鼻白滝上から西ノ峯へ
地理院地図には、西ノ峯へのルートは記されていない。ネットでの登山記録を見ると鼻白滝の上、落ち口からだと最短距離で登れることがわかった。滝口に架かる鉄の橋を渡り、露岩を縫って斜面を上がる。テープがあるので、助かった。但し、テープは伐採跡斜面までで、そこからは、中央の伐採斜面か、それとも左右どちらかの尾根を利用することになった。自分は右の尾根を利用したが、西ノ峯への直登となるので、一部だが斜度の少しキツイところもあった。 |
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7:35 林道脇の滝上、田長谷に架かる橋を渡る |
鼻白滝の落ち口 |
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6:34 露岩を巻きながら上がる |
幸い誘導テープがあるので考えずに進める |
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7:12 歩きやすくはないが問題なし |
伐採地の手前付近 |
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7:57 伐採地に出る。誘導テープはここまで。
後は好きなところを上がれということかな・・と |
7:40 左側の尾根の様子
自分は山頂まで直登となる右の尾根を利用した |
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基本的に道は無い感じだが、獣道は多い |
山頂南側手前の平地 祠跡地だろうか |
西ノ峯 山頂
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山頂方面は灌木がありで回り込んで上がった |
8:50〜9:00 西ノ峯 |
西ノ峯から鉄塔へ
鉄塔への稜線は、想像していたものと違って灌木が多く、とても歩くにくく、イライラするレベル。それでも進むと丸い露岩があり、上に立つと気分爽快。この大岩の底は向こう側が少し見える隙間があり、岩を斜面ギリギリに置いたような状態となっていた。 |
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山頂からの下り尾根の状況 |
一旦、広い緩やかな尾根に至る |
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稜線を振り返る。とても歩き辛い |
灌木が行く手を遮る |
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9:30 丸い露岩があった。岩の上で立ってみた。爽快だ。 |
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植林帯になり、歩きやすくなる |
鉄塔の標識があった(振り返る) |
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9:56〜10:20 鉄塔に到着 休憩 |
鉄塔下から振り返る |
鉄塔から▲648.1へ
鉄塔位置からは、当初、田長谷への林道へと下ることを考えていた。鉄塔管理道があるはずと思ったからである。しかし現地で確認すると、薄い踏み跡らしきが確認できるレベルだ。それならばと、このまま稜線を進んでP641.8まで行くことにした。 |
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鉄塔を後にして進むと決める |
植林帯の登り。ピークを巻く踏み跡もあり |
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10:49 なんと!地図には無い作業道合流 |
なるべく作業道を通らずに踏み跡を進んだ |
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結局、作業道にでた |
作業道からP641.8への登り |
▲641.8峯
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11:13〜27 ▲641.8 眺望なし |
山頂から適当に下ると作業道でたが、
作業道が何処へ向かっているのかわからず
後はグダグダで、方向のみの確認で進んだ |
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新四郎溝遺構の一部である石積みか(振り返る) |
12:07 新四郎溝案内板の所に出た |
新四郎溝とは(案内板全文)
「この案内板の上約二十米杉林の中に古い溝跡があります。水路は数百年もの間、里人が毎年春先に改修を重ねて保全していましたが、昭和八年新しい水路が出来ましたので、それ以後使用されなくなりました。溝については次のような話が伝えられています。今を去る八百年の昔、赤木の里に移り住んだ平家の落ち武者の子[田中新四郎]は、里人が毎年水不足で困っている姿を見て一念発起この◇◇谷の水を赤木の里へ落とすことを決意して、私財をなげうち工事に励み、数年の歳月精魂をかたむけて岩を切り開き石垣を築き長さ七百米余の溝路を完成させ待望の水を赤木の里へ導くことが出来ました。中でも最後の峰越?の工事は大変だったでしょう。正徳元年の名所書上げ帳には次の記述があります。[高サ壱丈より三◇迄、長サ九間の間?、田中新四郎と申者先年斧七拾弐挺にて大岩ヲわり 溝につかまつり候故赤木村の田地◇沢◇に懸り申◇◇これによりて新四郎のために只今に於て◇◇地下中の者共より◇にて施餓鬼?読み遣し申候]右に書かれている通り◇◇◇◇赤木の人々は新四郎の功績に深く感謝して、おこたることなく新四郎の供養を続けています。又この古溝を新四郎溝◇◇◇◇ています。熊野川町教育委員会」 (※正徳元年西暦1711 ◇は不明) |
看板の直ぐ近くには田長谷森林公園への取り付きがあり、
ここは白見山へのルートともなっている。 |
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林道から見る鉄塔 「23」とあるので管理道の取り付きか |
13:04 林道を約1時間ほど歩き駐車位置に到着 |
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鼻白ノ滝遠望 ルートはこんな感じか |
山の北側、熊野川温泉さつきから見える鉄塔位置 |