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兵庫県宍粟市一宮町 銅山(954m) 2014年11月14日(金)  地図
1:ケヤキ林
2:人家跡?

尾根の展望
3:北西:氷ノ山
4:東:須留ヶ峰
5:北東:御祓山
6:北:但馬妙見山

7:銅山(右)、藤無山(左)
8:須留ヶ峰
9:南:水上山
10:東:大路山

11〜13:黄葉

14〜17:倉床川源流

11月14日(金) 曇時々晴れ

宍粟市一宮町(養父市大屋町境界) 銅山(954m) 宍粟50名山

行程;倉床川そばの空き地を起点とする時計回り周回約8.7km
起点P(9:00)==精錬所跡(9:20)==尾根P950(10:45)==銅山(11:25)==銅山界標石柱(11:30)==大路越え手前(昼食)==大路越え(13:10)==作業道(13:25)==倉床川源流標識(14:05)==起点P(14:15)

この日の天気は、兵庫県南部は晴れ、北部但馬地方は曇ところにより雷雨となっていた。
銅山は丁度中間辺りになり、尾根に上がると冷たい風が吹いていた。体感では7度前後か。
急斜面を登り汗もかいたが、尾根歩きではまたジャンバーを引っ張り出して着た。
尾根の樹木はすっかり落葉していたが、所々紅葉が見られた。
展望は樹木越しで、時期的にはよかったと思う。

宍粟50名山ガイドに拠れば、「銅山はその昔、銅鉱山や精錬所があり、奈良の大仏鋳造の際、銅を献上したと伝えられている」とあった。
作業道そばに精錬所跡の標識があったが、僅かな凹みでそれらしいかな判る程度で自然に還りつつある。また山中にも鉱山跡の標識が谷底の方を指していたが、よく判らなかった。




銅山三角点、樹木に囲まれ展望はない。


銅山山頂の東側尾根に「山字銅山管××」裏面に「界標第六拾」と書かれた古い石の標識があった。


東側の「大路越え」は、「鉱山の盛んな時代、但馬の古屋と結び、古屋の紡績工場で働く人や大屋市場へ行くのにも越した、忘れかけた先人達の遺産」とあった。
今は山歩きの人や杣人がやっと通れるほどの道で、古道があったとしても嶮しい山越えであったろうと思われた。

そこを過ぎるとまた作業道に出た。余り使われていないようでコケや草が生え始めていた。


揖保川支流、倉床川源流の標識

帰路、まほろばの湯に寄った。
近くの遺跡公園では高峰などの山々を背景に古代から中世の家が再現されていた。