隣:이웃:イーウッ
愛:사랑:サラン



隣人とは、広義の「同時代」と同意でしょう。現在同時に世界に生きている人間は、すべて隣人と言って良いと思う。

(善なる隣人と*悪なる隣人)

英語でいうa contemporaryと同じです。

それだけ世界が狭くなっている。否、隣の範囲が広くなった。それには、インターネットも一役買っている。

インターネットは、善ばかりではない。(悪なる隣人の存在を見よ!)

いわば、電子のレシピなのである。口に合う料理ばかりではない。

毒もあれば、ビタミンもある。

利用者は、自己責任で善悪を見極める必要がある。

人類の未来は、人々がいかにこの技術(情報の伝達)を良い方向に活用していくかにかかっている。

個人の良識の問題であるが、幼少時から世界レベルで倫理を向上すべく教育される必要がある。

大切なことは、 他人への気配りと思いやりであると考える。

このことを踏まえて、 隣人愛を「主題」としたい。

しかしながら、アフガンやイラクなどのテロや犯罪の現実をみるとき、心は沈む。

憎みあい殺し合う人間は戦地だけではない。

理不尽な争いで傷ついた子供たちや民間人などの犠牲者を、助けようとする人が、この世界にまだまだ多いことを知り救われる。

人類がこの愚かさをいつまで続けるのかと考えると、やはり希望を失いかける。

宗教が怖くて、なにが正しいかを発言しない人間が多すぎる。

女性が顔を隠す民族がいるが、こういう教えをする宗教を堂々と批判できないのは残念だ。

イスラムを怖くて批判できないのは、暴力団が怖くて批判できないのと同じである。


多くの人はこういう集団を暴力で抹殺したいと考えているはずである。

自爆テロで自滅するのを待つのが賢明なのだろうか?

という思考にひとびとが至ることを心配しているのであります。聖戦を子孫に教育する民族を亡くしたい。

それがいる限り隣人愛を語れない。

悪までも救う神はいない。

かって東洋の島国に悪人をも、救うと唱えるものがいたようだが、それは誤りである。










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