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篠山市・丹波市境界 金山(540m) 鐘ヶ坂峠 2011年12月10日(土) 地図
1:追入神社登山口
2:登山路途中
3:朝の篠山市方面
 (高度400m付近から)
4〜6:廃寺
7:尾根道 馬場跡
8〜10:鬼の架け橋
11:同上から北側の国道176号線
12〜13:金山頂上(金山城趾)
14:樹間越し(三尾山・黒頭峰・夏栗山)
15:北側:黒井城址
16〜18:篠山大乗寺林道(獣害よけネットが続く)
19〜20:大乗寺
21〜22:追手神社の千年樅
23:大山集落から見る金山

12月10日(土) 曇時々晴れ
久しぶりの晴れ間、7:40自宅を出て丹波の金山(540m)に向かった。
丹波に入ると、細かい雨に雪が混じってきた。
天気図は弱い冬型で雨雲はなかった。例によってこの地特有のお天気らしい。
追入神社登山口に来ても、晴れる様子はない。時間つぶしに、周回コースの終わりにしている南側の大乗寺に回ってみた。

車を駐め、思案していると、地元の方らしい同年輩が通りがかった。
「お湿り程度でしょう」という。
ハイキングに来た事などを話すと、今年いっぱいで大乗寺側の登山口は閉鎖するとのことであった。
理由は

1)鹿や猪の獣害でネットを張り巡らしているが、登山者やハイカー用にゲートを作っていても、出入りのあと開けっ放しにしてしまう。
2)鹿や猪だけでなく、このごろアライグマも出没するという。

アライグマは外来種だが、ペットとして飼われていたものが山に棄てられ、繁殖しているらしい。
周囲を見渡すと、山林はもとより畑という畑にはすべてネットで囲われている。
不注意なハイカーが地元の方々に迷惑をかけているとしたら心が痛む。

山では、若木には鹿よけの筒状のネットが被せてあった。また、山中や林道沿いには延々とネットが張られ、万里の長城状態だ。
狩猟日には一人で20頭ほどの猪を仕留めるという。
なぜこれほど鹿や猪が繁殖するのであろうか。
兵庫県の山々を歩いたが、鹿、猪も確かによく見かける。丹波のこの山でも同じ事らしい。

いろいろ話をうかがっている内に、上空に青空がのぞいた。
御礼を云って、追入神社登山口に戻った。

行程
追入神社登山口(10:20)〜大乗寺コース出会い(10:40)〜廃寺跡(10:55)〜頂上手前三叉路(11:05)〜
鬼の架け橋・頂上(11:10--12:00)〜(大乗寺林道)〜大乗寺(12:30)〜追手神社千年樅(13:00)


このあとちょっとした想い出のある鐘ヶ坂トンネルに向かった。
鐘ヶ坂には、明治・昭和・平成と三代のトンネルがある。一個所に3本あるのは珍しいそうである。

=== 鐘ヶ坂の想い出 ===
家業を手伝っていた頃、私は20才前後だったろうか。
製パン用食品を商っていた父と丹波地方を1トントラックで回っていた。
もうその頃は運転を任されていた。
日もとっぷり暮れて、大粒の雨がフロントガラスを叩きつけていた。
柏原町から篠山に抜けるこの鐘ヶ坂トンネルにさしかかった。
当時はまだ「明治」トンネルの時代であった。しかも地道、泥濘始めていた。
目の前は左右に動くワイパーとヘッドライトに浮かぶ激しい雨脚とわずかに見える道路だけだった。
道幅も小さなトラック一台が通れる程度だ。

急坂になったところで、後輪がスリップした。泥濘にはまったらしい。
半クラッチやブレーキ、ギアチェンジを繰り返し、車を前後に揺らしながら登坂を試みるが進まない。
父が膝をにじらせているのが目の隅に入っているが、ここで車を止めればズルズルと坂を滑り落ちるだろう、交代するわけにはいかない。
そうこうするうちに、車は横方向にも振れだした。右側は崖だ。当時はガードレールもなかったと思う。
車が道路と並行になるようにハンドルをじりじりと合わせた。

この間、とても長い時間に思えたが、実際は1分もなかっただろう。
なんとかタイヤが足がかりを掴んだらしく、脱出した。
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その後、昭和トンネルができ(1967年)、平成トンネルができた(2005年)。
旧道は鐘ヶ坂公園として遊歩道になり、山茶花の並木が植えられている。
急坂とおぼしきあたりはその後アスファルトになったようで、ひび割れて残っている。
今見ればなんということない坂道だ。
傍らにお地蔵さんがあった。転落した人でもあったのだろうか。
wikipediaによれば、明治トンネルは心霊スポットとか。

三代トンネルと鐘ヶ坂峠

昭和トンネルの丹波市側入り口の右側から明治トンネルへの旧道が残っている。
今はのどかな遊歩道になっていた。またその途中から、鐘ヶ坂峠への古道も残っていたので、往復してみた。
一帯は鐘ヶ坂公園として整備され、桜の木も多く春は見事なことだろう。


平成トンネル(2005完成) 全長1012m

昭和トンネル(1967年完成) 全長455m、幅員7.5m

明治トンネルへの旧道
 明治トンネルへの旧道

明治トンネルへの旧道

明治トンネル 1883完成

トンネル内部
全長268m。幅員3m。使用されたレンガは約28万枚。総工費は4万円(当時)。レンガ積み工法のトンネルとしては日本最古で(現存する道路トンネルとしても日本で5番目の古さ)、篠山市側には有栖川宮熾仁親王の揮毫による『事成自同』、丹波市側には太政大臣三条実美の揮毫による『鑿山化居』と記された銘板がそれぞれ掲げられている。1883年10月に当時農商務省の大臣だった西郷従道も出席して開通式が行なわれた。 開通後、高度経済成長期まで使用されたが、モータリゼーションの発達に伴い自動車の通行に不便なこのトンネルに代わり1967年、昭和トンネルが開通したため閉鎖され、通じる道路も放置されていたが、近年、文化財的価値が見直されて周辺の整備が進み、現在では近くの鐘ヶ坂公園で毎年行われる桜祭りやもみじ祭りなどのイベントの際に開放されている。(WikiPedia)

土木学会遺産プレート

傍らのお地蔵様
寄付顕彰碑
寄付総額1万4,911円の文字が見えました。
総工費の37%を寄付で賄った、民間の熱意。

鐘ヶ坂峠。丁度平成トンネルの真上あたりに位置する。

鐘ヶ坂公園

旧167号線さびれた「鬼の架け橋展望所」

展望所から見る「鬼の架け橋」(望遠レンズにて)