西国第29番霊場 青葉山松尾寺 1:松尾寺への道(R564) 2,3:参道 境内 4:樹齢870年の大銀杏 説明 5:大杉 6:本堂 | |
松尾寺がその中腹に位する青葉山(699米)は、福井縣から望見すれば、東西に並び立つ双方が一つに重なり、その秀麗なさまは「若狭富士」と呼称されている。ウィークデーでもあるので寺の前にある2,3軒の茶店は閑散としていた。お参りのあと一服していると、散歩中の近所の人がはいってきて、女将さんともども次に巡る成相寺の事など教えてもらいひとときを過ごした。
富士なくば 富士とやいわん 若狭なる 青葉の山の 雪のあけぼの
この山は死火山で、昔火焔を吹き上げ、噴流は直下の日本海に注いで壮絶な水煙をあげていたものと思われる。この厳しい表情をたたえた険峻な山は、早くから修験道修行の場となっていた。
時に慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵を結ばれたのが、和同元年(708年)と伝えられる。
爾米、今日まで1290年を経ているが、その間、元永二年(1119年)には、鳥羽天皇、美福門院の行幸啓があり、寺領四千石を給い、寺坊は六十五を数えて繁栄した。当地方唯一の国宝の仏画も、美福門院の念持仏であったといわれる。 その後織田の兵火によって、一山ことごとく灰燼に帰したが、天正九年(1581年)細川幽斉の手によって復興をみ、京極家の修築等を経て、享保十五年(1730年)牧野英成によって、漸く今日の姿を整えるに至った。