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たつの市 養久山古墳群、嘴崎屏風岩
2018年10月9日(火) 晴れ
養久山古墳群
1:登山口の薬師堂
2,3:一号古墳
4,5:乙城跡
6:四阿からの展望
7:20号古墳
8:南側から見る養久山
嘴崎屏風岩
9:屏風岩前の河原
10:中州は白鷺群生地
11:鯉の群れ
12:白い熊笹
13,14:白鷺の群れ
15.16:山中の岩壁
17:河原から見る屏風岩
18:投げ釣り練習
19:屏風岩全景
西側、亀(き)の山から
(2013/03/26)
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たつの市養久山(やくやま)古墳群を訪ねた。
←養久登山口 総合案内板↓
養久山は、標高100m前後の丘陵で、雑木の尾根に数十基の古墳がある。
また、尾根の一角に乙(おと)城跡があった。
=========現場掲示板============
乙城趾(揖保川町養久字音城)
日本城郭全集によると、この城は建武年間(1334-38)に高瀬小四郎景忠が播磨国主赤松円心の命により築いたとある。1441年嘉吉の変で赤松氏が断絶したため本城も廃城となったが、応仁の乱以降赤松氏の再興とともに本城も復興した。
景忠以降、景明、景弘、景光、景重、景久、景秊と【8代】つづき、嘉吉の変前までは白旗城赤松氏に属し、応仁の乱以降は龍野赤松氏の麾下となったとある。その間は城もなかった筈であるが、系図は続いてようである。
1560年(永禄3)龍野赤松氏と対立していた室山城主浦上政宗が乙城を後略してここを居城とした。政宗は浦上村宗の子で、父と共に赤松氏と争をつづけていたが、1564年(永禄7)正月、赤松下野守政秀は室津に浦上政宗【と】急襲して政宗父子を殺害した。
1578年(天正6)政秀の子、赤松広秀は羽柴秀吉に追われて龍野城から乙城に移された。乙城主となった広秀は、あらたに龍野城主となった蜂須賀正勝の麾下に入ったが1585年(天正13)に城を出て、但馬竹田城へ移封され、その後乙城は廃城となった。
参考文献 兵庫県教育委員会編 兵庫県の中世城館・荘園遺跡
平成3年3月30日 揖保川町教育委員会
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現場の掲示板は古く判読しにくくなっている。上記はほぼ原文のままであるが、?と思うところを【】にしている。
【8代】文脈からは7代
【と】→「を」では?
文中の室山城は別名「室津城」ともいわれるらしく、御津町室津にある。↓
http://www.hb.pei.jp/shiro/harima/muroyama-jyo/
まだ黄葉には早く、古墳群を歩く遊歩道は雑木で展望はきかず、しかも蒸し暑い。
まだクモも活躍中でうっかりすると、蜘蛛の糸が顔に絡みつく。
やはり低山歩きは冬だ、時期を早まったなぁと反省した。
東側にある四阿が唯一の展望所で、眼下に黄金の稲田が広がっている。
周回約3.7km 2時間20分
1号墳標識
養久山1号墳 指定名称:養久山1号墳(やくやまいちごうふん)県指定・史跡
http://www.city.tatsuno.lg.jp/bunkazai/shitei_bunkazai/yakuyamaichigou.html
揖保川町養久(やく)の丘陵尾根に造られた前方後円墳で、墳長は約30mである。
墳形は讃岐(さぬき)地方の古墳と共通し、2段に築成(ちくせい)され、石が巡らされている。後円部には竪穴(たてあな)式石室1基と5基の箱式石棺(せっかん)があり、時期は3世紀後半と推定されている。
地方の古い前方後円墳の多様性を示す貴重な事例である。
養久山から北に約7~8kmにある揖保川嘴崎屏風岩にも行ってみた。
左岸、屏風岩南端付近の河原に降りると、すぐ南側に姫新線鉄橋が渡っている。
揖保川の水量は地形図ほどではなく、屏風岩の前は広い河原で、すぐ前の水溜まりには鯉が数十匹取り残されていて、白鷺の大群が取り囲んでいた。中州の潅木にも鈴なりにとまっており、白鷺のサンクチュアリのようだ。
用心深い白鷺たちは、カメラを向けるまもなく、さーっと飛び立ってしまった。
嘴崎屏風岩
指定名称:觜崎ノ屏風岩(はしさきのびょうぶいわ)国指定・天然記念物
http://www.city.tatsuno.lg.jp/bunkazai/shitei_bunkazai/byoubuiwa.html
新宮町觜崎と神岡町大住寺(だいじゅうじ)にまたがるこの山丘は、全山ほとんど流紋岩質凝灰岩(りゅうもんがんしつぎょうかいがん)でできているが、一部に安山岩(あんざんがん)が入り込んでいる。
長年の侵食作用によって、弱い流紋岩質凝灰岩の山丘は、しだいに削られ、かたい安山岩だけが取り残され、屏風を立てたように見える。
8世紀の『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』にも記され、古来より注目されてきた珍しい天然の造形である。
車に戻って来ると、もう一台来ていた。
同年輩で、投げ釣りの練習に来たと仰っていた。
聞いてみると、競技会があるそうで、先年も栃木の大会に出場したそうだ。
色んな趣味があるものだなぁと感心した。(18)