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鳥取県三朝町 三徳山三佛寺・投入堂(500m) 2014年9月10日(水)  地図
弓ヶ浜
1:夜明けの弓ヶ浜
2:同 大山は雲の中

水木しげるロード
3:鬼太郎君の下駄
4:鬼太郎
5:目玉おやじ
6:ねずみ男
7:小豆とぎ
8:懐かしい駄菓子屋さん
境港
9,10:いか漁船
11:大型船岸壁の飛鳥II

三徳山
11,12:本堂へ
14:文殊堂と鎖場
15:地蔵堂
16,17:投入堂
18:県道傍の遥拝所からみる投入堂

14,15の写真は青年君にいただきました。

鳥取の旅 2/3

9月10日(水) 晴れ
弓ヶ浜===境港・水木しげるロード==北条砂丘===三徳山三佛寺・投入堂

弓ヶ浜PAで朝を迎えた。夕べの月と同じ所に朝日が昇った。
写真のお目当てにしていたのだが、残念ながら大山は雲がかかっていた。
境港の水木しげるロードに行ってみた。
早朝の閑散とした通りの両側に青銅の鬼太郎キャラクターが並んでいる。
祭日には沢山の観光客で賑わうことだろう。
漫画家水木しげるさんの「ラバウル戦記」「猫楠(南方熊楠の生涯)」「ねぼけ人生」など読ませてもらった。
ラバウルで左手を失われたが戦後は様々の職業を経て漫画家になられた。
子供の頃、鬼太郎の原形のような絵の紙芝居を見た記憶がある。

国道から郵船クルーズ船「飛鳥II」が見えた。
傍に行って見ようとしたが、付近が工事中立ち入り禁止で警備員が一般公開は午後2時からとのこと。

国道9号線に戻り、海岸沿い東に向かう。結構な交通量だった。
道の駅大山めぐみの郷で弁当を調達、さらに東に交通量の少ない旧国道9号線をゆっくりと走る。鄙びた北条砂丘に立ち寄る。
穏やかできれいな海、今はもう秋、誰もいない海、遠くに釣り人が見える程度。

これ幸いと浜に車を乗り入れ、海水浴をした。
海水浴は、子供が小さい頃、明石の海岸に連れていって以来十五年か二十年ぶりぐらいか。
そのまま日がな一日甲羅干しをしたい気分であった。


北条砂丘から南に折れ、三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)に向かった。
峻嶮な行場の奧にある投入堂(なげいれどう)を一目見るために・・・・
駐車場で腹ごしらえ、本堂に向かう。
拝観受付で「投入堂へは単独では入山できません」とのお言葉。
「滑落事故が何度も起きており、警察からのお達しです、どなたかとペアで登ってください」という。
正午を回っており他に入山者がいるかどうか、とりあえず本堂まで行ってみた。
思案顔の青年がいたので声をかけてみると、やはり一人で来たとのこと。
「私はこの通りのジイさんで早くは登れませんがいいですか」
「ええ、もちろんです、私も独りで来てどうしようか迷っていたところです」
「よろしくお願いします」
早速受付で申し込む。
ノートに住所氏名、緊急連絡先などを書き込む。

ロープや鎖、木の根っこを掴んで登らなければならないのでストックは預かりますとのこと。
不要ならば畳んでリュックに入れたいところだが、素直に預かって貰うことにした。
登りはともかく、急な下りではストックを使い三点支持で降りる場面が多かろうと不安ではあったが、行場の掟とあらば致し方ない。

受付を過ぎるといきなりロープが下がった急斜面が始まった。
提げていたカメラもリュックに入れ両手を明けて登りにかかった。
青年は身長176cmの私よりも背が高く180cmを超えるだろう。足取りもしっかりしており、直ぐに経験者であることがわかり、先行して貰った。
聞いてみると岐阜県を早朝立ち鳥取まで列車で、あとはレンタカーで三徳山へ来たとのこと。
南アルプスや大峰山奧駆けも歩いたことがあるというベテラン、願ってもない相棒、嶮しいところは引っ張り上げてくれた。

いくつかのお堂を通り過ぎ、岩や木の根っこを掴んでよじ登り、汗だくでようやく投入堂についた。
絶壁のやや窪んだ所にミニチュアの清水の舞台のようなお堂があった。
その昔、役行者が投げ入れたという伝説がある。投げ入れたとしか考えられないような場所、どのように建築したのだろうか。

標高500m位だが、周囲の嶮しい風景で高度感は増幅される。
しばらく休憩、互いに記念撮影を撮りあって下山を開始した。


夢中で上ばかり見て登ってきたのだが、下りは怖い。
しばしば斜面に這いつくばったり、腰を落として降りる場面が多かった。
そして終盤、カズラ坂と呼ばれるあたりだろうか、ついに大失敗をやらかした。

高さ2m程の岩の斜面で起きた。
青年君は右側を先行していたが、並行して私は左側のV字形の溝の底に細い靴幅ほどのステップを辿っていた。
山歩きではありふれた斜面であったが、左足の靴先が引っかかったようだ。
あっというまに前につんのめり転倒した。
前頭部をガツンと岩に打ち付け、「ああ、やってしまった」と思いながらもしばらく動けなかった。
先に降りていた青年君がかけよって起こしてくれた。
身体をかばった右肘、右足の脛が擦りむけて血が滲んでいた。頭も帽子を被っていたので擦り傷程度で済んだ。
化繊の登山ズボンは摩擦に弱いらしく、破れていた。

持っていた救急絆を貼ったが砂まみれでくっつかない。
山歩きでスリップして尻餅をつくことはあっても、こんな前向きに頭から転倒したのは、記憶にない。
運良く擦り傷程度ですんだ。骨折でもすれば相棒の青年君に大迷惑をかけるところであった。

気を取り直し、下山を再開した。
程なくして結界門が見えてきたときはやれやれ助かったと思った。
受付事務所で係員が消毒薬や絆創膏を出してくれ、傷口を洗ったり消毒するのを手伝ってくれた。

世話をかけてしまった青年君とは写真の送り先のメールアドレスのメモを交換して駐車場で別れた。
後日のメールでは、岐阜に帰ったら日付が変わっていたそうな。

今思えば、本堂までは中高年の旅行者が多かったが、行場道ですれ違うのは若者ばかりで、自分のようなオジンは見かけなかった。
でもまぁ、最後にコケはしたがいい相棒君のおかげで無事下山できた。
もう二度とは来られないだろう。冥途の土産なり。

手すりなし欄干もなし 落ちたら終わり地蔵堂の縁側


そして明日の予定地、鳥取砂丘に向かった。
どこか温泉によって汗を流したかったが、擦り傷もちでは諦めねばならなかった。
再び日本海沿いの9号線に出、白兎海岸の道の駅「神話の里」で休憩。
白兎神社にお参りしたかったが、足が少々痛く、ズボンも破れ汚れこのひどい格好では気が引けた。
二階にあるレストランで夕食を摂る。
そろそろ夕日が落ちる頃であったが、沖は曇。
日本海と街道を行き来する車を眺め、今日一日を振り返りながら食事した。

車中泊地点は鳥取大砂丘を少し過ぎたところにある鳥取砂丘PAにした。
トイレと自販機、常夜灯を備えた広い駐車場であった。
道の向こう側は海水浴場、周囲は松林の公園らしかった。
夕闇が迫り、付近の散策は明日にし、寝床を拵え、ビールを飲んで横になった。
雨がポツポツと降り始め、蒸し暑く、時々稲光がした。
ラジオを点けると北海道が記録的な大雨に見舞われているというニュースが流れた。

深夜、コツコツと窓を叩く音と懐中電灯の灯りで目が覚めた。
ギョッとなったが、
「鳥取警察のものです、何処へ行かれますか」と職務尋問
「旅行中です、明日は帰るつもりです」
「変な奴がおりますので気を付けてください」
「はい、わかりました」
北朝鮮へ拉致された人たちもこんな状況からだったと思いだし、
自分のようなジイさんでは何の役にもたたず、名前だけ利用されるクチか、
窓をたたき割って盗る金など知れている・・・
などと考えているうちにまた眠ってしまった。

三徳山三佛寺↓
http://www.mitokusan.jp/

三佛寺 Wikipedia↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BB%8F%E5%AF%BA

まさにこうだった、よく撮影されている。
投入堂(国宝)に辿り着くまで ーーYouTube動画ーー ↓
http://www.youtube.com/watch?v=6gtJiOYiD7I