願いと呪い

職場のすぐ近く、道路をはさんで斜め向かいに大きな神社があった。

有名人もここで結婚式を挙げたとか霊験あらたかでご利益のあるパワースポットだとか、いろいろと言われているせいで平日でも参拝客がたえない人気のある神社だ。そういう自分も昼休みの時間になると、いつも昼食をとったあとはここの境内を散歩するのが習慣になっていた。

ウワサが知れ渡っているのか、海外からの観光客らしき人たちも大勢見かける。その中のひとりが、願い事を書いた絵馬らしきものをくくりつけているのが見えた。

ふと興味がわいたので、くくりつけられた絵馬に近寄って見てみると「日本語がもっとうまくなりますように」と、ぎこちない漢字と平仮名交じりで書かれてあった。一生懸命な様子が伝わってきて微笑ましい気持ちになる。

他の絵馬も定番の入学試験の合格願いから家族の健康祈願まで、よくある願い事がずらりと並んでいた。参拝客が多いから、絵馬の数もかなりの量だ。書かれてある言葉も英語や中国語、アラビア語まであってバリエーションに富んでいるので見ていて面白い。

色々な人たちの願い事をなんとなく見比べているうちに、ふと気になる願い事の書かれた絵馬を見つけた。




「××××さんが幸せでいられますように。その側に私もいられますように」


そこだけを見ると奥ゆかしい女性のお願い事のようにも見えるのだが、その隣に同じ女性の名前で復縁を願う絵馬があった。よほど相手のことが忘れられないとみえる。

ただ、ここまでなら珍しいというほどでもなかったが、その近くにさらに同じ名前の書かれた絵馬がいくつも並んでいた。お百度参りのように一人で何回も何回も、ここに願い事をするために訪れていたのだろうか。





「××××さんが4月になったら子供を作るという約束を守ってくれますように」

「××××さんに会えるようにして下さい。××××さんが私のことを許してくれますように」

「××××さんが、私と、私の赤ちゃんに責任を取ってくれますように」



隣へ隣へと一枚ずつめくっていくたびに書かれてある内容が少しずつ狂気じみていくのが分かる。明らかに偏執狂的だ。

最後にあった一枚をめくって、背筋に寒気が走った。




「××××さんが、またわたしと付き合ってくれますように。接触禁止命令を取り消してください」


もう間違いなかった。この女性が望んでいるのは復縁ではない。復讐だ。


本人がそこまで自覚しているかどうかは分からないが、ここに書かれてあるのはもはや願いではなく呪いだった。

女の情念のもっともドス黒い部分を目のあたりにしてしまったようなイヤな気分を抱えながら、昼休みが終わって職場に戻ったあと、絵馬に書かれてあった相手の男と女の実名を両方とも入力して試しに検索してみた。

すると、男のほうの名前がすぐに検索にヒットした。Wikipediaだった。

個人名でWikipediaに掲載されているほどの著名人だったのかと一瞬焦ったあと、いくらなんでも同姓同名の別人だろうと首をふって、さらに検索を進めてみると両方の名前が載った文章が見つかった。経歴に関する部分がWikipediaの記載内容とかぶっていた。

まさか本当に検索に引っかかるとまでは思っていなかったのだが、どうやらツイッターの炎上していた時期の内容らしい古いログまで検索に引っかかると、そこに書かれてある内容に絵馬の裏付けまでとれてしまい、おもわず頭を抱える。

そもそもオンラインに残るようなところで泥沼を演じるのもどうかとは思ったが、自分ごとき第三者でも簡単に検索で見つけられてしまうことを思うと、この手のトラブルが一気に可視化されやすい時代になったことを、あらためて実感した。

そんな憂鬱な昼下がりだった。