1:国見山 (金谷から) 2:国見の森公園 3:モノレール 4:北・展望台 5:北側の展望 6:国見山頂上 7:国見山頂上展望台 8:北側の展望 (左手前が北展望台) 9:北東方向 10:東側(蛇行する揖保川) 11:金谷山部古墳 12:同 上部 13,14:比地の滝 | |
昭和五十一年十二月共同墓地造成工事中に発見された。=================================
五世紀中頃の円墳。長径二十メートル、短径十四メートルのなっぼくに長い楕円形、高さ約一、五メートルある。
「播磨国風土記」宍粟郡の条に孝徳天皇の時代、揖保郡と分けて宍粟郡とするとき山部比治の努力が大きかった。
その功によって山部比治は里長となり里の名を「比治里」と名付けたとある。
この古墳のある金谷地区は比治里の中心地と推定されているため金谷山部古墳と名付けられるに至った。