私はもともと経済学部の出身ではありません。京都のある大学の工学部を卒業後大学院に入ったのですが、そのころには自然科学への関心が薄れ哲学などに興味を持つようになり大学院を一年で中退して文学部の哲学科に学士入学(三年次編入)しました。しかしその関心も続かず二、三か月で大学に行かなくなってしまいました。これ以上親に迷惑をかけてはいけない、この際就職しようと思い東京・五反田の小さなコンピュータソフト会社に入社してプログラマーになったのですがそれも続きませんでした。1年ほど経ったころ京都にいた時の知り合いから一緒に学習塾をしないかと誘われ、うっかり乗ってしまったのです。コンピュータの会社にいた時に経済に興味を持ち始めました。当初は社会人になったので現実経済や会計の初歩を勉強しようと始めたのですが、学習塾に入ったころから関心が学問としての経済学に移り、塾の仕事の傍ら経済学の本を読んでいました。しかし体系的に経済学を学ぼうとは思わず趣味の読書として読んでいただけなので教科書は読まず、有名そうな外国書の翻訳、ケインズ『一般理論』、ヒックス『価値と資本』、ジョーン・ロビンソン『資本蓄積論』やミルトン・フリードマンの本などを読んでいました。ろくに経済学の予備知識もなかったから内容はよくわかりませんでしたが経済学の雰囲気を味わうことはできたように思います。そうこうする内に1年が経ち塾の仕事に行き詰まりを感じるようになりました。ここで何とか新しい道を切り開かなければいけないと思ったのですが、今さら普通に就職し直すこともできないし、趣味で始めた経済学で何とか飯が食えるようにするしかないと考え経済学の大学院を受験して幸運にも合格した時から私の経済学者としての人生が始まったのです。すでに二十七歳でした。


  大学院に入る前は主にマクロ経済学に興味を持っていたのですが大学院に入ってから今に至るまでミクロ経済学ばかりを学んでいます。修士論文では人間の寿命が不確実な場合の世代重複モデルでの消費・生産・利子率の問題を扱いましたが、後期課程に入ったころから寡占理論に興味を持つようになり、最初に雑誌に載せた短い論文では寡占における推測的変動(conjectural variation)の問題を扱い自由参入の仮定の下で各企業が整合的(consistent)な推測的変動を持つ均衡が完全競争的な均衡と一致することを示しました。この論文を書いたことで何とか職に就き生き延びることができたと思います。最初の山形大学に就職してからは寡占のもとでの貿易政策の理論に関心を持ちそのテーマを十年以上研究しました。いくつか論文を書いたのですが必ずしも思ったような成果が出ない内にネタが切れてしまいました。次の中央大学に移ってしばらくしたころ、たまたま買った進化ゲーム理論の本をペラペラめくっていて『有限人口下の進化的に安定な戦略』という概念を寡占に応用できないかと思ったのが始まりで東大の神取教授たちが研究していた確率進化ゲームの理論も用いながら異質財を生産する寡占の進化ゲーム的な研究を五、六年ほど続け、自分でも期待した以上の成果を得ることができました。おかげで同志社大学に来ることができたと思っています。進化ゲーム理論ではプレイヤーが合理的に戦略を選択するのではなく、結果としてうまく行った戦略が生き残ると考えます(そうでない考え方もありますが)。この研究では『有限人口下の進化的に安定な戦略』と『確率進化ゲームの長期均衡(あるいは確率的に安定な状態)』が一致することや、異質財(差別化された財)を生産するクールノー型の寡占とベルトラン型の寡占の確率進化ゲームの長期均衡が一致すること、などを明らかにしました。それもネタが切れてきて次のテーマを探してしたころ、アマルティア・センの『集合的選択と社会的厚生』の翻訳書が出たのをきっかけに社会的選択理論を学び始めました。それ以前は貿易政策や進化ゲームと形を変えながらも寡占(不完全競争)をめぐる研究を続けて来たのですが社会的選択理論はそれまでの研究とはまったく異なる分野です。社会的選択理論とは集団における意思決定ルールの性質について研究する学問であり、組織や社会、国家などの集団あるいは全体は個人の集まりであって個人を超えた全体としての意志や価値などはないものとし、集団における意思決定はあくまで個人の判断、価値観に基づかなければならないと考えます。しかし個人を尊重するためのいくつかの条件を満たそうとすると独裁者の存在が避けられないことが多く、最も有名なアローの一般可能性定理では、人々の好み(考え方)に基づいて選択肢を二つずつ比べてどちらがよいかを判断するような社会的意思決定方法が、パレート最適性、推移性と無関係選択肢からの独立性という条件を満たすならば独裁者が存在するということが示されます。社会的選択理論におけるもう一つの重要な成果は、いくつかの選択肢から一つを選ぶような社会的選択ルールに関するギバード・サタースウェイトの定理です。ある社会的選択ルール(例えば投票によって結果が決められるようなルール)において、自分の本来の好みとは異なる好みに基づいて意思を表明した方が本来の好みに基づいて意思を表明するよりも自分にとってよりよい結果が実現できる場合、そのルールは戦略的に操作可能であると言い、誰にとってもそうではない場合に戦略的に操作不可能であると言うのですが、ギバード・サタースウェイトの定理は戦略的に操作不可能な選択ルールには独裁者(その人の好みだけで社会的な選択が決まってしまうような人)が存在すると主張します。最近はトポロジーや論理学などを応用して社会的選択理論の数学的な性質を研究しています。

  このように研究テーマは移ってきていますが、常におもしろいテーマを追い求めてきました。『経済学は役に立つか』など考えたこともありません。しかし若い頃にあっちへ行ったりこっちへ行ったりした揚句人生に行き詰ってやむなく学問の道に入った私が『同志社大学教授』になれたのですから経済学、とりわけ理論経済学は実に役に立つ学問ではないでしょうか

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