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宍粟市山崎町 国見山(465m) 2015年9月15日(火) 地図
1:国見山
(金谷から)
2:国見の森公園
3:モノレール
4:北・展望台
5:北側の展望
6:国見山頂上
7:国見山頂上展望台
8:北側の展望
(左手前が北展望台)
9:北東方向
10:東側(蛇行する揖保川)
11:金谷山部古墳
12:同 上部
13,14:比地の滝

兵庫県宍粟市山崎町 国見山(465m) 宍粟50名山

行程(周回約7km)
国見の森公園(9:00)==北展望台(10:15)==国見山頂上(10:45)
==319m三角点(11:30)==金谷山部古墳(12:00)==国見の森公園(12:35)

比地の滝往復 約1km

兵庫県立国見の森公園を起点に、国見山を周回した。
さほど高くない山だが、公園の交流館で登山届けが義務づけられている。
登山道は良く整備されていて歩きやすい。
 カーブミラー
モノレールはウイークデーのためか動いていなかった。


頂上から東側の山部古墳にいたるコースは、歩く人が少ないのか、草が蔓延ってきていた。こちらも丸木階段で整備されている。

頂上には展望櫓があり、北西から東にかけて眺めが良かった。
山名のパネルも掲示されて、かつて登った山々も眺められた。

東側に共同墓地の一角に金谷山部古墳がある。
石棺の開口部はなかった。以下石碑文より====
昭和五十一年十二月共同墓地造成工事中に発見された。
五世紀中頃の円墳。長径二十メートル、短径十四メートルのなっぼくに長い楕円形、高さ約一、五メートルある。
「播磨国風土記」宍粟郡の条に孝徳天皇の時代、揖保郡と分けて宍粟郡とするとき山部比治の努力が大きかった。
その功によって山部比治は里長となり里の名を「比治里」と名付けたとある。
この古墳のある金谷地区は比治里の中心地と推定されているため金谷山部古墳と名付けられるに至った。
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国見の森公園そばの谷川を500mほど遡ると比地の滝がある。


交流館に帰着の報告をすると、宍粟市内の温泉半額券が貰えた。
まだ時間も早いので、「伊沢の里」で脚をほぐして帰った。