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神戸市北区 古寺山(636m) 2012年5月8日(火)  地図
古寺山へ
1:東山橋登山口
2:山の神石
痩せ尾根から
3:逢ヶ山
4:唐櫃東ランプ
(神戸高速七号線)
5:岩を抱え込む松
6:痩せ尾根脱出
山上へ
7:表参道三叉路
8,9,10:清盛の涼み石
11,12:展望岩から
13:史跡
 左上:護摩壇跡
 右上:井戸跡
 左下:本堂跡
 右下:井戸谷東尾根道
14:古寺山
(多門寺霊園から)

5月8日(火) 晴れ
神戸市北区有野町 古寺山(636m)

行程(休憩時間含む)
逢山峡東山橋(10:00)==山の神石(10:15)==痩せ尾根(10:35)==
三叉路(11:25)==山頂・清盛涼み石、展望岩(11:35〜12:15)=井戸谷東尾根=
林道出会い(13:00)==逢山峡東山橋(13:30)

当日の二日前(日曜日)古寺山と逢山峡を周回できるコースがないものか、バイクで下見に行った。
唐櫃台側の登山口がはっきりしないので、北側の逢山峡東山橋に回ってみた。
河原からバーベキューなどを楽しむ家族連れの歓声が聞こえていた。
尾根の取っつきを探してみると、はっきりしないもののなんとか行けそう。
早速帰って、GPSにウエイポイントを仕込んだ。

当日
登山口東山橋近辺にバイクを駐め登山開始。
GPSを頼りに尾根筋に取りつく。
ところが、警察署の「松茸山につき入山禁止」の標識。こりゃ困った。
あたりを見ると山林所有者お手製の板の標識に同じ事が書いてあったが「9月1日〜11月10日まで」の期間が指定されていた。
 
いろいろ解釈はあろうが、この期間以外なら登山可能と解釈し登らせていただくことにした。

どうやら歩く人は少ないらしく、テープ標識は見つからずあたりを探すと、「山の神石」があった。少し広々とした所で、尾根筋に向かってに踏み跡らしきものが見えた。
GPSが指す方向でもあるので、雑木をかき分けたりくぐったりして進んだ。

高度を上げるにしたがって、所々テープ標識が見つかるようになった。
はっきりとした痩せ尾根に出たところで少し展望が開けた。
北東側に逢ヶ山がこちらを見下ろしている。北方向に神戸高速道の唐櫃東ランプも見えた。
岩を抱え込んで風雪に耐える松がところどころ見られた。
身体の向きを変えるのも慎重を要する痩せ尾根は、およそ200mぐらいか。
それを過ぎると、おだやかな尾根となり、表参道とよばれる歩きやすい道に出た。
山道もよく整備され、所々ビニール袋に入った手書きの地図も掲示され有り難かった

古寺山の歴史は古い。
孝徳天皇の頃(645〜654)に創建された。
平清盛の福原遷都の際(1177〜1180)、古寺山が鬼門の方角にあたるので、新都の守護寺として大いに栄えたが、一ノ谷の合戦後衰え、寛正三年(1462)今の多聞寺(古寺山の北西、神鉄六甲駅北側)に移された。
==ネット検索情報より==
山上には「清盛の涼み石」と呼ばれる大石がある。
上に乗って見たが、展望は周囲の樹木のため遮られている。
そこから20m程西に展望岩がある。有馬街道沿いの町並み、阪神高速7号北神戸線が見下ろせた。
南方向には平家滅亡の地となった須磨・淡路島方面まで見えるはずだが、花曇りの靄がかかっていた。

大石の付近には、本堂、護摩壇、井戸の遺跡の標識があったが、樹木、土や落ち葉に埋もれ平凡な山の景色となっている。
お寺の変遷もさることながら、平氏隆盛の頃平時忠(平清盛の義弟)は「平家にあらずんば人にあらず」と云ったとか。
あまりにも有名な平家物語の冒頭。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ