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和歌山県 熊野古道中辺路 大雲取越 那智山→小口
2014年4月17日(木)
地図
1,2:那智の滝
3:熊野権現
4:古道へ
5:道標
6,7:舟見峠
8:勝浦方面の展望
(太平洋は霞んで見えず)
9:大雲取地蔵尊
10:古道と大岩
11:斎藤茂吉の歌碑
12:円座石
13:小口の里
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熊野古道中辺路三日目、大雲取越を歩いた。
熊野本宮前から那智山へは「権現前」バスを乗換えるが、連絡が悪くどうやら出た後らしかった。
JR新宮まで歩き次の那智山行きバスに乗った。
古道歩きの出発は一時間遅れになった。
行程(17.8km)
那智の滝(10:00)==那智大社、青岸渡寺拝観==古道入り口(10:50)==登立茶屋跡(12:20)==
舟見峠(13:30)==大雲取地蔵(15:15)==斎藤茂吉歌碑(15:55)==越前峠(16:25)==楠ノ久保旅籠跡(17:30)==
円座石(18:05)==小口(18:20)
ガイドブックの標準所要時間は7時間のところ、滝見物や拝観も含め8時間かかってしまった。
大雲取越は熊野古道でも難所と云われている。昔は旅人が行き倒れたりした。
田辺の偉人、南方熊楠も若かりしころ那智山を植物採取で徘徊し、ダル(妖怪)に取り憑かれたとか。
が、いまは古道につかず離れず林道が通じている。
越前峠から小口に至るところも石畳が延々と続き、下っても降りてもなかなか行き着かす、日暮れまでに到着できるかと焦りを感じながら急いだ。
途中にいくつかの歌碑や句碑が建っていた。
「
紀伊のくに 大雲取の 峰ごえに 一足ごとに わが汗はおつ
」 斎藤茂吉
那智から小口に向かって歩く人は自分の前後にはいなかった。出会ったのは小口から那智に向かう人ばかりであった。
<一期一会>
舟見茶屋跡で休憩していると、青森から来た同年輩に会った。
一寸会話の後「大往生を目指して、ただひたすら歩くのみ、有り難う御座いました」と云う。同感。
今思えば、ストック(杖)も無し、あの小口から越前峠の長い坂を登ってきたにしては元気な歩きっぷりだった。
前日のスイス人二人組にまた出会い、「やぁ、また会いましたね」と挨拶を交わした。
イギリス人熟年夫婦三組のグループに会った。自分の英語力は中学生以下、拙い英語で「どちらから?」、「良いご旅行を」と云うと(おお、とにこやかな表情で)「貴方もね (You too)」と口々に云ってくれた。
きっと彼等も冥途の土産つくりに遙々と熊野を選んできたのだと思うと心温まる思い。
やっと小口に到着し、ここで本宮行きのバスに乗るつもりだったが、時刻表の記憶違いで、バスはもうなかった。
近くの民宿を訪ねようとも思ったが、着替えは全て車の中、「夜道に日暮れ無し、国道まで歩いてみよう」と意を決して歩き出した。
日はとっぷり暮れ、街灯の少ない車道をポケットGPS画面の明かりを懐中電灯代わりにした。
山が迫ったところで鹿が警戒音を発していた。
5kmほど歩いたところの椋井で家から散歩に出てこられた方があった。
お庭に車二台が見えた。ダメ元で「国道までまだだいぶんありますか、バスに乗り遅れました、本宮まで送っていただけませんか」と頼んでみた。
「国道まで30分ぐらいかな・・・、一杯飲んでいるので、乗れないんですよ」
夕食も済んでゆっくりされている時間帯、こんな虫のいい頼みをする方が間違っている。
「わかりました、有り難う御座いました」といって歩き始めた。
しばらくすると、後ろの方で「おーい、一寸帰ってきて、家内の車で送らせます」と声がした。
(えっ、何とありがたい)本宮まで17〜8kある。このまま歩いたとしても、夜中の〇時でも行き着けるかどうかわからないところであった。
奥様の運転、ご主人も同乗して本宮河川敷駐車場まで送って下さった。
さらに真っ暗な土手まで懐中電灯で足下を照らして下さった。
お礼をしようとしたが、頑として拒まれた。
ご夫婦の親切は一生忘れられない思い出となった。
延々と三日間歩いた熊野古道中辺路、帰って来るとなんだか夢のようだ。
だが歩いた証拠がある。
無事帰ってこられたのもこれのおかげ
熊野古道 コース案内↓
http://www.hongu.jp/kumanokodo/