激減と、
西洋からきた大型馬の生産が増えた事情などから身近な存在ではなくなってしまい、
日本に在来馬という馬がいること自体、知らない人の方が多くなってしまったというのが現状です。

しかも、戦争のため大陸へたくさん馬が派遣され日本国内の優れた乗用馬がことごとく姿を消したことで、
かつての武士が乗っていた馬が、日本在来馬の中でも特に「乗系(じょうけい)」と呼ばれる
騎乗に適した特性を選りすぐられた存在であること、荷物を運ぶ荷駄馬とは選抜基準や飼育方法などが
明確に違っていたことなどは、馬術家だけでなく在来馬を扱う専門家にすらあまり知られていません。

そしてさらには、馬たちとともに、先人たちが知恵と努力を積み重ねて作り上げた
優れた機能の馬具と、それに伴う騎乗技術も、現代ではそのほとんどが失われてしまいました。

事実、当牧場主は「日本の武士はどんな風に馬に乗って戦っていたのか?」という子どもの頃に持った疑問を解決するために、
様々な本を読み、論文を探し、乗馬クラブや飼養施設を回り、日本の馬具を使っている神事の見学や資料集めも行いました。
しかし、日本在来馬を日本の馬具を用いて自在に操れる人物も施設もついぞ見つからず、
紅葉台木曽馬牧場で現在の師匠に出会い、日本在来馬の本来の姿と実態を正しく知るまでに、実に20年近くの歳月を費やしました。
知りたいと思った人間が必死に探して見つからないのですから、一般の人々が忘れ去ってしまうのも致し方ないといえます。


写真2:日本の馬具と日本の馬(紅葉台木曽馬牧場にて)

古くから、日本の気候風土と日本人の生活になじみ暮らしてきた日本在来馬たちは、
小柄ながらも、丈夫で扱いやすく、日本人が乗るのに最適な体格と、
学習と経験を積むことでより多くの仕事をこなせるようになる適応力や判断力など、優れた特性をたくさん持っています。
元々持っているこれらの特性から、さらに各個体の得意不得意に応じた「乗系」「駄系」といった用途ごとの使い分けがなされ、
それらが各地域土着の種として定着していったのです。

乗系馬の能力をもとに、鞍(くら)や鐙(あぶみ)といった道具にも工夫が凝らされ、
馬と人が互いに最大限の能力を発揮できるよう、日本ならではの形状に発達しています。
特に鐙は、世界でも類をみない形へと進化し、乗り手の、馬上での自在な動きを可能にしました。

これらの馬具の実践使用や絵巻等古書の記録を参考にして日本古来の騎乗法を考察していくと、
日本の馬に合わせて作られていた馬具は、やはり日本の馬、中でも乗系の馬たちとセットで使ってこそ、
本来の能力を発揮できるものであることがわかります。


左:平治物語絵巻 右:蒙古襲来絵巻より 馬に乗る武士の姿


また、馬具とともに、日本の騎乗法における乗用馬に対しての考え方、精神性も特徴的です。

日本には荒馬を乗りこなしてこそ一人前、という「悍馬(かんば)思想」があります。
武士が理想とする騎馬武者は、馬をただ力でねじ伏せて無理矢理従わせたり、やる気のない馬を叱咤して機械的に操るのではありません。
力尽くで従わせた馬はいずれ裏切るし、いくら従順でも生きる気力の乏しい馬に命を預ければ、
日本という災害が多く変化の激しい環境に対応できず、人馬双方が共倒れになるからです。

「悍馬(かんば)」とは、気性が荒々しく、御しにくい馬のことを指しますが、それはすなわち身体能力や判断力に優れ、
野性味と生命力にあふれた、生き物として強い「個」を持つ存在であることを意味します。
悍馬と相対した時、その者の知力・体力・技術力、精神力のすべてをもって挑み、もしその存在を圧倒することができたならば、
馬は強制されるのではなく自然と人に敬意を払い、乗り手のために自らの意思で一緒に戦ってくれる唯一無二の相棒となるのです。

悍馬を御せる者には、人間より力ある別種族の生き物に「この者になら自分の命を預けてやってもいい」と思わせるだけの器があるということ。
こうして日本では、悍馬を乗りこなすこと自体が優れた実力の生きた証左となり、武士として、人間としての誉れであるという発想が生まれました。

ヨーロッパ諸国では、徹底した品種改良による従順性や能力特化の追求が行われましたが、
日本では用途に応じて馬自体を作り変える血統管理よりも、本来持つ生命力や野性味を残した馬を、人間側がいかに乗りこなすかが重視されました。

海外では比較的普通に行われた「去勢」も、著しく気勢が弱まるせいかほとんど普及しなかったようです。
実際に乗ってみてわかったことですが、去勢されていない牡馬は非常に勇敢で、ここ一番の粘りが違います。
単純に戦力としてわざわざ不足を起す「去勢」は、少なくとも武士には必要とされなかったのでしょう。

戦国時代以前の古い絵馬や絵巻を見てみると、丸々と肉付きよく首を高く上げた姿で描かれていることがほとんどです。
栄養斑点や健康斑点と言われる、健康状態がベストな時に表れてくる斑点模様が描かれたものも見られます。
高い首、丸い尻、斑点模様、そして去勢されていない牡馬であること。
これらは日本における名馬、命を託すに値する優れた馬の条件になっています。


左:北海道和種馬の健康斑点 右:海津天神社収蔵の絵馬 
※この健康斑点は、連銭芦毛など毛色としての斑模様とは違い、馬のコンディション次第で品種や毛色を問わずあらゆる馬で見られる。
当牧場での経験上、栄養状態だけでなく精神面の安定(ストレスがない状態)も必要で、単なる栄養過多の場合ではこのような斑点は現れない。

健康斑が出るような馬は、有り余る溌剌さから、騎乗にはより繊細な技術を必要とします。
しかし、それこそ悍馬への騎乗を誇りとする武士の本領。
いにしえの時代、武士の乗る馬は、“扱いやすく従順であるべき”という一般的な乗馬の感性からいうと、全く逆方向に能力を伸ばしたわけです。
いっそ扱いにくいとまで言われるまま、馬の「個」を丸ごと生かして戦力にする方向に発達したのです。

人間と馬がそれぞれ「個」として最大限の力を発揮しつつ同調することで、双方の力の「加算」を越えた、「乗算」へと昇華できるという点において、
かつての武士の騎乗法は、世界に名だたる各国の馬術にひけをとらないほど高度なものたりえました。
知れば知るほど、日本生まれの「一騎当千」という言葉が、単なる例えや誇張ではなかったのだろうと思えてなりません。

このように、馬たちの存在だけでなく、先人の知恵と技術の結晶である馬具など、日本人として誇るべきものであるはずの文化の一端が、
時代の流れとはいえ、はじめからなかったかのように忘れ去られてしまうのは大変残念なことです。
日本人にこそ、日本の馬と日本の馬具、日本の騎乗法について知ってほしいというのは、そういった理由からです。


写真3:日本の馬文化普及活動として、賀茂神社での練習会実施や
古典に倣った馬の生産、乗馬法研究に取り組んでいます



悍馬思想や古典馬術というと、とても難しく感じるかもしれませんが、
その根本は、日本の気候風土に適応した馬たちの自然な姿をそのまま最大限活用できるよう配慮し、
日本人の体型や体格に合った、双方にとって最も合理的な乗り方をしようというシンプルな発想です。

現代の日本では、武士が乗っていたような悍馬を日常的に扱うことは難しいかもしれません。
しかし平和の世であればそれに合わせ、彼らが本来持っている賢さや丈夫さ、忍耐強さを生かすことができます。
一頭で様々な種類の仕事をこなしたり、自立した思考を生かして現場判断を行い、障がい者の騎乗を助けたりがその好例です。
個を重んじたからこそ残ってきた判断力や順応性の高さこそ、日本の馬の多様性が生みだす最も優れた特性なのです。

また、本来持っていた日本の騎馬文化における馬と人との精神性は、
人と馬の「個」を最大に生かすという点で、「日本式のホースマンシップ」として現代にも十分に通じるものであると考えます。
日本の乗馬法は、「乗馬」というジャンルのスポーツの選択肢として、諸外国の優れた馬術に劣ることなく、十分共存しうる余地があるのです。


◆◇◆

この御猟野乃杜牧場は、馬の神社として名高い「御猟野乃杜 賀茂神社(みかりののもり かもじんじゃ)」にご縁をいただき、
2018年に晴れて開設の運びとなりました。
当牧場は設備も簡素で、日本の馬と馬文化が大好きな牧場主の趣味の延長とも言える程度の小さな施設ですが、
古くから馬にゆかりある地に日本の馬がいる、ということは大変価値あることだと思っています。

御猟野乃杜牧場の名前は、古くから馬の守り神として名高い滋賀県近江八幡市加茂町に鎮座する賀茂神社の周辺が、
かつて「御猟野(みかりの)」と呼ばれていたことから、その名を借りて命名されています。
「御猟野」とは、水と緑の豊富なこの地をかつて天皇家や公家、武家など多くの貴人が訪れ、
馬の試乗や馬術供覧、巻狩や鷹狩の御猟場として利用してきた歴史に由来しており、
その起源は天智天皇が馬の繁用地として国営牧場を創建されたことに始まります。

近江八幡市内には、「馬淵(まぶち)」の地に鎮座する「馬見岡神社(まみおかじんじゃ)」といった
馬と縁ある神社や、競馬や流鏑馬を行ったかつての馬場の跡地がいくつも見られ、
古くは放牧地であったことを示す「牧町(まきちょう)」のほか、
室町時代より鷹匠が居住したとされる「鷹飼町(たかかいちょう)」などの地名が現在もそのまま残っています。
鷹狩は、猟場の移動や狩り自体に馬を多く用いる軍事訓練やスポーツといった位置づけにあり、
地名からもその繁栄ぶりを垣間見ることができるのです。
こうして、1300年以上もの長きにわたり馬との縁が続いてきた「御猟野」の地で、
日本の馬と馬文化に憧れた牧場主をはじめとし、たくさんの人々のご縁が集まり、
歴史ある名をいただいた『御猟野乃杜牧場』が誕生しました。

最近は、道で行きあう地元の人々も馬を連れた姿を見慣れてお話する機会が増え、
通りすがりにみかんや野菜を分けてもらったり、下校途中の子どもたちと一緒に歩いたり、
「仔馬の様子はどう?」、「次はいつ通るの?」、「家の前を馬が通るのを見るのが楽しみで!」と、
たくさんのあたたかい声をかけていただけるようになりました。
きっと、このようなやりとりはかつての滋賀県、かつての日本に当たり前にあった風景だったのだと思います。

当牧場はこれからも、馬の生産と馴致、調教をはじめとした日本の馬を増やす活動を主軸に、
和式馬術の研究と実践、古式騎乗の奉納、各地の神事等への参加、馬を用いたお祭りの復興支援などを通して、
日本の馬の良さや本来の能力を皆さまに知っていただく活動を、地元の皆さまのご協力を得ながら行い
「馬の神社に当たり前に馬がいる風景」を作ることに貢献できるよう努力していきたいと考えています。

賀茂神社にご参拝くださいました折、また、日本の馬に興味を持ってくださった際には、
古くから馬との関わり深いこの「御猟野(みかりの)」という土地において、
日本の馬と馬文化の一端を通して、かつて日本で、人々が馬たちと共に見てきた景色を感じてくだされば幸いです。



日本の馬 御猟野乃杜牧場
代表 磯部 育実



Copyright (C) 2018 日本の馬 御猟野乃杜牧場. All rights reserved