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丹波市 石戸山(549m)、岩屋山(506m)、高見城山(485m) 2007年11月26日 概略地図(柏原[南西]より)
1〜3:山門  石龕寺 縁起
4:毘沙門堂
5:持仏堂(奥の院参道から)
6:奥の院拝殿
7:足利(義詮)将軍屋敷跡
8:岩屋山(尾根道から)
9:金屋鉱山跡
10:岩屋城堀切跡
左方向:岩屋城址(山) 右方向:石戸山
11:石戸山
12:スレート状の鉄平石
13:高見城への稜線
 左上:稜線の古い境界石 右上:西側の篠が峰
 左下:石戸山を振り返る 右下:丹波の森公苑への分岐
14,15:高見城山
==高見城からの眺め==
16:北・氷上、柏原方面(拡大
17:北東・向山連山、石生
18:東・篠山方面
19:南・西光寺山(西脇)
20:岩屋山
 左上:頂上の祠 右上:二番目の堀切跡
 右下:岩山から剥がれる松
21:石龕寺への下り
  

 先日(22日)天気の読み違いで引き返したあの石戸山に向かった。お天気は薄曇りで、丹波霧のお出迎えもなく快適な走行だった。ただ山からの眺望はうす靄がかかり秋晴れとはいかなかった。
 石龕寺から裏山の石戸山往復だけでは少し物足りないので、尾根歩き(高度差はあるが)で高見城山まで往復した。
 石龕寺〜2.1km〜石戸山〜3km〜高見城山 の道のりである。

 自宅(8:00)=岩屋山石龕寺駐車場(9:40)
 毘沙門堂(10:10)〜奥の院大漕参道〜奥の院(10:50)〜頭光嶽439m(11:00)〜金屋鉱山跡(10:30)〜岩屋城堀切跡(稜線)(11:45)〜石戸山549m(11:50)〜古い境界石(12:40)〜丹波の森公苑分岐(13:10)〜送電鉄塔下(13:15)〜(13:30)高見城山485m
 高見城山(14:10)〜同じ道を引き返す〜石戸山(15:20)〜岩屋山(岩屋城跡)506m(15:30)〜里山林遊歩道〜焼尾神社(16:40)〜駐車場(17:00)
 石龕寺駐車場(17:30)=丹波市立薬草薬樹公園リフレッシュ館(温泉)=帰宅(20:00)
 バイク走行距離 135km
 石戸山登山口のある石龕寺は丹波の古刹で紅葉祭りの幟が沿道に旗めいている。
 無料の駐車場も完備され、地元の方が土産物を並べたり入山料の世話をしたりされている。
 境内の紅葉は見頃を迎えていた。同窓会だろうか、年輩女性のグループのさんざめきが聞こえていた。この3連休(23〜25)は天気もよかったのでさぞかし賑わったことだろう。

 奥の院参道にはいると人影はなく、石戸山から高見城山を往復し再度石龕寺に帰ってくるまで誰にも会わなかった。
 高見城山からの眺望が一番良く、先日登った五台山や向山連山、篠山の三尾山や黒頭峰などを見渡すことが出来た。
 高見城からは北へ「丹波悠遊の森」へ抜けるコースがあるが、駐車場に帰らなければならないので引き返す。同じ道でも逆に新たな景色が展開するのだが石戸山への登りはきつかった。戦国時代はこの道を小者や間者が行き来したのかも知れない。

 石戸山からの下りは岩屋城址経由の石龕寺直通コースを辿った。岩屋山(岩屋城址)の南東側を覗くとは目もくらむような鉱山跡の絶壁である。
 岩屋山から西へ展望広場(というほど展望はない)へ向い、そこから南に降りる口が見つからず右往左往する。簡易GPSにこの地点の経緯度を入力して確認するとほぼ間違いない。よくよく見ると落ち葉に埋もれたプラスチック階段が急斜面を下っている(やれやれ)。
 日は山の向こうに落ちて谷間の焼尾神社に着いたときには暗くなっていた。境内に紅葉をライトアップする投光器がまぶしい。山門の土産屋台も片付けを始めていた。駐車場に帰ると自分のバイクだけがポツンと待っていてくれていた。

 もう日はとっぷりと暮れ、遅くなりついでにそこから5kmほど離れた薬草温泉に入って帰った。

 石龕寺(せきがんじ)  パンフレットより
 587年聖徳太子の開基と伝えられている。この年、太子は物部守屋を征伐されたが、そのとき自ら毘沙門天の尊像を刻み、兜に戴いて戦われ大勝された。ところが不思議にもこの尊像が空中に飛散した。太子はこれを求めて諸国を回られ、たまたまこの地に来られたとき、山の頂より瑞雲がたなびいているのに目をとめられ、山に分け入ると「石窟」があり、そこに求められていた毘沙門天の尊像が安置されていた。太子は感激され、一字の小堂を建てられたのが「石龕寺」の始まりであるという。