私はもともと経済学部の出身ではありません。大阪・岸和田に生まれ、京都のある大学の工学部(航空工学科)を卒業した後、半分以上の学生が進学するので私もそのまま大学院に入ったのですがそのころには自然科学への関心が薄れてしまい哲学や社会学などに興味を持つようになりました。そこで大学院を一年で中退し文学部の哲学科に学士入学(三年次編入)しました。実は工学部にいる間にも理学部に転学部して物理学をやってみようと思ったり、法学部へ移って政治学を勉強しようと思ったりしたこともあります。特に法学部には転学部寸前まで行ったのですが、ある先輩に止められてやめました。さて、哲学科に入ってドイツ語でカントやショーペンハウエルなどを読み始めたのですが、その関心も長く続かず2、3か月で大学に行かなくなってしまいました。「こんなことをしていては親に迷惑をかけるばかりだ」と思い、一念発起この際就職しようと当時から発行されていたリクルートブックを参考に大阪、名古屋、東京と会社回りをした結果、東京・五反田の小さなコンピュータソフトの会社に入ってプログラマーになりました。インターネットのホームページによるとその会社は今もあり、そこそこに発展しているようです。しかも30年経った現在も同じ人が社長をしていています。当時はまだパソコンもありませんでしたし現在ほどコンピュータ教育が普及していなかったので、経験や予備知識がまったくなくても就職できました。大学院をきちんと修了していれば大学の推薦でもっと大きく有名な企業に就職できていたかもしれませんが、そうすると今の私はありません。そのようにしてせっかく就職したのですがその仕事も長く続きませんでした。1年ほど経ったころに京都にいた時の知り合いから「東京で一緒に学習塾をしないか」と誘われ、うっかりそれに乗ってしまったのです。


 経済に興味を持ち始めたのはコンピュータの会社にいた時です。当初は社会人になったので現実経済や会計の初歩を勉強しようと一般向けの経済書や簿記・財務諸表論の入門書などを読んでいたのですが、学習塾を始めたころから関心が学問としての経済学に移って行き塾の仕事の傍ら経済学の本を読んでいました。しかし体系的に経済学を学ぶつもりではありませんでしたし、ましてそれを仕事にしようなどとは夢にも思わず「趣味の読書」として読んでいただけでしたので教科書はまったく読まず、書店で見かけた有名そうな外国書の翻訳、たとえばケインズ『一般理論』、ヒックス『価値と資本』、ハロッド『経済動学』やミルトン・フリードマンの本などを読んでいました。ろくに経済学の予備知識もなかったので内容はよくわからなかったのですが経済学の雰囲気を味わうことはできたように思います。そうこうする内に1年が過ぎて中学生や小学生を相手にする塾の仕事に行き詰まりを感じるようになりました。ここで何とか新しい道を切り開かなければいけないと思ったのですが、普通に就職し直すこともできませんしこうなったら趣味で始めた経済学で何とか飯が食えるようにするしかないと考え、経済学の大学院(横浜国立大学)を受験して幸運にも合格した時から私の経済学者としての人生が始まったのです。すでに27歳でした。大学院を終えた後、まず東北・山形の山形大学人文学部に就職しました。関西人にとってはいささか寒い所でしたが新婚ホヤホヤで山形に行ったということもあって楽しい思い出ばかりです。温泉、冬の雪、蔵王のお釜(火口湖)、月山、鳥海山の山々や、そば、さくらんぼ、ラフランス(洋梨)のおいしさなどが印象に残っています。今も2時間ドラマや旅の番組で山形の風景が出てくるととても懐かしく感じます。その後東京・八王子の中央大学法学部を経て同志社大学に呼んでいただきました。四半世紀の時を経て京都に戻ってきたことになります。大学院に入る前はマクロ経済学(特にケインズ経済学や経済成長論)に興味を持って勉強していたのですが、大学院に入ってからは指導を受けた先生方や周囲の大学院生からの影響もあってミクロ経済学を研究するようになりました。その時々の関心から寡占理論、不完全競争のもとでの貿易政策の理論、進化ゲーム理論とその寡占理論への応用、社会的選択理論(社会や集団における意志決定ルールの性質について研究する分野)などを研究してきました。人生「一度決めたら二度とは変えぬ」というのが理想かもしれませんがなかなかそうも行きません。経済学にたどり着くまでの5年間に4回方向を変えました。生きたいように生きてきた結果オーライの人生ですがその都度自分にとって最善の道を選んできたつもりです。私の人生は経済学によって生き返った人生であると言えるでしょう。

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