ミディアムシップ・リーディング |
ミディアムシップ・リーディングを自分自身で体験する機会があった。 ミディアムシップ・リーディングとは一言でいうとミディアム、いわゆる霊媒師に仲介してもらって、亡くなった故人と会話をするセッションのことだが、以前からそういう存在を知ってはいたものの、なかなか実際にやってみようとまでは思えなかった。 人が死んだあとに魂が残る、という考え方自体はなんとなく信じてはいたものの、だからといって死者の魂と直接コンタクトをとれるとかいわれて簡単に信じられるわけがない。 日本でも昔から「いたこ」と呼ばれる人たちが死者の声を聞くことを生業にしていたのは誰でも知っている話だが、こちらは心理カウンセラーとしての側面が強く、現実的にはコールド・リーディングの手法を用いていることも、今では知られている。その一方、イギリスではミディアムがひとつの職業として確立し、ごく普通に社会に根付いているのも確かだ。 体系的な訓練を受けて一人前のミディアムとして仕事につき、地道に活動している日本人が存在していることを、わりと信用のおける友人経由で知ってから、その人の普段の言動を――言葉は悪いのだが――しばらく観察させてもらったことがある。 やがて、いくつか分かったことがあった。 まず何より大事なこととして、一般的な倫理感に照らし合わせて違和感のある言動はしていないこと。さらにその人自身、一般の人からすれば胡散臭いと思われているのは十分に自覚しつつも仕事をつづけている背景には、その人なりのちゃんとした信念があり、だからといってその信念をこれ見よがしに見せびらかしたりはしていないこと。 仕事である以上、きちんとした対価をもらうのは当然のこととして、それを納得のいくような金額に設定したうえで目にみえる形にして公開していること。それ以上を要求したり、へたに不安を煽ったりしてお金を稼ぐようなあくどいやり方は少なくともしていないように見えること。 仕事の性質上、非難や中傷を受けやすい立場ではあるが、何を言われようとも感情的にはならず、それでいて毅然とした態度を崩さないこと。ただ、それがゆえにちょっと近寄りがたい人と思われたり、怖がられている節もあるようだが、そこは自分の仕事に対するプライドのあらわれであり、へたに依存しようとする人を寄せ付けない強さでもあると思う。 ―――これなら信用してもいいかもしれないと考えるようになり始めた頃のことだった。この人がミディアムシップ・リーディングを公開でおこなうイベントを開くことを知って驚いた。 たいていは非公開でやるものだが、そこをあえて一般公開して大勢の人の前で実施することにより、亡くなった人との交流が本当に可能であると一般に伝えるためのデモンストレーションという意味合いらしい。 このデモンストレーションに自分も参加してみたのだが、亡くなった人が公衆の面前でもいいからどうしてもメッセージを届けたいというのを、そのミディアムが仲介して次々と言葉にして伝えていく様子を見ていると、その具体性の高さに確信のようなものが少しずつ深まっていくのを感じた。そしてイベントが終了したとき、 「一度、この人にお願いしてみよう」 そう思いたって後日、このミディアムに予約をとると、亡くなった父を呼んでもらうことにした。 ―――そして当日。開口一番、「亡くなった父と話したいのですが」というと、ミディアムはすぐに、 「ええ、いらっしゃってます。けど……『君と話すことは何もない』と言われるんですよね」 「はい?」 「というか……自分の息子さんなのに、あなたのことを『君』と呼ぶんですね。この方」 この時点で確信した。正真正銘、本当に父がこの場に来ている、と。 まさしくその台詞こそが、亡くなった父と自分との距離感だった。死に際にあまりいい別れ方をしていない、それがゆえにずっと心に引っかかったままのトゲのようだった父親の存在。 それをどんな形であれ、すっきりさせてしまいたいというのが本音であり目的だった。だからこそ、めったな人に口寄せを依頼して、てきとうな言葉で「お父さんも悔やんでいます」などと、おためごかしを聞かされたくはなかったのだ。 しかし、このミディアムは何ひとつ事前情報を得ることなしに、いきなり父と自分にしか分かりえない距離感で発する父の台詞を伝えてきた。これこそ、自分にとっての何よりの証拠だった。 それからの父の台詞は自分にとって納得できるものもあれば、少し意外なものもあったが、もっとも引っかかったのは母に関するものだった。 父から母へのメッセージは以下のようなものだった。 「死期を自分で決めようとしてはいけない。死んだ私に『迎えに来てほしい』と何度も言ってくるが、そういう受け止められ方をしてしまうのであれば、夢枕に立つことすらできない」 つまり、母は自殺を考えているのだという。 にわかには信じ難かったが、このリーディングの数日後、それとなく母との会話の中で聞いてみたところ、事実だったことが判明した。 一部の人たちには知られていることだが、我が家の家計はもうずっと火の車だ。ほとんど綱渡りの状態で日々を過ごしている。 そして、その経済的な理由の大半を占めているのは実のところ、年老いた母の存在である。 客観的にみれば、医療費や生活費など毎月かかる支出が最も大きいのが母なのは確かだ。そして、そのことを母はずっと申し訳なく思い続けていたという。 「自分さえいなければ、息子の生活は楽になるのに」 「自分の存在が、息子にとって重荷となっている」 その思いをずっと胸に抱え、それでも、もし自殺すれば自殺したこと自体が息子の心の傷になるかもしれないと考えると、ぎりぎりのところで踏み切れずにいたらしい。 亡くなった父の位牌にいつも話しかけては「早く迎えに来てください」と祈っていたという。その言葉自体は確かに父に届いてはいたのだ。 すんでのところで、母の自殺を食い止められたというべきだろうか。 我が家の経済的な事情が好転したわけでもなんでもないが、とりあえず心の問題は一時凌ぎとはいえ、いったん落ち着かせることができたように思う。 これだけでも、あのミディアムには感謝して然るべきだろう。 そういう経緯もあって、少なくとも自分にとっては信頼に値する数少ないミディアムである彼女はずっと大阪を拠点として活動しているが、特に声高に宣伝するまでもなくその実力はやはり口コミで全国的に広まってきているらしい。何度となく地方にも招かれて、今でも各所で公開ミディアムシップ・リーディングを実施している。 もし興味のある人は一度参加してその目で確認してみるのもいいと思うし、本当にそんな世界が存在するのかと疑っている人ほど尚更、参加してみるのも面白いと思う。そして自分自身で判断すればいい。 どれだけ多くの人から「あの人は本物だ」と言われようとも、実際に自分が経験してみなければ、心から納得できるものではないからだ。 かつての自分がそうだったように。 |