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兵庫県宍粟市 空山(901m) 2007年4月12日 地図

1:空山登山口
 右の方に分け入ってゆく
2,3:ミツマタ
4:空山の頂上
5,6:「平成之大馬鹿門」
7:作者の銘
 作者:空充秋(そらみつあき)香川県庵治町の彫刻家
8,9:空山から大甑山遠望
 望遠レンズで大甑山の「平成之大馬鹿門」を撮す

空山の麓
10:登山口付近の棚田跡
11,12:後山
  

 「平成之大馬鹿門」に会い行く。
 このユニークな名前の建造物が山の頂上にあるという山の案内があった。関連の情報を検索すると、いきさつが面白く諧謔に満ちている。「平成之大馬鹿門」は空山、大甑山に設置されており、自分も馬鹿になって山歩きの励みにした。

 自宅からバイクで出発(5:30)ー滝野社IC=(中国自動車道)=山崎ICーR53、R72ー千種町中野山

 空山登山口(8:30)〜空山901m頂上(9:20-9:35)〜空山登山口(10:25)

 バイクで次の大甑山(おごしきやま)・後山の登山口に移動(次のスライド)

 板馬見渓谷林道終点登山口(11:00)〜不動滝(11:10)〜大甑山・一般コース分岐(11:35)〜大甑山1095m頂上(12:20- 昼食-13:10)〜後山頂上1345m(13:50-14:00)〜大甑山・一般コース分岐(15:30)〜板馬見渓谷林道終点登山口(16:00)

 ー板馬見渓谷林道ー松の木公園(16:30)ーR72、R53ー山崎IC=(中国自動車道)=滝野社ICー自宅(18:45)

「平成之大馬鹿門」 毎日新聞(夕刊)1996年 6月24日
   「暮らしのなかの仏教語辞典」(宮坂宥勝(ゆうしょう)著、ちくま学芸文庫)によると、「馬鹿(ばか)」の語源は、サンスクリット語の「モーハ」だという。「痴」の意味で、愚痴、愚妄、無明などの訳語となる。その音が「バカ」に転じ、仏典では莫迦、莫何などと書かれる。中国・秦の宦官(かんがん)、趙高が、自らの権勢を見せつけるため、シカをウマだと偽って皇帝に献上したのが語源というのは根拠のない俗説らしい。

 中世のころ僧侶(そうりょ)たちが無知なひとを侮る隠語としてバカを使いはじめ、徐々にひろまったようだ。
 浄土宗の開祖・法然上人が説いたのが「還愚(げんぐ)」の大切さ。往生極楽を願うには、ひたすら阿弥陀仏を信じ、その力にすがる必要がある。たとえ学問をきわめた知者でも、己は無知・愚鈍と自覚せよという意味だ。
 香川県庵治町の彫刻家、空充秋(そらみつあき)さん(62)が、この法然上人の精神に沿って作ったというのが「平成之大馬鹿門(へいせいのおおばかもん)」。浄土宗を建学の精神とする京都市北区の佛教大学に寄贈した。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という意味を込めて、御影(みかげ)石を五段に重ね、上の石ほど重心が下にくる構造にしてあるという。
 これに対して大学側は「馬鹿は困る」と名称変更を要請。拒否する空さんとの間でようやく合意に達したのが「返却」だった。これが「大馬鹿門」騒ぎのてんまつだ。

 空さんの行動は、かなり高度な諧謔(かいぎゃく)の精神に裏打ちされたものではあるまいか。出生数の増加傾向と、進学率の上昇で、戦後一貫して潤ってきたのが大学である。何の企業努力もしないでも、有名校の入試は難しくなり、新設校の定員も埋まった。教員たちは、クビになることは絶対にない身分保障にあぐらをかき、教育にも研究にも身が入らない。学生たちは、高校までの管理教育と、卒業後の会社人間生活の間にはさまれた猶予期間だとばかり、大学をレジャーランドに変えてしまった。
 大学に知性など感じられないという意味で「平成之大馬鹿門」を贈るというだけでも、なかなか面白い。それが法然の還愚の精神に裏打ちされているということで、諧謔は二重になる。
 案の定、大学の反応は「馬鹿は困る」だった。だからこそ空さんが用意した還愚の精神が生きてくる。建学の精神よりも、「馬鹿」という言葉が俗世間でどう受け取られるかの方を気にする――。これではレジャーランドの経営者の方がふさわしい。
 「大馬鹿門」をひき取った空さんの下には、「町おこしのシンボルにしたい」などの申し込みが相次いでいるという。騒ぎによる知名度を利用しようという精神はしたたかだが、空さんが「ふさわしい用途かどうか」と渋るのは当然だろう。  ここは一つ「わが校こそ『還愚の精神』を体現した大学」という名乗りが上がってもいいのではないか。駅弁大学どころかキヨスク大学というのだそうだ。数だけは膨大なのに、そろいもそろって単純な馬鹿のレベルではあまりに情けない。
(田中良太)

 その後、宍粟市が引き取り平成9年4月1日に山に据え付けという。市(当時は千種町)の発想も面白い。

 バイク走行距離 246km