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遺骨収集に寄す

元三七軍参謀長 ボルネオ会相談役 馬奈木 敬信

 ボルネオに於ける戦没者慰霊の行事と共に遺骨収集の成果に対し、深甚なる敬意と謝意を表する処であります。
是れ偏に団長始め団員各位が使命を自覚し、渡航前から憂慮された形而上下の心痛を克服し、よく国際親善に努められ又御遺族の切なる悲願が神々に通じた賜と信ずるのであります。
就中英霊散華の現地を訪れ目の辺りに南方戦場の様相が実感として身に逼りありし日のことなど回想され少しは御納得、心の傷みも幾らか柔らげられたのではないかと恐察する所であります。
私も当時の立場から各方面遺骨収集の報をきくたびに、ボルネオに就いては何か心に蟠るものがありましたが、今はそれがほぐされた気持になり感謝の念が一杯であります。

 扨事が茲に運ばれるまでの二年有余、各面に亘ってご尽力ご協力いただいた各位に酬ゆる意味でその概要を少し許り申し添えたいのであります。素々この行事の発起は昭和四二年一月始めから従軍された有志の方々によって提案されたのであり、その後協議が重ねられ三月に九段会館で全国理事会、越えて四月防衛庁で臨時総会となり大綱が承認され本格的に発足した訳であります。

扱て愈々実務に取組むと仕事は山程で、先ず基礎となる内外官庁との交渉はもとより、見積り総経費の募金法、その再検討や見透し、さらに対策などと共に内外情報の蒐集や渡航手段、行動計画等々、わけて派遣者の問題は難事で、それ等に添ふ各種の意見も続出し之が調整などそれ相当の苦心が払われたのであります。それはそれとして渡航願には具体的人名と員数が条件で、経費と睨みあわせて予想外の時間がかかり、さらに許可がおくれて当事者を悩ましたのである。

実行が(昭和)四四年正月になったのも蓋しやむを得ない処であった。是等煩瑣な業務推進の為総会や理事会など再三常任理事会に到っては挙げて数えられない程で、それに是等全般事務を通じ事務所を提供し本業を放擲する程して便宜を供与された事など唯感謝するのみであります。
 以上概況を述べて擱筆するに方り、今回の挙に御尽瘁の明石先生の御冥福を祈ります。

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