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兵庫県宍粟市 荒尾山(1108m) 大甲山(1035m)
2013年7月11日(木)
地図
1:荒尾山(左)と大甲山
(国道429号線から)
2:鳥ヶ乢記念広場
3:白雲山日光寺跡
4:石仏
5:細尾山(811m)
6:緑陰の尾根
7:荒尾山山頂
(西隣の植松山)
8:国道29号線(因幡街道)
9:大甲山山頂
(日名倉山(奧)と荒尾山の稜線)
10:南側の展望
11:西側の展望
(日名倉山(奧)と荒尾山の稜線)
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7月11日(木) 晴
兵庫県宍粟市 荒尾山(あらおやま1108m) 大甲山(おおこうざん1035m) 宍粟50名山
今年は梅雨入りが例年よりも早かったが、その分梅雨明けも7月8日と早まった。
市街地は連日30度を超す猛暑になっている。
何処に居ても暑い、どうせなら山に行ってみようと腰を上げた。
登山口は鳥ヶ乢トンネルの東側手前を左折し旧国道に入っていく。ちょうどトンネルの上辺りに広場があり起点にした。
峠には宍粟環境美化センターがあるが今年3月に廃止になったとのこと。そのためか通る自動車もなく、人影もない。
広場と道路には夏の日射しがジリジリと照りつけている。
荒尾山、大甲山の稜線歩きは、ほとんどが松林か杉桧の植林地帯の中だった。
特に午前中は涼しい風が吹き抜けて長い登り道もさして苦にならなかった。
小鳥の声、梢を渡る風の音を友にボチボチと登っていった。
但し、午後は風も止んで、さすがに暑い下りとなった。
広場に帰着し、人っ子一人居ないのをこれ幸い、裸になって汗を拭き着替えた。
荒尾山の展望は西側だけで、いつか登った植松山が直ぐ近くに見えた。植松山への縦走路の標識があった。
大甲山の展望は、南東から西にかけて広々として気持ちがいい。荒尾山からは一端下りがあって登り返す必要があるのだが、この展望の良さで納得した。
行程(往復8km)
往路
鳥ヶ乢記念広場(8:30)==白雲山日光寺跡、石仏(8:45)==細尾山811m(9:15)==荒尾山頂上(10:30)==大甲山(11:20)昼食
復路(登った道を下りる)
大甲山(12:00)======鳥ヶ乢記念広場(14:25)
鳥ヶ乢(トリガタワ)の由来 記念広場プレートより
「その昔、千種町岩野辺と波賀町斉木の境界の峠に観音様をお祀りしたお堂があり、両町から村人が参っておりましたが、ある日、双方の村人がお互いに自分の村にこの観音様を持ち帰りお祀りしたいといいだし、この峠で話し合ったがどちらも譲らず夕方になっても決着が付かないので古老の提案で、明日の朝一番、鶏の声を合図に村を出て早くここに来たほうが連れて帰ることで話し合いがつき、夕闇の中、それぞれ村に帰っていきました。
岩野辺の人々が山をおり高橋のところまで帰ったとき、急にあたりが夜明けのように明るくなり大石の上で黄金の鶏が目前に現れ大きく羽撃き、「コケコーロ」と天に向かって鳴いたので村人は大変不思議なことが起こったと驚き、これは、観音様が岩野辺に来たいというお告げに違いないと、早速引き返して観音様を大切に持ち帰りお祀りしたそうです。
これが現在、岩野辺福海寺の本尊だと言われており、その頃からこの峠を「トリガタワ」と呼ぶようになったそうです。」
トサカをあしらったモニュメント
白雲山日光寺跡標識の文字
「福海寺快尊上人により植松山福聚寺をここに遷座し白雲山日光寺として観世音菩薩と薬師如来を祀る。
永録年中波賀七郎代に焼失」
永禄:1558〜1569室町時代の頃