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兵庫県加古川市 城山(271.3m)、日岡山公園
2014年2月16日(日) 曇のち晴れ
地図
1:城山(中道子山城跡)
(南側山麓から)
2:毘沙門岩登山口
山上
3:弘法大師増
4,5,6:ミニ八十八ヵ所霊場祠
7:赤松城趾(中道子山城跡)本丸跡
8:三角点
9:堀切跡
10:井戸
展望
11:東:権現池
12:北東:小野アルプス
13:北:志方トンネル、加西アルプス(後方)
14,15:南西:高御位山
日岡山公園
16:日岡御陵
17:駐蹕乃所の碑
18:日岡御陵山
19:加古川と高御位山
20:加古川河口
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前日の雪も融け、午後日が射してきた。加古川市の城山を訪れた。
城山は「中道子山(ちゅうどうしさん)城跡」「赤松城趾」「志方(しかた)城趾」などと呼ばれている。
高さは271mあり、播磨平野が一望できるのだが、この日は薄い靄がかかっていた。
北側に冠雪の笠形山や千ヶ峰が見えるはずであるが、まったく見えず残念。
先日三木城趾を訪れたが、ここ赤松一族の居城も秀吉の天下統一によって滅ぼされた。
山上には四国八十八ヵ所霊場巡りを模した、石仏の祠や弘法大師増が置かれており、巡回路がある。
重い石仏を山上に運び上げる信心深さ、そして山城を建造する権力の強大さに頭が下がる。
山を下りた後、南方向約6kmにある日岡山公園を訪れた。
ここには古代史にある景行天皇の后、稻日大郎媛(いなびのおおいらつめ)の御陵がある。
稻日大郎媛は第七代孝霊天皇の皇子若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)の娘である。
当時はこの氷川(加古川)が大和と吉備の国(岡山県、広島県東部)の境界だった。
大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)と若日子建吉備津日子命が吉備の国を説得し平定したといわれる。
その後、大吉備津日子命は吉備の上道臣(かみつみちのおみ)の祖、若日子建吉備津日子命は下道臣(しもつみちのおみ)、笠臣(かさのおみ)の祖となった。
また景行天皇と稻日乃大郎女とのあいだに五人の皇子がいる。その中の小碓命(おうすのみこと)が後の倭建命(日本武尊 やまとたけるのみこと)と伝えられている(古事記)
御陵の南側の丘は日岡山展望台がある。
そこに「駐蹕(ちゅうひつ)乃所」の碑がある。
明治三十六年(1903年)、日露戦争を想定した陸軍大演習を明治天皇がここから天覧なされた記念碑と思われる。
またここには昭和11年、多木久米次郎によって建てられた「聖徳閣」があった。
(クリックで拡大)
今は展望台となっていて、晴れていれば加古川の広い河口と播磨灘に沈む夕日が見られるだろう。
最近の城趾探訪
■三木城趾
../h26/0111miki.htm
■淡河城趾
../h26/0115ougo-cas.htm