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和歌山県白浜海岸 2013年12月26日(木)
1〜8:千畳敷

9〜10:三段壁

11〜13:円月島

鳥の巣泥岩岩脈
14,15,16:神島、
17,18:小谷の鼻
19,20:自然の造形

12月26日(木) 曇のち雨

25日午後、仙人風呂で温もった後、白浜に来た。
海岸の防潮堤に車を駐めて車中泊。
夜中は星空が見えていたが、今朝起きると昨日とは打って変わって曇空。


早速行動開始。まずは千畳敷に行ってみた。
山側から海になだれ込むように砂岩地層が広がっている。
地層の文様がおもしろい。
岩の先端では早朝から太公望が出ていた。
千畳敷に降りてカメラでパチパチやっていると
「大将、いいのが撮れますか」と声をかけられた。
「いやいや初めて来たもんで、おはようさん、いい景色ですね、どちらから」
「池田から・・ウツボを釣りにね、でもね足が弱くなってね」
「そうですか、おいくつですか」「78」
「このあたり年々姿が変わっているよ、あの長ーい岩もだんだんと海の方にずり落ちてるんだよ」
「へー、そうですか」
「今日は北西の風がもう少し強いと釣れるんだがなぁ」
若いころは山の中の堰堤などのコンクリート工事にたずさわったとのこと。いろんな方がおられる。

「ボクはこれから三段壁のほうにまわります」
「ああそう、自殺の名所だね、ここから1kほど、交差点のすぐわきに駐車場があるよ」
「そうですか、ありがとう、じゃぁお気を付けて」

三段壁、円月島、鳥の巣泥岩岩脈も同様の砂岩地質のようだ。
波浪や風雨の浸食で様々な奇観をなしている。


神島は田辺の偉人南方熊楠が生物学者でもあった昭和天皇陛下をご案内した。
Wikipedia======
1929年(昭和4年) - 紀南行幸の昭和天皇に田辺湾神島沖の戦艦長門艦上で進講。粘菌標本を天皇に献上した。進講の予定は25分間であったが、天皇の希望で5分延長された。献上物は桐の箱など最高級のものに納められるのが常識だったが、熊楠はキャラメルの空箱に入れて献上した。
1930年(昭和5年)6月 - 天皇行幸を記念して自詠自筆の記念碑を神島に建立する。
1935年(昭和10年)12月24日 - 神島が国の天然記念物に指定される。
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剛胆かつ繊細、波瀾万丈の物語は、神坂次郎著「縛られた巨人・南方熊楠の生涯」で読んだことがある。
「南方熊楠記念館」行ってみたが、木曜日は休館だった。

一巡後、白浜に戻りクエ料理亭で食事した。
そしてやはり一番白浜らしいとおもわれる海岸露天風呂の「崎の湯」に入った。


駐車場は10台程度、 入湯料金は400円、「番台も兼ねていますので券は発行しません」と元気なお姉さんが云った。
脱衣所から崖をおりていくと、大きな潮だまりのような岩を穿った浴槽がある。その向こうはもう波打ち際だ。
ここも熱め、よく温まる。昨日入った仙人風呂のように熱すぎることもなく、温度も一定していた。

先客は二人ほど。同年輩の一人が声をかけてくれた。
「どちらから」
「神戸から、昨日は中辺路の方を回ってきました、夕べはこの近くで車の中で寝ました。(おたくは)地元ですか」
「ええまぁ、50年ほど東京に居りましたが、定年になり5年前こちらに来ました」
物価も安いし空気もいいしと満足そうであった。

湯から出る頃、ポツポツと雨が降り出した。
トンネルの多い阪和道、シャワーのような雨の中、高速道路で帰宅した。

 「 一人旅 ナビ子の指示に 返事をし 」